【 式神演義 】
◆InwGZIAUcs




320 名前:式神演義 ◆InwGZIAUcs 投稿日:2006/10/15(日) 22:08:26.28 ID:Wor70Xzl0
「それで今回の要求はいかほどかの?」
 黒い着物。貴族の正装である束帯を込んだ若い男は、この小さき都を治める貴族、蔵谷時金である。
彼は庭に設置された池で泳ぐ鯉に餌を与えながら、付き人に問いかけた。
「今回は酒樽三つにございまする」
 溜息一つ、彼の付き人は畏まってその問いに答える。
「そうか、では酒樽を三つ用意せい」
「畏まりました」
 天災の影響で都全体の農作物が不作であるここ一年、流石に貴族とて贅沢ができなくなっている。
そんな中、時折くだる貴重な酒樽の要求は、彼ら貴族にとって痛みの極みであった。

「時金様。酒鬼に詳しき者を連れて参りました」
 付き人は時金の部屋の前にて告げると、中から時金の声が響いた。
「まいれ」
 時金の御前に現れたのは年端もゆかぬ十四、五の長い黒髪が良く栄える美しい娘であった。
「そなたが魑魅払いか?」
 魑魅払い。主に都に跋扈(ばっこ)す鬼達を、滅することを家業としている者のことを指す。
今年に入り酒鬼討伐に都より抜擢された三人目の魑魅払いであった。時金はさも面白くないものを見るかのように
目を細める。しかし、娘は気にした様子もなく淡々と言葉を紡いだ。
「葛の葉にございます……この度はお招き頂き誠に――」
「よい。堅苦しい言葉は苦手じゃ。そなたの好きなよう、手短に話せ」
 葛の葉は伏せた面を上げ、目をパチクリさせた。
「よいのですか?」
「よい。余は忙しい、手短に話せ」
「では。今回、酒樽を月に二度ほど要求してくる鬼、酒鬼を屠る依頼だったと思うけど、それで相違ないわね?」
 突然尊き者に対する言葉を捨てた葛の葉に多少驚きながらも、時金は「うむ」と答えた。
 葛の葉は構わず続ける。
「で、その酒鬼はどこに現れるの?」
「うむ、この御殿より馬で一時の山中に住まう」
「そこまで案内してくれる人は?」
「真田。そちが参れ」

321 名前:2/5 投稿日:2006/10/15(日) 22:09:24.18 ID:Wor70Xzl0
 時金の言葉に、彼の付き人である真田は「畏まりました」と面を下げ、葛の葉と共に時金の部屋を後にした。

 時金の御殿を後にした二人は今、簡素に拵(こしら)えられた馬車に揺られていた。その隙間から飛ぶように流れる
景色。秋も深まる山は朱が色濃く、所々に混じる僅かな緑が一層それらを映えさせていた。
「何か思う所でもあるのかしら?」
 しかし葛の葉は、すぐ隣で何度もつく真田の溜息にそろそろ飽きてきた所だった。
 「失礼した……」
 しばしの沈黙。ガタガタと揺れる小うるさい音を先にかき消したのは真田であった。 
「時に、葛の葉殿は時金様をいかが思われる?」
 どこか疲れた表情は、なるほど、気苦労が絶えないのだろう。その歳以上に見られる頭髪も、
初老と言い難いほど白髪が生い茂っていた。
「心配ない。ここから御者には声は届かぬし、届いた所でさしたる問題はない。家臣皆、
時金様には思う所のある仲間だ……」
「そうね、確かに良い噂は耳にしないわ。なんでも贅沢を尽くしているとか?」
「うむ。時金様、それはそれは根の良い方ではあるのだ。身分を気にせず民に接する所など、
他では考えられまい。……しかし名君と呼ばれた先代が甘やかし過ぎたせいもあってか、
贅沢を止められぬ身となってな」
「飢饉である今とて、贅を尽くそうとしているというわけね?」
 先程の言葉も忘れ、真田は再び溜息を重ねた。
「その通りだ。しかし最近の時金様はそこら辺をわきまえ始めたのかも知れぬ。時金様は特に酒を
並々ならぬ量を呑むお方でな、しかし酒鬼が現れてからはあまり酒をたしなむ事が無くなったのだ。
流石に民に示しがつかぬと思ったのだろうな」
 多少元気を取り戻し、真田はうんうんと頷いた。
「その通りならいいんだけど……」
 葛の葉の言葉に真田は不思議そうな顔を浮かべたが、彼女は何でもないと頭(かぶり)を振り、
馬車は颯爽と紅葉道を駆け抜けた。

 じきに馬車は、大きな寺のような建物の前で止まった。
「葛の葉殿。この寺院の中に鬼はいます故、我々はここまでしかご案内出来ませぬ」
「いいわ。十分よ、ありがとう」

322 名前:3/5 投稿日:2006/10/15(日) 22:10:40.35 ID:Wor70Xzl0
「御武運を」
 葛の葉はその言葉を背に、大きな門を開いた。僅かに空いた隙間から中に入ると、意志が宿っているかのような
勢いと音をたて、扉は閉ざされた。すると、葛の葉の目が闇に慣れるのを待たずに周囲の壁沿に
立てられた灯籠が灯る。そこは大きな空間を持つ広場、否、部屋であった。人ならば千、ネズミならば万は収まるだろう。
「良く来たな。酒はどこだ?」
 耳障りな、掠れた低い声がその場を埋め尽くす。そして、細い灯りに照らされた鬼が姿を現わした。葛の葉の三倍はありそうな巨体を揺らし、手に持った棍棒を肩に載せる。
「酒なんか無いわよ? 私はあなたの首級を頂にきたの」
 葛の葉はその禍々しい姿など全く気せず告げた。
「そうか」
 このあっけないやり取りで、戦いの火蓋は切って落とされた。
 葛の葉は腰に下げた長刀を抜き放ち、鬼は棍棒を天井に届くほど高く掲げた。先に動いたのは鬼、掲げた棍棒を
一気に地面へと落とす。轟音と共に地面が抉れ、石畳が四散する。が、そこにはもう葛の葉の姿は無い。
「火玉の呪」
 呪(しゅ)を唱える葛の葉の声は、遙か高い場所、それは先程掲げられた棍棒と同じ高さから放たれていた。すると、
その言葉が具現するように葛の葉から炎球が膨れ、鬼の振り落とした腕へと飛んだ。
「ぐぎゃあああああああ!」
 その室内を揺らす程の悲痛な声が建物全体に染み渡る。鬼の腕は燃え上がり、更に手、肩へとその火は広がろう
としていた。葛の葉はその様子をジッと見入った後、ぽつりと呟いた。
「……やっぱりね」
 橙の灯りに照らされた銀閃が走る。それは葛の葉が放った剣閃。鬼の炎上する腕を切り落としたのだ。かくして鬼は、
自らを覆い尽くそうとしていた火の難から逃れることが出来た。鬼の断末魔の様な声は収まったが、代わりに鬼は息を
荒げている。葛の葉は、身を屈ませて腕を押さえる鬼の鼻先へと長刀を向け、凛々しく言い放った。
「鬼にされた式神よ、主の名を吐け! 吐かねば今一度その身を焦がすと思え!」
 心なしか、最初より小さく見える鬼の姿。鬼は観念したのか、動こうともせずただ身を屈め、腕を押さえていた。
「火玉の呪」
 葛の葉の手の平から再び炎球が膨れあがる。そして……放たれた。

「首級をとったとな?」
 時金の声に明らかな驚きが含まれていた。今葛の葉がいるのは、最初時金にお目を通した部屋。時金の部屋であった。

323 名前:4/5 投稿日:2006/10/15(日) 22:13:18.85 ID:Wor70Xzl0
結果を報告しに参じた彼女は、時金の御前で頭も垂れずに、ただ一枚の紙切れを突きつけていた。
「首級を取った際、鬼は消え、代わりにこの紙切れが舞い落ちたわ。時金様? 
この人形の紙、式神の寄代(よりしろ)に見覚えがあるはずよね?」
 寄代とは陰陽術式神行使に使用される呪具の一つ。また式神行使とは、様々な形に変化させられる物の怪、
式神を、我が意志で操る術である。
 時金の顔は蒼白。冷や汗がつうっと頬を流れた。
「余にそのような物は扱えぬ……」
 心なし震える言葉と声に、最初ここで謁見した時程の張りはなく、どの目で見ても、時金が狼狽しているのが手に
取るよう理解できた。しかし、対する葛の葉の顔面にも余裕たる表情は見受けられなかった。そして意を決する様に、
彼女は寄代に息を吹きかける。
 途端、葛の葉の吐息に乗った紙切れである寄代は宙で遊び舞い、時金の頭の上へと降りようとした。その瞬間、
彼は素早く後ずさりその紙に触れぬよう逃れた。
「……」
 その様に周りの人間は黙り込む。何が起きてるのか解らぬ者もいれば、解るものもおり、場は様々な思惑の
交差する異様な沈黙が訪れた。すると、葛の葉がその沈黙を惜しみなく破り捨てる。
「時金様。心当たりが無いのならその紙に触れて下さい? その寄代に身に覚えがないのなら、何も起きないわ。
でも逆に、時金様が行使していた式神の寄代だとしたら……お解りですよね?」
 時金様が行使していた式神の寄代だとしたら、時金の身から発せられる気に触れた瞬間、
式神が具現するなど、何らかの変化が見られる筈であった。
 その場の全ての貴族、さらには真田も時金に注目した。
 時金はしばらくその紙、寄代を見つめた後、彼は降参するように呟いた。
「余の負けじゃ……皆すまぬ、今回の一件は余の酒を欲する心が招いたもの。どんな罰でも受け入れようぞ」
 時金は観念し、その場で事の次第を話した。
 鬼に似せた式神を奉り、酒鬼として山中に住まわせた。ただ酒を要求するという単純な仕事を任せて。御殿には、
自分に似せた式神を影武者として置き、自分は早馬を持って山中に赴いた。そこで、手に入れた酒を、共に連れ
参った女御たちと飲み明かしたという。これで都が貧しい今、御殿で酒を飲まない自分の名誉も守られ、致し方なく
差し出された酒も飲めるという、卑小な、しかし高度術を用いた茶番劇であったのだ。

 御殿を去る手前、葛の葉は真田に呼び止められた。
「待たれい葛の葉殿!」

324 名前:5/5 投稿日:2006/10/15(日) 22:13:49.49 ID:Wor70Xzl0
 葛の葉は立ち止まり、くるっと振り返る。
「他にも何か用があるのかしら?」
 葛の葉に追いついた真田は、多少息を切らしながら彼女に問いかけた。
「葛の葉殿、そなた時金様が黒幕であると最初から見抜いていたな? 何故か聞いておきたい」
 真田は討伐へ向かう馬車の中呟いた葛の葉の『まあ、その通りならいいんだけど……』
という言葉にどうも合点がいかず、彼女を呼び止めたのだ。
「そうね……まず、酒鬼にしては要求する酒の量が少ない。あと、時金様を初め見た時、
陰陽道をたしなむ者が発する独特の気を感じたから」
 なるほど、と真田は深く頷く。葛の葉は続けた。
「あと実際に戦った鬼が火の呪で燃え上がった事。本当の鬼なら火傷済む筈。燃え上がったのは、紙である
寄代で式神を行使していた理由に他ならないわ……そして最後、時金様がその寄代に触れようとしなかった事、
それが全ての理由よ」
 そう言って葛の葉は長い髪を風に遊ばせる。
「……そうであったか。いや、その一から十まで事の顛末を操るような葛の葉殿に感銘いたした。
時にその鋭さを生かし、この御殿で女官を務めてみないか? それなりの地位はご用意するぞ」
 何より真田は、陰陽道を行使する時金のお目付役として葛の葉の働きを期待していたのだ。
が、彼女は首を縦に振ることは無かった。
「私は魑魅払い。現世の事には興味がないので……それに今回ですら完璧ではないわ」
 名残惜しと見送る真田の目線を背に、葛の葉は残り香も残さず御殿を後にした……。

 帰り道。手に持った、時金の寄代を破り捨てる葛の葉。正確には時金ではなく、それは彼女の作った寄り代であった。
「ふう、何とかなったわ」
 葛の葉の破り捨てた寄代は風にさらわれ宙に消えていった。
 そう、葛の葉は時金の寄代を鬼の姿のまま、間違えて焼き払ってしまっていたのだ。証拠の寄代を時金に突き
つけた時、彼女は我が者顔でカマを賭けていた。つまり真田の言うような計画性など葛の葉は持ち合わせていない。
当然そのことは自分がよく知っていた。しかし、葛の葉は過ぎた事などどうでも良く、反省もない。ただ、次なる依頼に
思い馳せ、自宅への帰路をのんびり辿るのであった。

終わり



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