【 決別の儀式 】
◆VXDElOORQI




438 名前:決別の儀式(1/4) ◆VXDElOORQI 投稿日:2006/10/16(月) 00:10:06.24 ID:871eOA+i0
 俺は酒が嫌いだ。
 俺の親父は仕事もろくにせず、昼間から酒ばかり飲み、俺達兄妹や母親に暴力を振るう
典型的なダメ人間だった。酒は人を狂わせる。俺はそう思った。そんな親父に耐えかね母
親は俺達を残して家を出て行った。それからしばらくして、親父も酔って階段から足を滑
らし、頭を打って死んだ。
 俺は俺達を引き取るという親戚達を妹と二人で暮らせるようになんとか説得した。親戚
連中にも親父のような奴がいるかもしれない。そう思うと妹をそんなところに行かせたく
なかった。幸いにも親父が死んだのが三月だったため、中学卒業後、就職決まっていた俺
は妹を一時でも親戚に預ける必要がなかったので、その点では都合がよかった。

 まだ小学生の妹に寂しい思いをさせない。それが俺が決めた唯一のルールだった。
 俺は働きながらも、保護者参加の行事には欠かさず参加した。休日には遊園地や動物園
といった行楽地へと連れて行き、長期休暇のときには旅行にも行った。
 誕生日、クリスマスには欠かさずプレゼントを上げ、普通の家族の子供みたいに、いや
それ以上の愛情を注いできたつもりだ。
 そんな妹も今年大学を卒業して就職した。これでやっと肩の荷が下りる。安心したと同
時になんとも言えない寂しさを感じた。

 妹が就職してしばらくたったある日、妹が急に大切な話があると言ってきた。
 一緒の家に住んでいるのに、そんなに畏まって話したいこととはなんだろう。俺は考え
た。ひょっとして一人暮らしをしたいとかそういう類の話だろうか。妹も社会人になった
んだ。そのくらいなら反対することはないな。
 そんなことを考えながら歩いていると、いつのまにか家の前まで来ていた。
 家の中に入ると電気はついておらず、まだ妹は帰ってきていないようだった。とりあえ
ず楽な格好に着替え妹の帰りを待つことにした。
 テレビを見ながら時間を潰しているとインターホンが鳴った。妹は普段、家に入るのに
インターホンなど鳴らさない。自分の家だから当然だ。
 俺は時計を確認した。時計の針は夜の八時を指している。
 こんな時間に来客なんて珍しい。俺は多少警戒しながら、玄関の扉を開けた。
 そこには妹と、見知らぬ男が立っていた。

439 名前:決別の儀式(2/4) ◆VXDElOORQI 投稿日:2006/10/16(月) 00:10:45.86 ID:871eOA+i0
 妹は男を送るために外へと出て行った。
 妹と男が言うには、二人は結婚をしたいらしい。
 俺は二人にその話を聞かされたとき、不思議と混乱しなかった。いつか来ると覚悟して
いたからなのかどうかはわからない。ただ少し、寂しいと感じた。
 それから男のほうに色々と質問をした。
 妹のどこが気に入ったのか。男の家族のこと。仕事のこと。その他諸々。
 どうやら悪い男ではないらしい。それどころかとても優秀で誠実な男のようだった。
 会社ではエリート社員として通っているらしく、金持ちのお坊ちゃまかと思った。だが
実家はそれほど裕福ではないらしい。喋り方もとても丁寧で喋っているこっちまで落ち着
いてくる。まさしく好青年を絵に描いたような男だった。
 この男なら妹を任せてもいい。俺はそう思った。

 それから話はとんとん拍子で進み、男の両親への挨拶、結婚式の日取り、新居の手配な
ど滞りなく進んでいった。男の両親もこの親にしてこの子ありというか、青年のイメージ
通りの優しそうな両親だった。
 妹には式の前から男と一緒住むように勧めたが、式までは俺と一緒に住むと言うので、
言うとおりにしておいた。頑固な妹のことだ。言っても聞かないだろう。本当は嬉しかっ
たが、妹には口が裂けても言えることではない。

 式当日、妹は家に別れの挨拶とお礼を言っていた。こういうところはまだまだ子供だな。
そんなことを考えていると、妹は俺のほうへ向き直り、俺にもお礼を言ってきた。不覚に
も少し涙腺が緩んでしまった俺は、顔を見られないように妹の頭を乱暴は撫でてやった。
妹は髪が乱れたと怒っていたが、俺は泣きそうな顔を見られるより、そっちのほうが気が
楽だ。

 式は特にハプニングも起きず、滞りなく進んだ。妹から俺への手紙というのがあったが、
式場に来る前に、一回泣きそうになったおかげか、今回は無様な顔を見せるような事態に
はならずに済んだ。


440 名前:決別の儀式(3/4) ◆VXDElOORQI 投稿日:2006/10/16(月) 00:11:18.56 ID:871eOA+i0
 そして式も終わり、妹は男と新居へと移った。家には俺一人が残された。
 最初は気楽でいいと思っていたが、日に日に寂しいと思い始めてきた。
 今までは妹には俺がいてやらないとダメだと思っていた。だが違ったのだ。俺には妹が
必要だった。妹という守る人がいたからこそ、俺はこれまで頑張って来れたのだ。そのこ
とに俺はやっと気付かされた。だが妹の幸せのためにはいつまで俺と一緒ではダメなこと
もわかっていた。相手のあの男だ。きっと妹を幸せにしてくれる。俺は自分に言い聞かせ
た。
 これからは自分のために生きよう。そう俺は決意した。が、すぐに俺は気付いた。今ま
で妹のことだけを考えて生きてきた。自分のために何をしたらいいのか、さっぱりわから
なかった。
 考えた結果、一つのことを思いついた。自分でもなぜこんなことを思いついたのか、さ
っぱりわからない。むしろ思いついた自分に驚きを覚えていた。だがこのままウジウジし
ていてもしょうがない。そう思い俺はその思いつきを実行することにした。

 机に並べられているのはビール。そう酒だ。
 今まで散々嫌ってきた酒をなぜ今飲もうと思ったのか。俺にもわからない。酒は俺にと
って決別したい過去の象徴だった。親父を、いや俺達家族を狂わせた元凶。そう思って今
まで一滴も口にしなかった。
 けどもういいのかもしれない。そう思い始めていた。いつまでも過去に縛られていても
しょうがない。俺はビールを泡がコップのふちギリギリになるまで注ぐ。テレビでは確か
こんな感じで注いでいた。黄金色の液体の上に白い泡が浮かぶ。液体の中では無数の気泡
が上へ上へと上がっていく様子が見える。 
 俺はコップを掴むと一気に口へと持って言った。
 口の中に嫌な苦味が広がる。皆こんなものを旨い旨いと言って飲んでいたのか。頭がお
かしいのではないか。そう思いつつももう一口、もう一口と飲み干していく。
 空のコップをテーブルに置く。やっぱり不味い。どう考えても不味い。それでもまたコ
ップにビールを注ぐ。これは過去と決別するための儀式なのだ。そう思い俺はもう一度コ
ップを口へと運んだ。


441 名前:決別の儀式(4/4) ◆VXDElOORQI 投稿日:2006/10/16(月) 00:11:50.95 ID:871eOA+i0
 気が付くと外はもう明るくなっていた。カーテンの隙間から俺の顔に向けて日の光が降
り注ぐ。
 俺は顔を洗うために立ち上がった。すると激しい頭痛が俺を襲った。思わずさっきまで
突っ伏して寝ていたテーブルに手を付く。テーブルの上には無数のビールの空き缶が転が
っていた。
 これが二日酔いってやつか。俺は頭痛に耐えながら洗面所へと向かった。
 鏡の中の俺は酷い顔をしていた。目を真っ赤にし、頬には涙の跡が見える。
 どうやら俺は昨日、飲みながら泣いていたらしい。最悪だ。こんな顔で会社に行けとい
うのか。やはり酒を飲むとロクなことがない。
 俺は心の底から思った。
 俺は酒が大嫌いだ。





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