【 おいしく飲もうよ 】
◆bhXaIQ6V5c




28 名前:おいしく飲もうよ 1 ◆bhXaIQ6V5c 投稿日:2006/10/15(日) 03:08:57.43 ID:8VYGDM+A0
 神酒『天恵☆大吟醸』という酒がある。その酒は天が数百年に一度、地上にもたらすという伝説の酒だ。
その香りと深みのある味、コク、喉越しには、あらゆる人種の人たちが歓喜の涙を流すという。
まさに神の名を冠するにふさわしい、素晴らしい酒なのだ。
 その酒が、実に一二〇年ぶりに、この地上にもたらされた。その数、実に十二本。
うち十一本は、すでに名のある富豪に買い取られてしまった。残り、僅か一本のみ。
その一本を巡り、激しい死闘が繰り広げられる――


 ここは島国。戦後経済が異常に発達した国、日本。この国に、残りの一本があった。
 その一本は、ある物好きな富豪が買い取り、彼が主催したあるゲームの景品になっていた。そのゲームとは、
「神酒を取り合い、最終的に奪ったものが、その神酒を得ることができる」つまりは単なる奪い合いである。
エントリー方法は至って簡単。このことに気付けばよいだけ。情報等はインターネットの掲示板に適当に流してある。
そんな状況で、何人が気付き、真実だと見抜くことができるのか。そこからもうすでに戦いは始まっているのだ。
誰も気付かず、期限内に奪うことができなければ、その神酒は主催者のものとなる。
 そのゲームの期間は、およそ十二時間。その間に何人の者が現れるのか。その戦いの火蓋は、今、切って落とされた――


 都内某所。年末で寒い深夜のとあるビルの中に、一人の男が入ってきた。
「ふぅん……こんな所に本当にあるのか?あんなお宝が」
その男は、年は二十代前半といった感じの若い男である。名は太助。無駄な筋肉は付いていない、すらっとした手足。身のこなしや鋭い眼光は、
只者ではない雰囲気を醸し出していた。それもそのはず。彼はとある組織の一流エージェントなのだ。
インターネットをしていてふと情報が目に留まり、開催場所が自宅の近くだったので、試しに見に来たのだ。

29 名前:おいしく飲もうよ 2 ◆bhXaIQ6V5c 投稿日:2006/10/15(日) 03:10:19.36 ID:8VYGDM+A0
「いやいや……ガセにしては酒の名前は本当だったし……本部に問い合わせたら最近神酒が出来たって言うし……油断は出来ねぇな……」
半信半疑だったが、ビルにはすんなりは入れたし、電気は消されているがエレベーターは生きていたので、ネタが真実であることを如実に物語っていた。
エレベーターに乗り込み、地下二階のボタンを押す。
がっこん! ぶぅぅん……
エレベーターが動き出した。地下に着くまでにいろいろと妄想する。
「ん〜……マジであったらど〜しよっかな〜……売っぱらおうかな〜。いやいやちょっと飲んでみたいかも……数百年に一度だもんな〜」
期待が膨らむ。売るにしても飲むにしても幸せになれる。そんな妄想に酔いしれていると、
きゅうぅぅぅん……がこん
到着したようだ。地下二階は巨大な広場になっており、その奥の中央に、ライトアップされた祭壇らしきものが鎮座している。
遠目では判らないが、おそらくあれがそうだろう。間違いない。彼は焦らず油断ない足取りで祭壇に向かった。


 と、そのとき。彼は気付いた。祭壇の近くに誰かがいる。どうやら先客がいたようだ。彼は慌てず、その人物に声をかけた。
「おいアンタ。アンタもそのお宝を頂に来たのかい? 悪いが、そいつは俺が頂くぜ」
語気を荒げ、軽く脅しをかけるように言う。するとその人物も軽い口調で言った。
「なんと。これはこれはこんばんは。まさか私以外に人が来ようとは思ってもみなかった。あんな情報で本当に来るとは……いやはや。参ったね」
挨拶をしながらおどけてみせる。彼は年のころは三十半ば、いかにも商社マンといった風情のスーツを着ている。中肉中背、こんな状況であっても
笑顔を崩さない。そんな男だった。しかし、只者ではない。そんな感じのオーラを放っていた。
「アンタもな。まさかあんな情報だけで来た訳じゃあないんだろ? なにかバックに付いてるな?」
軽くカマをかける。ひょっとしたら他の組織のエージェントかもしれない。それならちと厄介な相手だからだ。
「ほほう? キミは組織のエージェントかい。参ったね……こりゃ穏便にはいかないな」
少しも驚くそぶりを見せない。おそらく最初からわかっていたのだろう。彼は続けて言った。
「昔ね……所属していたよ。しかし今は引退してね。残っているのは情報網ぐらいのものだ」
「へぇ……ナルホド。先輩エージェントさんでしたか」

30 名前:おいしく飲もうよ 3 ◆bhXaIQ6V5c 投稿日:2006/10/15(日) 03:11:43.44 ID:8VYGDM+A0
ロートルか。ならば話は早い。とっとと奪って逃げよう。こちとら現役のエージェントだ。負けはしない。
そう思うと、太助は勢いよくダッシュした。相手は少し驚いてるようだったが、反応しきれていない。
もう少しで祭壇。跳躍。着地。奪取。また跳躍。そしてエレベーターに向かってダッシュ。疾風怒濤の早業だ。これには付いてこれまい。
太助はほくそ笑むと、走りながら振り向いて相手に向かって言った。
「ははっ! ここまでゴクローさん! まともに働いて金稼いだほうがよっぽどマシだよー!?」
と、言って気付いた。いない。どこにも。さっきまでいた場所に、いない。太助は焦って急停止し、あたりを見回す。
するとはるか先、エレベーターの方から声がした。


「ははっ。遅い遅い。そんな速さでは私を出し抜くことなどできませんよ? それにホラ、大事なものも簡単に奪われる」
言われて気付く。そういえば手に持った感触、重さがない。恐る恐る手を見てみると、そこにあった筈の神酒がない。
「なぁっ!?」
恐るべき早業。全速力で走る太助に気付かれず、尚且つ神酒を奪い、エレベーター前まで行くなんて。もはや人間業ではない。
太助は恐る恐る訊いた。
「お前……何者だ? 現役エージェントである俺にここまで……」
そこまで言って、太助は気付いた。かつて組織のエージェントにいた、神速の移動術「縮地法」を使うエージェントを。
「まさか! お前、噂に名高い『疾風の神速』か!」
彼はその二つ名を懐かしそうに聴いて、こともなげに言った。
「そうですよ。私がその『疾風の神速』です。まぁその名は、遠い昔に捨てましたがね」
 縮地法。それはありとあらゆる物理法則を無視して、亜光速まで加速する秘法。その様子がまるで地面を縮め、
その先へ一歩で移動したかに見えたことからその名が付けられた。一種の魔術的なものである。
「そうか……なら……勝てるわきゃねぇよな……ははっ」
太助は自嘲気味に笑った。しかし表情は晴れやかだった。伝説のエージェントに出会えたのだ。これ以上の幸せはない。こんど本部の奴らに自慢してやろう。
そこでふと気になったことを訊いてみる。

31 名前:おいしく飲もうよ 4 ◆bhXaIQ6V5c 投稿日:2006/10/15(日) 03:12:49.64 ID:8VYGDM+A0
「なぁ。その神酒、どうするんだ? やっぱ売るのか? それとも飲むとか」
純粋な疑問だった。その伝説の男のことが少し気になったのだ。すると彼は、笑顔でこう答えた。
「プレゼントですよ。ある人への。きっと、喜んでくれるだろう」
「へぇ……誰です? その幸せもんは。女の人ですか?」
太助は興味しんしんで訊いた。こんな超超超高級品を貰えるなんてどんな人なんだろう。好きな人だろうか。はてまた恩師か。
だが帰ってきた言葉は、どうも要領を得ないものだった。
「それがね……わからないんだよ。私にも。他人にも。まさに神のみぞ知るってやつだ」
笑顔でそう答えると、彼は歩き始めた。
「そろそろ帰らせて貰おう。私はまだ、これからしなくてはならんことがあるのでね」
そういうと彼は、振り返ることなく、悠然とエレベーターの中へ消えていった。
あとに残された太助は、しばらくエレベーターの方を眺めていたが、ふとまるで何かを見つけた子供のように顔を輝かせ、エレベーターへと向かって行った。
その後、彼が『紫電の神速』と呼ばれるようになるのだが……これはまた、別のお話……


 所変わって、ここはとある忘年会会場。本番を明日に控え、準備委員がせわしなく動いている。
そこに、一本の酒を持った男が入ってきた。それをみた女性社員が、微笑みながら男に話しかける。
「あ、桜井さん。どうですか? 忘年会のビンゴゲームの景品、持って来ました? 桜井さんが最後ですよ?」
そう言われた『疾風の神速』――もとい桜井さんが、笑顔で酒、神酒『天恵☆大吟醸』を差し出す。
「へぇ〜。お酒ですか。なになに? 『天恵……』まぁいいか。とりあえず、こんなもんでしょ」
軽く言ってその辺の台に置く。その価値を知ってる人がいれば卒倒するだろうが、そんなことはどうでもいい。
「そうとも。美味い酒は価値がどうこうではない。ただおいしく、飲んで幸せになればいい。そうだろう? 神よ――」
そう呟くと、彼は美味そうに、安物の缶チューハイをかるくあおった――



おしまい



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