【 路地裏の月は雨に濡れる 】
◆D7Aqr.apsM




421 名前:路地裏の月は雨に濡れる 1/3  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/10/15(日) 23:56:41.16 ID:pKWAmbYE0
「ふざけんなよ? このガキ!」
ジョッキが壁に叩きつけられてこなごなになった。
倉庫街が連なる運河沿いにある、裏寂れた酒場。
中身のエールが流れ落ちるのを見て、シンシアは壁が汚いのは、そういう理由か、と納得した。
ジョッキがかすめた髪と、ネイビーブルーのワンピースにエールがついていないか、少し気にする。
「ふざけてなんかないわ。……というより、ふざけているのはそっちね。
そのボトルに巻かれた金と青のリボン、間違いなく王室のものよね? 
どこから手に入れたのかは聞かないけれど、見過ごすわけにはいかないから。
今なら黙って引き取ってあげる。かえしなさい」
赤毛の男は大きな体を揺するようにしてシンシアの前に立ち、見下ろした。
「なあ、お人形みたいにキレイな嬢ちゃん。悪いこたぁいわねえ。とっととこの店を
出るんだ。そうすりゃあ、生きて明日の朝日がみれるだろうよ。だいいちな、このボトルは
俺のもんだ。あんたのじゃねえ。それをよこせ? タダで? お嬢ちゃん、それを世の中じゃ
ドロボーっていうんだ」
二つにまとめられた金髪を揺らして、シンシアは傲然とにらみつける。
「出るか出ないかは私が決めるわ。タダで、とも言わない。そうね、なんならカードで勝負でもする?」
赤毛の男は、ぐいっと腕をまくり上げた。二の腕は、おそらくシンシアのウェストよりも太い。
「カードか。いいだろう。あんたは何をかける?」
「……そうね、これでどう?」
シンシアは胸元から、銀色に鈍く光るネックレスを取り出した。
「ふん? こりゃあ海軍の勲章か? 本物だな。親父さんのものを勝手に持ち出すってのは良くねえぞ?」
「私のよ。信じられないかも知れないけれど」
男はゆっくりとシンシアをにらみつけた。
「よし、勝負しようじゃねえか!」
しん、としていた酒場が一気に沸き返った。
周りにいた人間があっという間に席を譲り、テーブルをあける。
賭け事好きな連中が、シンシアと男を肴に賭けをはじめた。
向かい合って座るシンシアと男の両脇に、おかれたグラスにバーボンウィスキーが注がれる。
慣れた手つきでバーテンダーがカードを配りはじめる。
テーブルの上をカードが流れる。音もなく。


425 名前:路地裏の月は雨に濡れる 2/3  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/10/15(日) 23:59:21.40 ID:pKWAmbYE0
「なあ、嬢ちゃん、なんだってこんな店に来た?」
赤毛の男はカードを捨てる。間をおかずにバーテンダーがカードを滑らせた。
「さあ、なんでかしらね?」
「この酒か」
「かもしれない。もしかしたら、単に道に迷っただけかも」
シンシアは一枚のカードを残し、残りをばさり、と捨てた。
ショットグラスにつがれたウィスキーを一気に煽る。
「王室の輸送車がおそわれた事件、知ってるわよね?」
「さあなあ。ニュースでそんなことも言っていたか」
「あの輸送車の中にね、ちょっと大事なものが入ってたのよ。私の」
四枚のカードを手に入れる。
「なあ、悪いことはいわねえ。こりゃあニセモノだった。そういうことにしとけよ。
俺は輸送車の件は全くしらねえ。仮に――仮に、だ――あんたが勝負に勝っても、
ここから無事に帰れると思うか?」

シンシアは、いつの間にか満たされたグラスを、もう一度空にした。
たん、と打ち付けるようにしてテーブルに置く。
「脅し方ってものを知らないみたいね」
シンシアは苦笑いを浮かべ、携帯を取り出した。ぼそぼそと小声で話す。
「結構よ。表に出ましょう」
運河の水は黒々と音もなく流れていた。中空にかかる月が冷たくあたりを照らす。
「お嬢様」
「ハィ、フェーイ」
シンシアは、いて当然という風に軽く手を振って見せた。
路地の暗がりから声が響く。ダークグレーのパンツスーツに、赤いタイだけが色をそえている。
栗色の毛をショートカットでまとめているが、体の細さが女性だということを主張していた。
ていねいに、細く巻かれた傘を持っている。
「なんだなんだ?もう一人増えたのか?まあ、いいだろ。お嬢ちゃんじゃあ物足りねえと
思ってたんだ」
バラバラと男達がシンシアとフェーイを取り囲む。


427 名前:路地裏の月は雨に濡れる 3/3  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/10/16(月) 00:00:50.38 ID:otL1hswy0
「もう、何をやっているんですか!さっき艦長から連絡が入りましたよ。『傘を持っていって
さしあげろ』って……。いいかげんお父様に怒られますよ?」
「もうすぐ終わるし……それに、ねえ、それ程飲んでないわよね?」
シンシアは赤毛の男に同意を求める。
「飲んだ飲んでねえって、そういう問題かよ。てめえはなんだ?保護者か?」
「まあ、そんなものです。ところで、今回の件ですが、できれば穏便にすませたいのですが」
「フェーイ?傘をさしてくれる?」
シンシアは、手首をかえして腕時計を見ていた。
「はい?」
「いいから。四…三…二…来るわ」
キュー……ン
甲高い、空気を切り裂く音が聞こえはじめた。
耳を覆うほどに、そして覆っても音が体を震わせるようになる。――瞬間。
轟音と共に運河の水面が爆発した。
艀につながれた小舟が空中に浮き上がる。
そして、盛大に、吹き上げられた水が降り注いだ。

男達はあっというまに体中をびしょぬれにされて、呆然と立ちつくしていた。
「どう?あたしの船、皇国軍三番艦、主砲の至近弾よ?模擬弾頭だから、まあ、威力は全然だけど、
その辺は勘弁してね」
シンシアはスカートについた飛沫を払いながらにっこりと笑った。
「あのお酒、いただけるかしら? その後で、お話もききたいわ。――直撃は、きっと痛いわよ?」
ずぶ濡れになった男に、シンシアはカードを渡す。
四枚のエースと一枚のジョーカーが男の手の中で笑っていた。

(了)



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