【 おとなはずるい 】
◆xy36TVm.sw




239 名前:おとなはずるい1/5 投稿日:2006/10/15(日) 18:42:13.43 ID:xZ+YUj6J0
「大人って、ずるいと思うんだ。色々と」
 悠太の言ったこの言葉が、そもそもの始まりだった。
「夜更かししても怒られないし、車に乗れるし、何よりお酒をあんなにおいしそうにぐび
ぐび飲んで、『お前らには早い』なんて言って一口もくれない。理不尽だ!」
 勢いこんで叫ぶもんだから、木の上にベニヤで作った秘密基地が揺れる。いくら体が小
さいからって無茶したらこんなところすぐ壊れてしまうぞ。
 悠太は小学生のくせに難しい本ばかり読んでいるので、時々よくわからない言葉を使う。
それでも言いたいことは口調で大体わかったので、俺もりふじんだ! と返した。
「そこで僕は考えた。もらえないならば自分で手に入れようと! 理不尽な体制を変えて
やるんだ! 暗いと不平を言うよりも、って奴だよ!」
 たいせいという言葉の意味は知らないけれど、俺もお酒に興味があったので頷いた。そ
れを見て悠太は満足そうに口元を吊り上げ、拳を突き上げながら言う。
「狙うは父さん秘蔵の日本酒! 酒蔵の冷蔵庫に新聞紙で包んで置いてある奴だ。これを
こっそりとかっぱらって、ここで飲もう」
「けど、もし親父にバレたらげんこつ一発じゃ済まないぞ。大丈夫なのか?」
「臆病だなぁ、亮二は。まあ弟だからしょうがないのかな?」
「双子に兄も弟も関係あるか! いいよ、やってやるよ。そんかわり、トチるなよ」
「任せとけって。来週の金曜日は創立記念日だろ? ってことは僕達が休みで父さんは会
社だ。これを逃す手は無いよ」
「なら、それまでに準備しとかないとな」
 にやりと笑って、お互いの拳をぶつける。
 悠太が思い立ってから、俺達の行動は早かった。計画を悠太が考えて、俺が二人分のこづかいを使って酒蔵(といっても、物置を造り替えただけの小さなものだが)の合鍵を作り、二人で親父が酒を取り出す時に酒蔵の中を覗いて、置いてある物の位置関係を調べた。
 そして、金曜日。決行の時が来た。
 学校は休み。親父はもちろん仕事。母さんは普段酒蔵に行かない。状況は完璧、晴れや
かな空は俺達を応援しているみたいだ。
「大丈夫、母さんは今洗濯物干してるからしばらくこないよ」
「よし、行くぞ」
「うん」
 お互いに人差し指を顔の前に出して、しーっというジェスチャーをする。

240 名前:おとなはずるい2/5 投稿日:2006/10/15(日) 18:44:26.08 ID:xZ+YUj6J0
 誰にも気づかれないように、忍び足で廊下を歩き、台所でコップを鞄に入れる。そのま
まそろりそろりと、家の隅にある酒蔵の前まで来た。ゆっくりと、合鍵を使って南京錠を
外す。静かに横開きの戸を開けると、目の前には真面目な親父が持つたった一つの趣味で
ある、様々なお酒のコレクション達が部屋いっぱいの棚に並べられていた。といっても、
母さんがあまりガミガミ言わないところを見るとそんなに高い物は無いのだろう。
 お酒が悪くならないように工夫された室内。窓は小さく、床は石だ。
 目的の日本酒用冷蔵庫は入り口から右にある。
 台所にあるのよりもずっと大きな冷蔵庫を開いて、中に並べてある包みを一本取り出し
た。親父が言うには新聞紙で光をさえぎることで味が落ちるのを防ぐらしい。
「よいしょっ、と。後はこれを持ち出すだけだね」
「案外楽勝だったな。鍵を戸棚なんかに置いておいたのが親父の敗因だ」
 顔を見合わせてにひひ、と笑いあう。さあ、お酒の味はすぐそこだ。
「じゃあこれリュックに入れて、早く出ようか」
 そう言う悠太の足元に小さな段差があった。
 悠太はリュックの中を見ながら歩いているので気がつかない。
「おい足元、気をつけろよ」
「え、うわっ!」
 ……この馬鹿、こんな時にすっ転ぶなんて。
 転んだ拍子にビンが割れ、部屋中に甘い匂いが広がる。それだけならまだいい、まだ隠
しようもあった。けど、悠太の奴そのまま勢いに乗って棚に体当たりしやがった。
 次々と棚に入っていたビンが落ちる。がちゃんぱりんがっしゃん。小気味良い音が全部
で七回。赤い液体が床に広がった。血じゃない。ワインだ。
 さすがに、大事なコレクションが八本も無くなっていたら親父も気づくだろう。
「うわぁ、パンツまでびしょぬれだ。気持ちわるー。……どうしよっか?」
「とりあえず大きな破片拾って、拭くしかないだろ。雑巾持っといて良かったな」
「予定とは使う場所が違うけどね……」


241 名前:おとなはずるい3/5 投稿日:2006/10/15(日) 18:45:20.34 ID:xZ+YUj6J0
 手を切らないように割れたガラスを集めて、ビニール袋に入れる。ちょっと袋が破れた
けど、この際しょうがない。
 ワインの濃い匂いで時々むせながら、床を拭く。悠太は諦め悪く棚のビンを並び換えて、
少しでもバレないようにしていた。
「よし、ひとまずはこれで大丈夫。ぱっと見じゃわかんねえよ。早く逃げようぜ」
「そうだね、母さんに見つかったら大変だ」
「あらあら、お父さんの大事なワインがこんなになっちゃって。きっと怒るわよ?」
「そうだなぁ。親父の説教は怖いから、しばらく外に行ってようぜ」
「お酒は名残惜しいけど、まあ仕方が無いか。覆水盆に返らずって言うし」
「お父さんに言って、たっぷりと叱ってもらわないとね」
 ……あれ?
「なーんかこそこそやってると思ったら、まったくもう。あとの掃除は私がやっとくから、
そのアルコール臭い体をお風呂で洗ってらっしゃい。二人とも怪我は無いわね?」
 母さんはちりとりとほうきを持って、てきぱきと細かい破片をかたづける。
「なんで気づいたの……?」
 恐る恐るといった具合に、悠太が尋ねた。母さんはため息をついて言う。
「あんな大きな音がしたらわかるに決まってるでしょ。大体、ここんとこあんた達が何かしようとしてたのも知ってたわよ。ほら、とっとと言うとおりにしなさい」
「はい……」「はーい……」
 二人揃って肩を落とし、風呂場に行く。当然だが、風呂釜は沸いてなかった。

「んで? 俺の大事な酒を八本もオシャカにして、反省してるか? 人の物を盗っちゃい
けないって、俺は教えてなかったか?」
 腕を組む親父の前で、俺達は正座させられている。ついさっき一発ずつもらったげんこ
つのせいで頭がじんじんと痛む。悠太の目には涙が浮かんでいるし、俺も同じようなもん
だ。身長、縮むかと思った。
「すいませんでした……」「ごめんなさい……」
「ったく、合鍵まで作るたあ恐れ入るよ本当に。……でもよ、合鍵作るためには鍵がいる
だろ? なんで鍵があるのにわざわざ合鍵なんて作ったんだよ。戸棚にあるのわかってた
んだよな?」
「あっ!」

242 名前:おとなはずるい4/5 投稿日:2006/10/15(日) 18:46:14.71 ID:xZ+YUj6J0
「盲点だった……」
 おいこら悠太言うことはそれだけか二人分の小遣い使ったんだぞどうしてくれる、とは
言わない。兄のうっかり癖を忘れていた俺の失敗だ。
 親父は笑って俺達の頭をがしがし撫でる。たんこぶにこすれて凄く痛い。
「にしても、懐かしいなぁ、俺も昔親父の酒かっぱらおうとして失敗したもんだ。全く、
最後でしくじる所まで似なくても別にいいんだぞ?」
 親父もこんな風にじいちゃんからげんこつをもらったのだろうか。そう思うと少しだけ
親父に近づけたような気がして、なぜだか楽しい気分になった。悠太も似たような顔だ。
「こらお前らなに笑ってんだ、ちゃんと反省してるのか?」
「あ、反省してますしてます」「ごめんなさいごめんなさい」
 ぺこぺこと頭を下げる。親父はそれを見て、耐え切れないとばかりに笑い出した。
「その必死で謝ってんだか生返事なのかよくわからない言葉、俺がガキの頃そっくりだよ。
ああ腹痛え、もういいや、二度とするなよ?」
「はい……」「もうしません……」
「じゃあこれで説教終わり。おぉい母さん、持ってきてくれー」
 はいはい、と言いながら母さんが台所から出てきた。その手に持ったお盆には、お猪口
がひいふう、みい、四つ?
「本当は体に悪いから駄目なんだが、ちょっとくらいならいいだろうってな」
 悠太の顔がぱぁ、と明るくなる。俺も同じ顔をしているに違いない。
「ありがとう!」「親父グーッド!」
 二人して親父の大きな背中に跳びつく。親父は鬱陶しそうに、でも笑いながら俺達を振
り払う。
「調子に乗るな馬鹿たれ共!」
「あうちっ!」
 本当に、親父はずるい。悪いことしたときはしっかり怒ってくれて、時にはちょっぴり
甘やかしてくれて、普段口には出さないけど、俺達のことをいつも考えてくれて。
 いつかはこんな風な男になりたいと、憧れてしまうじゃないか。
 母さんがにこにこ笑いながらお酒を注ぐ。悠太と俺は目を輝かせながらそれを見つめる。

243 名前:おとなはずるい5/5 投稿日:2006/10/15(日) 18:46:47.32 ID:xZ+YUj6J0
「うちの可愛い馬鹿息子達に、乾杯!」
 期待に胸を膨らませながら、お酒を口に含む。
 ……なんだ、これは。
 甘い匂いに騙された。なんだこの苦さは、辛さは。悠太はしきりに顔をしかめている。
俺もまさにあんな顔をしているのだろう。
「まだまだ子供には早い味ってこったな! わっはっは!」
 水を欲しがる俺達にそう言って、親父はうまそうにあんな苦い物を飲んでいる。
 どうやら、俺達が大人になれるのはまだまだ遠いようだった。

                                      おしまい



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