【 紅葉姫 】
◆ask//4X4X.




212 名前:紅葉姫1/5 ◆ask//4X4X. 投稿日:2006/10/15(日) 17:47:15.60 ID:GjY0LDA40
「さぁ、お抓み完成よ」
彼女は深皿一杯に酒の肴を盛ってきた。
「ただのクルミじゃねぇか」
その全てが胡桃。軽く炙ってあるようだ。
「ただのクルミじゃないわ。とってもいいクルミよ」
どん、と胡桃が目の前に置かれる。
ほい、と胡桃割り器を手渡される。
すっ、と、彼女は琥珀色の酒瓶を掲げる。
「紅葉なのに花冷えとはこれいかに」
「木の花と書いて『椛』だからな」
「当たり。よく解ったわね」
くすくすと彼女は笑った。
とくとくと猪口に酒が注がれる。
紅葉姫。彼女はそれを、鬼の名前だと言っていた。
「その昔、絶世の美女と言われた娘の名前よ」
「言われても解らん」
「酒呑童子ってお話、知ってるでしょ?」
「鬼退治の話だろ。源頼光の」
「それがねー、ひとつじゃなんだな。伝説は」
彼女はくっと猪口を傾けて、溜息をひとつ。
「酒呑童子を殺したのは陰陽師」
「……へぇ?」
俺は胡桃割り器にぐっと力を込める。
「安倍晴明よ」
心地よい音を立てて、胡桃は真っ二つになった。

214 名前:紅葉姫2/5 ◆ask//4X4X. 投稿日:2006/10/15(日) 17:48:58.68 ID:GjY0LDA40
今から千年も前の話。京の都一の美人と謳われる、池田中納言国方の一人娘が突然行方不明になった。
国方は悩み抜いた挙句、安倍晴明という占師に頭を下げて、娘の所在と安否を教えてもらうことにした。
「酒売り長者と名高い酒呑童子という男の仕業でしょう。あやつは伊吹山で生まれた悪い鬼なのです」と晴明は言う。
晴明を可愛がっていた一条天皇もその話を聞きつけ、天皇は日本一の武者である源頼光に姫の救出を命じた。
酒呑童子が酒の仕込みと言って都を離れるのを知った頼光は、逃がしてはならぬと急いで四天王を連れて童子を追う。
だが、大江の山奥で頼光達が見たものは、見たとこともない素晴らしい屋敷と、仲睦まじい童子と姫の姿であった。
幸福そうな二人の様子に一行は胸を打たれ、何もせずに都へ引き返すことにした。そのとき、背後から童子の悲鳴が聞こえた。
何事かと引き返すと、安倍晴明の率いる武者の軍団が屋敷に火を放ち、使用人を端から斬り捨てて回っているところであった。
頼光は声の限りを尽くして姫の名を呼ぶが返事は無い。
――程なくして、紅葉模様に染まった姫の着物だけが見つかったという。

215 名前:紅葉姫3/5 ◆ask//4X4X. 投稿日:2006/10/15(日) 17:49:59.96 ID:GjY0LDA40
「その後、酒呑童子と紅葉姫の姿を見たものは誰もいない」
語り終えた彼女は、小さく溜息をついた。
俺も大きく肩を竦ませる。
「俺が知ってるのと全然違うな」
酒は既に半分ほど無くなっていた。
その割に胡桃はあまり減っていない。
「あんまり知られてない異聞だから」
ぱき、と甲高い音がまたひとつ。
俺はさっきから胡桃ばかり食べている。
「さぁ、誰が鬼だったと思う?」
「誰も鬼じゃなかったんだろ」
彼女はとても驚いたようだった。
「……鋭いのね」
そう言ったきり、何も続けようとしない。
頬杖をついて、眠るように眼を閉じてしまった。
俺はふたつの猪口に酒を注ぎながら彼女に尋ねる。
「嘘吐きは誰だったんだ?」
彼女はまた溜息をつくと、片目を開けて猪口を傾けた。
「全員よ。……みんな嘘吐き」
吐き出すような言い方だった。
「参った。完敗よ。解答編をどーぞ」
軽い音を立てて、彼女は猪口を置いた。

216 名前:紅葉姫4/5 ◆ask//4X4X. 投稿日:2006/10/15(日) 17:52:09.44 ID:GjY0LDA40
今から千年前、池田中納言国方は、娘が酒呑童子と恋仲なのを快く思っていなかった。
国方は悩み抜いた挙句、安倍晴明という陰陽師に頭を下げて、酒呑童子を讒訴してくれと頼み込む。
「中納言国方殿が、酒呑童子を讒訴せよと仰いましたが、如何なさいますか」と晴明は一条天皇に言う。
国方が自分を騙そうとしたのが気にくわない天皇は、晴明と二人で源頼光を呼びつけ、一芝居打つことを命じた。
酒呑童子に酒の仕込みに行くと嘘をつかせて大江山で待ち合わせた頼光は、信頼の置ける四天王を連れて行く。
そして大江の山奥で落ち合った晴明と頼光一行は、童子と姫の二人に駆け落ち大作戦の話を持ちかける。
合意した童子と姫は着物に血を染み込ませ、晴明と頼光達は辺りの木を切り倒し、火を放った。
安倍晴明は二人にこれからどうすれば良いかを事細かに伝え、頼光たちは鎧や兜にそれらしく煤をつけた。
こうすれば、屋敷は完全に焼け落ちて、生き残った者もいないことになる。
――程なくして、紅葉模様に染まった姫の着物が国方に届けられたという。

217 名前:紅葉姫5/5 ◆ask//4X4X. 投稿日:2006/10/15(日) 17:53:34.20 ID:GjY0LDA40
「まっ赤な姫の衣を見て、国方は真っ青になりました」
俺は胸を張って高笑いをする。
彼女は大きく肩を竦ませて溜息をついた。
「胡桃の雄株の花は青い。雌株は花柱が赤い。これがオチだ」
「最悪。自信あったのに……」
彼女はうな垂れて俺に猪口を差し出す。
「残念。俺の圧勝だ。これで五戦四勝」
俺は一升瓶をゆっくり傾けた。
「はぁ……。次はもっと安いお酒にしよ……」
ラベルには『紅葉姫』の文字が刻まれている。
二人は幸せになれたかな、と、小さく思った。






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