【 大泥棒と絵画の話 】
◆U8ECTUBqMk




337 名前:大泥棒と絵画の話1/5 ◆U8ECTUBqMk 投稿日:2006/10/15(日) 22:26:32.77 ID:h8clUb2F0
 妖しく哂う満月の下。
 崖の上の古城は、五年に一度開かれるパーティーと共に、どこかピリピリとした厳戒態勢が敷かれていた。  
 ゲルマン・ゴチックを基調とした武骨な造形。色褪せた青煉瓦の外壁は灰色にくすみ、時代の変遷を無言の内に物語る。
 ノイシュヴァンシュタイン城ほどではないにしても、その外観たるや威風堂々。そこに住まう城主の富をも物語っていた。
 中庭では、踊り子が舞を披露し、招待客達の目を虜にする。
 赤い絨毯が敷き詰められた城内の大きな広間、銀の皿に乗せられた馳走と世界中の銘酒が裕福な招待客の舌を満足させた。
 表向き、優雅なパーティーが行われていた。しかし、至る所に傭兵が配置されている。
 三角帽子を深く被り、黄緑色の軍服に身を包んだ傭兵。腰元のベルトに吊るされたトランシーバー。片手には、膝の辺りまで届く大きな銃をぶら下げている。  
 彼らは周りを見渡し、逐一仲間と連絡を取り合っていた。

 中庭に配置された一人の傭兵が隣の傭兵に話しかけた。
「なぁ、今ここにやり手の刑事さんが来てるらしいぜ? もしかして俺らって意味ないんじゃないか?」
「な〜に言ってんだ? もしかしたら、お前が怪盗ウォッカを仕留めるかも知れんのだぞ? 希望を持て、希望を」  
 隣の傭兵は、彼の肩をポンっと叩くと城内へと向かった。
「そうか! 俺がウォッカを仕留めたら、懸賞金もガッポリ手に入るし、こんな仕事からもオサラバってこった!」
「おお! そうだ。その調子だ!」  
 彼は気づいていなかった。城内へと歩みを進める傭兵が、その仕留めるべき相手だったことを。  
 城内の赤い絨毯を踏み締め、怪盗ウォッカはニヤリと笑う。

 城主宛てに黒い封筒が送られてきたのは、パーティーより四日前のことだった。
 差出人はヴォトカ・ギムレット。又の名を怪盗ウォッカ。  
 黒い封筒の中には、これまた黒い紙に白塗りの文字が刻まれていた。  
 そこには、犯行予定日、犯行時刻、お目当ての品が書かれていた。  
 黒い封筒は『ウォッカの予言書』と呼ばれ、大富豪に恐れられている。  
 どんなに警備を固めたとしても、ウォッカは決められた日、決められた時刻通りにお目当ての品を奪っていった。
 怪盗ウォッカの名はたちまちフランス全土に広がり、国家警察は躍起になってウォッカ逮捕に力を注いだ。  
 しかし、その努力も虚しく、次々と黒い封筒は名立たる大富豪達へ送りつけられた。  
 今回ウォッカが狙いを付けたのは、古城に眠る赤いダイヤモンドであった。

338 名前:大泥棒と絵画の話2/5 ◆U8ECTUBqMk 投稿日:2006/10/15(日) 22:27:32.78 ID:h8clUb2F0
 天井より鎖で繋がれた巨大シャンデリアの灯が広間を照らす。左手奥には、天井まで続く様な長い螺旋の階段。右手奥には、二人の傭兵が警備を固める地下通路へと続く扉があった。  
 赤い絨毯の上、大富豪達は杯を交わし、己が築き上げた財力とコネクションを酒の肴にしている。  
 ウォッカは苦しそうに咳込み、早急に地下通路へと続く扉の前へ進み、二名の傭兵に敬礼をした。
「こちら、中庭警備隊。隊長から両名に交代の命を授かった。ここの警備は私が代わろう」
「おぉ、それはご苦労。では、よろしく頼むぞ。いいか、気を抜くなよ? ここが要なのだからな!」  
 ウォッカは二名の傭兵が中庭へ向かうのを確認し、地下通路へと続く扉を開けた。
 灰色の煉瓦に囲まれた薄暗い闇の中、石造りの階段を下っていった。
 じっとりとした汗を浮かばせながら、ウォッカはよろよろと長い一本道を歩いていた。  
 フランス全土に名を知らしめる怪盗ウォッカ。しかし、彼は極度のアルコールアレルギーでもあった。  
 酒を飲まずとも、空気中に拡散したアルコールを嗅ぐだけで、酔いが回ってしまうのである。  
 軽い目眩に襲われながらも、ウォッカは脇見をせずに、鋼鉄の扉へ辿り着いた。  
 巨大地下金庫の扉は、大きな錠がかけられていた。ウォッカは胸ポケットから簡素な針金を一本取り出し、それを鍵穴に突っ込み、カチャカチャと動かした。  
 カチッと小気味よい音が鳴り響き、鋼鉄の扉がゆっくりと開かれた。  
 だだっ広い白銀の金庫の中、大量に積まれた紙幣とショーケースに飾られた宝石があった。ウォッカは積まれた紙幣には目もくれず、ショーケースの中からお目当ての赤いダイヤモンドを手に入れた。  
 後は城内から脱出し、姿をくらませば計画通りに事は進むはずであった。
 コツ、コツと背後から足音が聞こえた。強いアルコールの匂いが金庫の中に充満し、ウォッカは吐き気を催した。
「よぅ、ウォッカ。待ってたぜ? なんだ、顔色が悪いぞ? まぁ、いいか。とりあえず手を挙げろぉ」  
 茶のロングコートを羽織った男は、酒瓶を口に運びながら、ウォッカに銃口を向け、投降を促した。
「ふぅー。ついてないな……。こんな所でバーボン刑事に遭遇とは……」  
 ウォッカはおもむろに胸ポケットに手を入れ、振り返り様白い玉を地面に叩きつけた。  
 眩い閃光がバーボン刑事の視界を奪い、その隙にウォッカはフラフラと金庫を出て地下通路へと逃げ出した。  
 長い地下通路の途中、ウォッカは古びた木造の扉を見つけ、藁をも掴む思いで扉を押し開けた。  
 そこは真っ暗な物置小屋。足を踏み締める度に埃が宙を舞い、ウォッカは咳込んだ。
「どなたですか?」  
 予期せぬ声にウォッカは驚きのあまり跳ね上がった。
「だ、誰だ!」ウォッカは銃を構えながら、声のする方へ近づいた。  
 そこにはシルクハットを被り、タクシードに身を包んだ金髪の若い男が佇んでいた。
「そんな物騒な物を突きつけないで頂きたい」  
 ウォッカは腰を抜かした。動くはずのない埃被った男の肖像画が両手を挙げ、口を開いたのだから。

339 名前:大泥棒と絵画の話3/5 ◆U8ECTUBqMk 投稿日:2006/10/15(日) 22:28:36.39 ID:h8clUb2F0
「申し訳ありません。驚かすつもりは無かったのです。ただ、この部屋に久しく人が来なかったもので」
 三十センチ四方の額縁の中で、男はそっと頭を下げていた。
「ははは、とうとう酔いが回ってしまったようだな」
 ウォッカは自分自身に言い聞かせた。
「貴方はここにお住まいの御方ですか?」
 ――ウォッカ! 何処へ逃げた!
 バーボン刑事の足音が近づき、物置部屋に迫っていた。
「いいや、違う。招かれざる客といったところだ。俺は泥棒だ。それに今、追われている……」
「泥棒様ですか? では、どうか私を盗んで頂きたい」
「悪いが価値のない物は盗まぬ主義なんでね。何か特別な魅力があれば話は別だがな」
 男は首を傾げ笑って見せた。
「魅力? そうですねー。私、動けますし、喋れますよ。ただの絵にそんなことが出来ますか? それに今、貴方を危機から救えます」
「ほぉー。自ら魅力を語るか。それにこの危機を救えると来たか」
「盗んで行ってくれるのなら救ってあげますよ?」
 バーボン刑事の足音が物置部屋に差し掛かった。
「生意気に交換条件か。わかった。盗んで行ってやる!」
 ウォッカがそう言うと、男は口を開いた。
「私の足元の床を外すと空間があります。そこへ身を隠せば、あるいは……」
 ウォッカは男の言うままに足元を調べた。すると一枚のタイルが取り外せ、その下に十分に隠れる事の出来る空間を見つけ、瞬時に身を隠した。
 バーボン刑事は物置部屋に入り辺りを見渡した。だが、そこにあるのは一枚の絵画だけであった。
「こなくそぉ! ウォッカめ。相変わらず逃げ足の速い奴だ。今度こそは捕まえてやるからなぁ」
 足音が遠くなり、ほとぼりがさめた頃を見計らい、赤いダイヤモンドと男の肖像画を奪い去って、ウォッカは城を脱出した――
 
 ――数々の財宝が眠る廃工場のアジトで、ウォッカは男の肖像画と話していた。
「なぁ、ジン。今更だがあの時、何で盗んでくれなんていったんだ?」
「長い間、私はずっとあの物置部屋に置かれていたのです。埃まみれは嫌でしょ? それに……」
「それに?」ウォッカはジンが含んだ言葉に続けた。
「それに、私を待っていてくれるフィアンセがいるのです」
 ウォッカはジンの思いがけない理由を聞いて、可笑しさのあまり吹き出した。

340 名前:大泥棒と絵画の話4/5 ◆U8ECTUBqMk 投稿日:2006/10/15(日) 22:29:14.53 ID:h8clUb2F0
「ジン、お前フィアンセを、フフ、待たせていたのか?」
 ウォッカはゲラゲラと笑っていた。
「笑う事はないでしょう? 私だってフィアンセの一人や二人……」
「二人いるのか?」
「いえっ、一人だけですよ!」
「ん〜。そのフィアンセの居場所はわかるのか? そもそも今も待っていてくれてるのか?」
 ウォッカが問い掛けるとジンは少し間を置いて、今までの経緯を身振り手振りで語りはじめた。
 フィアンセのカエデは郊外の美術館にある絵画であり、今もなお彼女の気を感じること。元々一つの絵としてカエデと描かれるはずであったことを。
「ちょっといいか? フィアンセのことはわかった。しかし、なんで別々の絵にされたんだ?」
「私とカエデが描かれたその時、この国は戦の最中でした。私達を描いた御方は思われたのでしょう。もし、二人を一枚に描いた場合、もし、それが戦火に焼かれてしまったら
私達は一遍に消えて行ってしまう、と。私達を愛するあまりの決断だったのでしょう。せめてどちらかでも残っていてくれ、と。そして、描いた御方の愛情が私達に命を吹き込んだのです」
「そうか。戦の終わった今、二人は生き残ったのに会えない。だから会わせて欲しいってことか。あの時の借りがあるしな。会わせてやるよ。そのフィアンセによ」
 ウォッカは早速黒い封筒を手にバタバタと動き始めた。

 都市部から少し離れた小さな美術館。十一月二三日早朝、館長宛てに黒い封筒が届いた。
『十一月二四日、午前三時二十分、大事な娘は頂いていく。 ヴォトカ・レギレット』
 寂れた美術館は、一斉に国民の注目を集めた。
 国家警察は館長宅に警備を固め、館長の娘を部屋に幽閉し、きたる二四日、午前三時二十分に備えていた。

 泣いている様に朧な月の下。
 銀の冷たい結晶が空から舞い落ちて地面に降り積もる。シャリ、シャリと音を立て、ウォッカは美術館の扉に佇んでいた。
 小さな美術館に付けられた鍵は、あっという間に外され、その使命を果たすことは出来なかった。
 ギィーと軋む音を鳴らし、ウォッカは明かりの無い美術館に侵入する。
 ジンの肖像画を脇に担ぎ、腰を丸めて走る姿は、まるでコソ泥のようであった。
「そちらを左に曲がって、その先を右に。この辺りに気配を感じます」
 そこは誰の作かも分からない絵画達が展示されている部屋であった。
「いました。あそこです。一番端のあの女性です」
 部屋の一番端、ひっそりと置かれた小さな絵画を見つけた。
 白いベンチにポツリと座り、下を俯く黒髪の女性。水色のワンピースが端整な顔を際立たせていた。
 絵画の中の女性は、ゆっくりとウォッカとジンに顔を向けた。

341 名前:大泥棒と絵画の話5/5 ◆U8ECTUBqMk 投稿日:2006/10/15(日) 22:30:25.97 ID:h8clUb2F0
「カエデ。長い間待たせてすまなかったね」
 絵画の中でジンは腕を前に組み、カエデに言う。
「なるほど、珍しい名だと思ったが異国人だったのか。東洋の女か?」
「ええ。真に美しい女性です。私はカエデのフィアンセで在れたことを幸せに思っています」
 カエデは照れくさそうに笑って見せた。
「ヴォトカさん。最後のお願いをしたいのです。私とカエデの絵を正面から合わせてくれませんか?」
「まだ、お願い事があるのか。俺は大怪盗ウォッカ様だぞ? 安々と人の願いが聞けるか!」
「でも、その大泥棒さんを救ったのは、……。誰でしたっけ?」
 ジンはウォッカに悪戯な笑みを浮かべた。
「ったく、口の減らぬ奴だ。いいか? これが最後だからな」
 ウォッカは両手でジンを持ち、カエデの絵と密着させた。
 額縁から真っ白に輝く光が溢れる。そして光は徐々に弱まり、額縁の内へと消えていった。
 ウォッカは手に持った額縁を外し、地面に置いた。その額の中には、佇むジンの姿は無い。
「ヴォトカさん。感謝いたします。これで私は在るべき場所へと戻れました」
 白いベンチに座るジンは、シルクハットを胸に添え、ウォッカに頭を下げてお辞儀をした。そして、徐々に人間らしさが薄れていった。
 強いアルコールの匂いが部屋を包み、酒瓶を持った男が現れた。
「よぉ、ウォッカ。やはり、ここに来てたか。なんとなく匂ったんだよ。お前はここに来るとな! しかし、こんなところで何を盗むつもりだったんだ?」
「はぁ〜。ま〜たアンタか。別になんでもいいだろ? ほら、早く捕まえろよ」
 ウォッカは両腕を前に突き出した。そこに銀の輪っかが掛けられる。
「おや、ずいぶんと潔いじゃねぇーか。どうしちまったんだぁ」
「いやぁ、聞いてくれよバーボンさん。どうやら俺、泥棒失格らしいんだ」
「へ?」バーボン刑事は不意をつかれ、おもわず声を漏らした。
「お宝を盗むどころか、大事なもんを返しに来ちまったんだよ。なぁ? 失格だろ」
「泥棒にとっちゃ本末転倒だな。言ってる事はよぉーわからんが、とりあえず署まで行こうか。逮捕祝いだ。酒飲むかぁ?」
「いいや、結構」
 怪盗ウォッカはバーボン刑事に連れられ、美術館を後にした――

 ―― 郊外の小さな美術館。ウォッカの逮捕現場と報じられて以来、館内は訪れる人の活気に溢れていた。
 しかし、部屋の片隅にある一枚の絵画の変化に、気づく者はいなかった。
 白いベンチに腰を掛け、恥ずかしそうに手を繋ぐジンとカエデは、幸せの絶頂でその時をとめた。    終



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