【 緩和 】
◆Awb6SrK3w6




408 名前:禁酒令を緩和するには1/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/10/15(日) 23:39:19.08 ID:smWN5Qn50
「これではあんまりです! 国は、皇帝陛下は我々酒屋に死ねと仰るのでございますか」
 狭い役所の一室に、酒商人の悲痛な嘆声が響いた。その声に私は思わず深く頭を垂れる。
その哀願は私の胸を深く打ち、私の心を呵責する。
哀訴を続ける酒商人の弁論はまったく正しい理屈に依る物だった。
「ですがねえ、これも国策」
「酒を造る道具を打ち壊すのが、国策でございますか!」
 論を述べようとしても、すぐにそれは遮られる。
その反論が不条理なものであるならば、まだ論破することもできるのであるが、
眼前の涙を流し直訴する商人の意見こそ道理であり、我々役人が行っている事が道理に悖ることなのだから、
全く困ったものであった。
 このような流れを断ち切れずに、ずるずると私は商人と一刻以上話していたのである。

 斯様な嘆願を私が受け止めねばならぬのも、全ては国家を襲った大干魃のせいであった。
春こそ、例年に比べて雨量は少ないという程度のものだったのだが、
季節が晩春から初夏、そして盛夏へと移る中で、空に垂れる雲は一滴の水も落とさなくなってしまったのである。
 大地は田畑、市街、ひびの入らぬ所など無く、河川は常時の濁流が嘘のように細い糸の如き物と成り果ててしまっていた。
無論、こんな環境の下で作物など育つはずもない。
 春に植えた苗は全て枯れ果て、村全体で収穫された穀物が手の平一掬い分という酷い話もあったのである。
 このような事態に直面し、朝廷も静観することができなくなっていた。
廟堂をにぎわす朝臣たちにより、様々な施策が考えられ、試みられた。
そして国家を救う窮余の策の一貫として、穀物をできるだけ必要以上に使わぬようにと、
酒の売買、造酒を禁ずる法、更に念には念をということで、造酒に用いる諸処の道具の保持を禁じる法が
制定されることとなったのである。
 法令は厳格に執行された。都市、村落を問わず、全ての酒屋は廃業状態となり、
あちらこちらで、酒桶が無惨な姿を晒すこととなり、そして各地の役所では酒商人が直訴を行う光景が、
日常の物となったのであった。

409 名前:禁酒令を緩和するには2/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/10/15(日) 23:39:49.63 ID:smWN5Qn50
 役人である私でもこのような強制的な措置は、断じて認められるべきではないと考えていたところなのである。
しかし、立場という物は私に己の胸中にある考えをぶちまけることを許さない。
泣き伏せ哀号する商人の前で、私もまた泣きたい気持になっていた。
「どうかお願いします。酒の売買は私たちも我慢します。
ですが、いくらなんでも道具まで打ち壊されてしまうと、干魃を乗り越え、倉庫に米が満ちた時。
我々は酒を造ることもできずに飢え死にしてしまうのでございます。
どうか、壊された分の酒桶に関する寛大な御処置を、簡閣下、あなた様から皇帝陛下に」
 商人はただ頭を下げるだけである。
今こそ木っ端役人ではあるものの、皇帝が即位する以前からの友人であるこの私に、板挟みになってくれと涙を流しているだけである。
 全く参った物だった。その思いはやんわりとした拒否の形で口から飛び出してゆく。
「いや、しかしですな」
「ところで、閣下。長い間私めの嘆願にお付き合いして、その喉もかれておりましょう。
これで閣下の喉を潤して頂ければ」
 突然、長らく続いていた一本調子の哀願から違う響きの声がした。商人は竹の水筒を差し出し、私の顔を見据えている。
何としてでも飲んでくれ。そう彼の顔は私に告げていた。
「ふむ」
 そう良いながら私は渋々、水筒を手に取り蓋を開け、中にある物を喉へと流し込んだ。
瞬間、口の中に甘い香りが広がる。久しぶりの感覚が脳天を貫き、私は一気に竹筒にある全ての液体を飲み干していた。
 酒である。どこにこの商人が隠し置いていたのかはわからぬが、この竹筒に入っていたのは間違いなく酒であった。
これの代わりに、皇帝陛下を相手に、嘆願をしてくれということなのだろうか。
「もう少し、お飲みになりますか? 外に瓶もありますので」
 ほろ酔いが体中に回ってゆく。五臓六腑はもっと飲みたいという欲求を脳に向けて強く発していた。
「ううむ……わかりました。あなたの嘆願、陛下に上奏しておきましょう」
そしてとうとう私は酒の軍門に屈し、商人の直訴をどうにかして皇帝陛下に言い含ませねばならなくなったのである。

 しかし、皇帝陛下を説得できる弁論も持たぬ私である。
瓶一杯の酒に惹かれて、なんとも軽い安請け合いをしてしまったものだと、私はただ後悔するだけだった。
 こうして、直接上奏することもなく、数日が過ぎた頃。
「少し散策に出る。お前も来るように」
 というなんとも渡りに船な誘いを書いた文が、皇帝陛下から私に届けられたのである。

410 名前:禁酒令を緩和するには3/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/10/15(日) 23:40:20.07 ID:smWN5Qn50
 散策と言っても、それは単なる遊びではない。
 宮城の外の世界を直に見て、現状を顧みるための歴とした一手段である。
散策の折には決まって、私を共に付けさせる陛下であり、慣れた事なのではあるが、
さすがにこの日ばかりは、何とも気が重くなっていた。
 言うべき事がある。だが、それに説得力を持たせることはままならない。
ここ数日、同じ考えが反芻され、堂々巡りをしていたこの時期に、陛下と顔を見合わせねばならないのである。
 全く憂鬱な散策であった。
 
 宮城より馬を走らせる。疾駆する陛下と私たちは市街を通り抜け、城外への道を進んでいた。
肌を撫でる風が涼しく心地よい。その風がしばらく考え詰めだった私の頭を冷やしていった。
 冷静になれば、周囲の状況もよく見えると言うものである。
 干魃が与えた影響に直面している人々の姿があちらこちらに見受けられた。
店には並ぶ作物もなく、歩く人々にも活気はない。だが、そのような、苦しみの渦中にあって異彩を放つ者たちもいた。
 人目を憚らずに、体を密着させて歩く二人の若い男女である。
全く微笑ましいものである。この様な生存の危機に際してもなお、人間というのは相求める生物なのであろう。
ご多分に漏れず、彼らはこの後、自分たちの家か人目のつかぬ所で、その腹の下にある道具を用い……
と此処まで下世話な考えを膨らませて。ふと、私は脳裏に上手い物言いが浮かび上がっていた。
これである。ここ数日私の頭を悩ませていた、説得力のある話を解決する為のタネが、あの男女だった。

411 名前:禁酒令を緩和するには4/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/10/15(日) 23:40:50.48 ID:smWN5Qn50
「陛下」
「どうした?」
「あの若者達をご覧下さい」
「……どうかしたのか?」
 その声に陛下も先ほどの男女の方を振り向いた。
「あの者たちは、おそらくこれから淫らな行為をするつもりです。どうして、捕縛なさらないのですか?」
 私の弁に、何を言ってるのかという顔を陛下はしている。無理もない。あまりにも突然に私は突拍子もないことを述べていた。
「……何故、連中がそのような事をすると思うのだ?」
 当然の疑問を陛下は私に投げかける。私はその問いに、覚悟を持って口を開いた。
「それは、勿論。酒を造る者たちが酒を造る道具を持っているのと同じように、
彼らもまた、淫らな行為をするための道具を持っているからです。陛下」
 妙な沈黙が一瞬漂う。生真面目な顔をした私と呆けたような顔をした陛下が見つめ合っていた。
そして、次の瞬間。目の前の陛下が吹き出していた。
「こやつめ、ハハハ……言いたいことはわかった」
 呵々大笑しながら陛下は私の方を見た。
「酒造道具を打ち壊す、あの法は止めにしよう。さあ、宮城に戻るぞ。この様なことをしてる場合ではない。早く戻るのだ」
 そういって陛下は馬に鞭打ち私の横を駆け抜けてゆく。
あの酒に報いることができそうだ。それを見て、私はほっと胸をなで下ろした。


<了>



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