【 drunkard's high 】
◆T.7YdT515s




375 名前:品評会用『drunkard's high』1/5 ◆T.7YdT515s 投稿日:2006/10/15(日) 22:57:31.09 ID:LyT3ZBPQ0
 いつか見た神の国。一度は閉ざされたその光の先をもう一度見たくて、俺はまた、人を殺す。


「この辺り、か」
 未だ戦争の傷跡の残る街並みを見渡して、俺は呟いた。戦争が終わって三年経つが、完全に傷が癒えるには、まだ時間がかかるようだ。
集めた情報によれば、最後の標的はこの街で花売りをしているそうだ。今までの六人とは違い、殺人も強盗もやらかしていないらしい。
そのおかげで、見つけ出すのに一年以上かかってしまった。六人を探し出して殺すのにかかった時間よりも長い。
だが、それも今日で最後だ。見つけ出してしまえば、殺すのに大した時間はかからないだろう。

“七人殺せば元の体に戻れる”

 あいつはそう言った。いや、厳密には殺した瞬間に戻れるというわけではないが。
七人を殺し、それぞれの心臓部に埋められた石を全員分飲み込んで、あいつのところへ行けば元に戻してやる、ということだ。
どうしても元の体に戻りたかった俺は、これまでに六人を殺し、六つの石を飲んだ。そして今日、七人目を殺す。
(……いた)
 遠目に標的を確認した。どうやら情報は正しかったようだ。長いブロンドの髪に、整った気品のある顔立ち。
最後に別れた時と、外見上は何も変わらない彼女の姿がそこにあった。違うのは、粗末な服と、腕にかけた花篭くらいか。
(似合わないな)
 彼女にその格好は似合わない。当然だ。裕福な家庭で育って、恐らくは何不自由なく育てられたであろう彼女に、
ボロを着た花売りの役など似合いようがない。
(助けない方が、良かったのかもしれない)
 彼女の両親を殺したのは俺だ。大義のために戦争を起こした者達の裏で、戦争のための大義を掲げて人々を利用し
私服を肥やしていた資産家の夫婦を、任務で殺した。そして、巻き込まれて死にそうになっていた彼女を、仲間たちの目を盗んで
知り合いの医者のところまで運んだ。彼女を殺せとは、言われなかったからだ。自分でもとんだ偽善者だとは思ったが。
 医者のことは、人間的に信頼していたわけではなかった。ただ俺の知る中で誰よりも腕が良かったから、利用していただけ。
で、結局、預けた相手が悪かった。彼女が意識を取り戻してから暫く後に俺が任務で街を離れ、戻ってきたら彼女はいなかった。
医者は、元気になったから出て行ったとしか言わなかったが、その時には、軍の依頼で行ったらしい人体強化の実験体として、
連れて行かれた後だったようだ。俺がそのことを知ったのは、もう少し後になってからのことだが。

376 名前:品評会用『drunkard's high』2/5 ◆T.7YdT515s 投稿日:2006/10/15(日) 22:58:11.37 ID:LyT3ZBPQ0
 彼女に近づく。粗末な格好の彼女に目を留めるものはいない。油断しきっている今なら、簡単に殺せるだろう。
更に近づく。彼女は俺の接近に気づかない。顔を隠すようにコートの襟を立て、帽子を深く被る。彼女に手を伸ばして──
「一つ、売ってくれ」
 花を、注文した。出来るだけ彼女に顔が見えないよう気を払う。もし仮に彼女が俺のことを覚えていて、騒がれたりしたら困るからだ。
彼女はひどく驚いた様子で、暫くこちらを見て黙っていた。そんなに売れるのが珍しいのだろうか。そんなことで生計を立てられるのか?
酒代だって馬鹿にならんだろうに……。
「聞こえなかったか?」
「あっ、は、はい! ありがとうございます!」
 もう一度声をかけられてやっと正気を取り戻した彼女は、余程嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべて返事をした。
値段を聞いて、金を払う。受け取り篭にはほとんど金は入っていない。やはり、売り上げは芳しくないようだ。
金を渡す時に、一緒に紙切れを渡した。受け取った彼女が不思議そうにそれを見つめる。彼女が見終わる前に、
俺は彼女の前を去った。紙切れには、こう記しておいた。──深夜零時、今と同じ場所で待つ。 drankard──と。


その後俺は、時間になるまでを小さな酒場で過ごした。客の出入りの少ない、路地裏のやや汚い店だ。
彼女に渡した紙切れには大したことは書いていなかったが、あれだけ見れば、彼女には俺が彼女を殺しに来たのだと
分かっただろう。他の六人が殺されたことを、恐らく彼女は知っている。逃げはしないだろう。そのつもりなら、最初からもっと遠く、
国外にでも出て、そこで暮らしているはずだ。そうしないのは、見つかったときの覚悟が出来ているから。俺はそう考える。
 だから、戦闘に備えて、俺はここで酒を飲んでいる。これが最後の戦いだ。負けることはないだろうが、念には念を入れておく。
別に酔えば酔うほど強くなる拳法が使える、などというわけではない。というより、今の俺はいくら飲んでも酒に酔うことが出来ない。
ただ、飲めば飲むほど強くなる。それこそ、人外の強さと言っていい。逆に、定期的に酒を飲まなければ生命を維持出来ない。
俺の体は今、酒を動力源にしているのだ。原理は知らないが、俺をそんな体にした張本人がそう言うのだから間違いない。
 彼女も、今まで殺した六人も、俺と同じだ。酒を飲まねば生きられず、飲めば人外の強さを得る。
だが、彼女ら七人と俺の間には、違いが二つある。一つは、殺人衝動。戦争の道具として作られた彼女たちの精神には、
殺人に対する欲求が植え込まれている。実際、今までの六人は平然と殺人を繰り返すような奴等だった。
 そしてもう一つ。俺は酒に酔うことが出来ない。
 その分、彼女たちよりも俺の方が酒を飲んだ時により強くなれるんだそうだが、俺は、これだけが我慢ならなかった。
老いない朽ちない化け物になろうと関係ない。そんなことはどうでもよかった。ただ酒を飲んでも酔うことが出来ないということだけが、
俺は許せなかった。それが、俺が元の体に戻りたい理由。六人を殺し、これから彼女を殺す、その理由だ。

377 名前:品評会用『drunkard's high』3/5 ◆T.7YdT515s 投稿日:2006/10/15(日) 22:58:46.08 ID:LyT3ZBPQ0
 ガキの頃から、神様って奴が大好きだった。正義の下に揺るがず、強くて、優しくて、愛に溢れた神様が大好きだった。
 神様のための戦争が起きた。大人は皆、その戦争を神様のためだと言った。大好きな神様のために、俺も戦うと決めた。
 大人になって、愛する神に愛されるために、多くの人間を殺した。俺も何度も死にそうになった。あの医者に会ったのも、
そんな時だ。好きにはなれなかったが、怪我を負えば、あいつに診てもらった。
 ──そして三年前、戦争が終わった。
 戦時の英雄、殺人鬼。なんてのはよくある話で、戦争が終わった途端、俺は唐突に居場所を無くした。別に俺は、
人を殺すのが楽しかったわけじゃない。血が流れるのを見て喜んでいたわけじゃない。だが、俺の言葉は誰にも届かなかった。
世界に見放されたのだ、と、俺はそう思った。もう俺のいていい場所はないのだと。
 それからは、酒に溺れる生活が続いた。親も兄弟も戦争で亡くしてしまった俺にはもう、他にすがれるものがなかったのだ。
毎日毎日ただひたすら酒を飲み続けた。その間だけは、何もかも忘れることが出来た。きっといつかそのまま何もかも忘れて、
最初からいなかったみたいに死んでいくんだと思った。誰からも見放された俺はそうやって消えるんだと。
 でもあの日。いつもより更に深酒をして、今日こそ死ぬかと思ったあの日。俺は、神の国を見た。眩い光の先に、確かに見た。
あの歓喜を、どう表せるだろう。神は、神だけは俺を見捨てなかった。誰もが見捨てた俺を、神はまだ愛してくれる。
あの光の向こうに神がいる。あんなに愛した、全てを捧げた神に会える──
 そこからはよく覚えていない。気が付いたら、俺はあの医者の診療所のベッドの上にいた。
 お目覚めですか、などと適当に挨拶を済ませたあいつは、現状をペラペラと説明しだした。俺が酒場で倒れたこと。自分が俺と知り合い
だということを知る者が俺をそこまで運んだこと。俺の体を勝手に実験道具にしたこと。笑顔を絶やさず話し続けた。
 だがそんなことに俺は全く興味が無かった。早く戻ってまた酒が飲みたい。そうすれば、今度こそ向こう側へ行ける。
「ああそれと、貴方は特別に酒を飲んでも酔えないようにしておきました」
 ほとんど話を聞いていなかった俺に、あいつは、何でもないことのようにそう言った。また倒れたら困るでしょう、と。
瞬間的に殺しそうになって、やめた。目を見て分かったのだ。ああ、こいつはわざと言っている。
「軍が処分する前に実験体が脱走してしまったようで。私はそんなことどうでもいいんですが、一応仕事ですからね。
 貴方には彼等、“drankard”の七人を始末していただきたいのです。まあ、騒ぎが収まればそれでいいのですがね。
 ああ、一応言っておきますけど、彼らの中にある石がないと、貴方を元に戻すことはできないんですからね? しないのではなく」
 随分と手前勝手な理屈を押し付けられたが、俺には逆らうことは出来なかった。どうしても、またあの光景が見たかったから。


 ショットグラスに注いだ酒を一息に飲み干す。店で一番強いはずの酒は、しかし俺を酔わすことが出来なかった。
(そろそろ時間か……)
 高い金で水を買うような不愉快な思いをするのも今日で最後だ。俺は、予備に一本だけ酒を貰い、店を出た。

378 名前:品評会用『drunkard's high』4/5 ◆T.7YdT515s 投稿日:2006/10/15(日) 22:59:16.85 ID:LyT3ZBPQ0
 街灯一つない通り。昼間はそれなりに人通りもあったが、この時間になると物音一つ聞こえない。彼女の足音を除いては。
「よく来たな」
「あら、来ないと思って呼んだのですか?」
 暗闇の向こうから、彼女が現れた。昼に見たのと同じ服だ。
「あなたでしたのね、彼らを殺して回っていたのは」
「……覚えていたのか。顔は隠したつもりだったが」
「声を聞けば分かりますわ。私は貴方のことを一時だって忘れたことはありませんもの。まさかそちらから探してもらえるなんて」
「殺すためだ」
 言って、構える。だが彼女は笑顔を崩さない。
「俺はお前を殺す。お前も戦えないわけじゃないだろう。……抵抗しないのか?」
「どうせ、したって敵いっこありませんもの。貴方が望むなら、それでいいですわ」
「抵抗しない者に手を下すのは、嫌いなんだ」
「……そう、難儀な方ですわね」
 言い終わると同時、彼女がこちらに向かって跳んだ。真っ直ぐな、しかしあまりに疾い跳躍。常人なら捉えられない速度だろう。
俺は正面を向いたまま、一度大きく息を吸い込む。そして、前方に巨大な火球を吐き出した。夜の闇が赤く染まる。
火球は通りを真っ直ぐに駆け抜け、遠くの壁に当たって消えた。焦げて煙を上げる路面に彼女の姿はない。
当たっていない。彼女は避けたのだ。当然だろう。最初から、当てるつもりはなかったのだから。俺の虚を衝いたつもりなのだろう、
背後から迫る彼女の腕をかわし、胸倉を掴んで地面に押し倒す。首筋に当てたナイフが、月明かりを反射した。

「ほら、やっぱり勝てなかった」
 そう言った彼女は、やはりまだ笑顔のままだった。
「死んでもいいのか?」
「……本当は死にたくなんてありませんけど。今ある私の命は、貴方に貰ったものだから。貴方の役に立つのなら、
 差し上げても構いませんわ。それで悔いが無いかと言われると、全くないわけでもありませんけど」
 彼女の笑顔は、本当に綺麗だった。だが、違う。彼女の言い分は間違っている。俺は、彼女に伝えなくてはならない。
「お前の両親を殺したのは俺だ」
 彼女には、それを言っていなかった。ただ死にそうだった彼女を俺があいつのところに連れて行ったのだとしか、彼女には言っていない。
別に保身のためじゃなく、ただ、俺を命の恩人だと慕う彼女にそれを伝えても、余計辛い思いをさせるだけだろうと思ったから。
それを利用するつもりもなかったし、彼女とそれ以上関わるつもりもなかったから言わなかった。まさかこんな形で影響が出るなんて、
予想もしなかった。だから、結局意味のないことでも、言わなければならない気がした。それで罵られれば少しは気が楽だとも思った。

379 名前:品評会用『drunkard's high』5/5 ◆T.7YdT515s 投稿日:2006/10/15(日) 22:59:55.54 ID:LyT3ZBPQ0
「そんなこと、知っていますわ」
 だから、彼女の言葉を聞いた時、一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
「な……」
「私と話す時にあんなに辛そうな顔をしていれば、嫌でも気がつきます。大体、そうでもないと私を助けることなんて出来ないでしょう」
「なら、なぜ」
「両親を殺したのが貴方だろうと、貴方が私の命を救ってくださったことに違いはありませんわ。両親は……人の命を利用して
 儲けるような仕事をしていたらしいですから、きっと遅かれ早かれああなっていたのでしょう。でもその時、そこに貴方がいなかったら
 きっと私は、殺されてしまっていた。だから貴方はやっぱり、私の命の恩人なんです」
 ──何て強い、美しい少女だろうか。
両親を殺して、今まさに彼女を殺そうとしている俺に、それでも心からの笑顔を向けてくれる。
(俺は……何をしている)
 殺人衝動を堪えて、裕福だった境遇も顧みず懸命に花を売って生活して、そんな境遇に追いやった俺を尚思いやるこの少女を殺して、
それで俺が得る物は何だ。 酒に酔える? 神の国へ行ける? そこにどんな安らぎがあるというのか。
俺は何故神を愛した。優しくて、愛に溢れた神が好きだったんじゃないのか。酒の為にこの少女を殺すのが正義?
(俺の愛した神は、そんなただの人殺しに扉を開いたりはしない──)
 俺は、自分の左胸をナイフで抉った。そこに、今まで得た六つの石と、自分の石があるから。突然の光景に、彼女が目を見開く。
「なっ、何をしていますの! 何で、こんな……わ、私はっ」
 動転している彼女を宥めて、その手に石を握らせた。彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「これを持って、あの医者のところへ行くといい。……運が良ければ、普通の人間に戻してもらえるかもしれない」
「なら、貴方も一緒に──」
「俺が一緒じゃ、お前まで扉をはじかれちまう」
「──! …………本当に、可哀そうな人」
 彼女はそう言って、俺の腰に下げてあった酒瓶を手に取った。そしてその中身を一口だけ含み、口移しで、俺に飲ませた。
柔らかい唇の感触。優しく注がれた酒を、ゆっくりと嚥下する。喉が焼けるように熱い。こんな感覚は、何年ぶりだろうか。
体が熱い。世界が徐々に白み、霞んでいく。ああ、本当に、こんなに美味い酒は久し振りだ。
「天にまします我らが神よ──」
 彼女の声が、耳に心地よく響く。安らかな気分。程よい浮遊感が体を包む。ああ、最後に貴方の心を思い出してよかった。
「──どうか哀れな迷い子に、等しく情けを下さいますよう」
 彼女の優しい泣き顔が、女神の微笑みに見えた。きっと俺の寝顔も、安らかなものになっただろう。
                                                              ─了─



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