【 空の落としもの 】
◆wDZmDiBnbU




53 名前:No.13 空の落としもの (1/4) ◇wDZmDiBnbU 投稿日:06/10/08 12:45:19 ID:ErZeUIuu
 落ちこぼれ、というのはきっとこういうことを言うんだろう。文字どおり、こぼれるよ
うな見事な落下。落ちたところが何もないだだっ広い丘の上だったのが不幸中の幸いか。
 私は大の字に寝転がると空を見上げた。結構な高さから落ちたはずだが別段どこも痛く
はない。これで何回目だろう。飛ぶ練習をしているはずが、今ではすっかり受け身のスペ
シャリストだ。これでは明日の仮免試験も通りそうにない。目を閉じて想像してみる。見
事な落下、そして落第。私は落胆した。
「お姉ちゃん、魔女なの?」
 突如隣から響いた声に振り返る。子供だ。六、七歳くらいの男の子。つやのある猫っ毛
に、大きくくりっとした瞳。なかなかの美少年だけど、この遠慮のない態度はいかがなも
のか。己の無力に一人打ちひしがれているこの私を、のんきな顔で覗き込んでいる。
 オーケイ坊主、いい度胸だ。私は身を起こし、この子にびしっと言ってやることにした。
「違います。魔女じゃありません。あっち行きなさい」
「嘘だ、魔女だよ。あっちの空からフラフラと落ちてきたもん」
 どうやら一部始終を見ていたらしい。暇な子供め。というか、フラフラながら頑張って
飛んでた所まで落ちてる扱いですか。
「落ちてません。あと魔女でもありません。まあ将来的にはその予定だけど、今は『魔』
のつかないただの女よ。いや、強いて言えば『美』とかつくかも」
「ねえお姉ちゃん、連れてってよ、空」
 聞いちゃいない。全く、魔女じゃないと再三言っているのに。そもそもライセンスもな
いのに勝手に空を飛べるはずがない。それが許されるのは免許を持った正式な魔女と、あ
とは涙ぐましい努力をしている健気な美しい乙女ぐらいのものだ。私とか。
「だから無理よ。免許ないし。ほうきどっか行っちゃったし」
 そう、空を飛ぶにはほうきがいる。なぜなら魔女だからだ。落ちた拍子にどこかへ行っ
てしまったようだけど、まあ無くなってしまったものはもう仕方がない。さっき学校の掃
除用具入れから借りてきたほうきだが、あれはひどい乗りにくさだった。あんなものは無
くなって当然だ。むしろ無くす。


54 名前:No.13 空の落としもの (2/4) ◇wDZmDiBnbU 投稿日:06/10/08 12:45:31 ID:ErZeUIuu
「ほうきならあるよ! ほら!」
 男の子はそう言うと、喜色満面、私の目の前にほうきを差し出した。なるほど確かにほ
うきはある。だが、甘い。私があんなボロほうきで飛んでいたのは、全て貧乏のせいだと
いうのに。私はこの子に大人の事情というものを教育してやることにした。
「あのね、魔女のほうきってのは、あんたが庭の掃除をするようなオンボロとは――」
 そこまで言って気がついた。この子の差し出したこのほうき、明らかに魔女用だ。柄は、
なんだろう、樫か何か、高そうな古い素材。彫刻のような装飾がしつらえてあり、その中
にはところどころ私じゃ読めない高等な呪文っぽい何かが刻んである。おまけに緑色の宝
石のような何かが三つも埋め込まれている。明らかなオーダーメイド的な何か、それもか
なりの上級魔女の、とにかく何かすごいものだ。すごい。
「あんた、これ……」
 私の狼狽を察したのかそれとも逆に気づいていないのか、男の子はほうきを私に押し付
けると、私の背後に回ってしがみついた。いいから飛べ、ということか。
 確かに、飛べるかもしれない。このほうきなら。
「……しっかり捕まってて。初めてのほうきは加減がわからないから」
 私と男の子はほうきにまたがった。すぐさま心の中で詠唱をはじめる。飛べ飛べ私。周
囲の空気が張りつめ、魔力が満ちてゆくのがわかる。結構なスピードが出そうだ、落ち着
いて――そう思っても、はやる気持ちは抑えられない。柄の宝石が鈍く輝き、周囲の芝生
がざわめいた。巻き起こる辻風。それも、かなり強い。鼓動が高鳴る。私は柄を強く握り
しめた。
「どこに行く?」
「うんと高い所……雲の上まで」
 オーケイ少年、お安い御用だ。
 次の瞬間、私たちはまるで地面からはじき出されるように空へと舞い上がった。


55 名前:No.13 空の落としもの (3/4) ◇wDZmDiBnbU 投稿日:06/10/08 12:45:47 ID:ErZeUIuu
「さすがにちょっと寒いわね」
 初めて来た雲の上の世界は、思っていた以上に何もなかった。本来なら空気の薄さと気
温の低さでもうたまったものじゃないのだろうけど、オーダーメイド品の魔力のおかげか、
ほうきの上はとても快適だった。全く、これはとんでもないほうきだ。これ、なんとか私
のものにできないだろうか。
「お姉ちゃん、誰もいないね」
「何言ってんの、こんなところに誰もいるわけ――」
 男の子は震えていた。寒いのだろうか。いや、これは、違う。まさか、泣いてる?
「大丈夫?」
 男の子は答えない。そのかわり、私の腰にまわした手に力を込めた。そのとき小さくつ
ぶやいたその言葉が、私に聞こえないはずがなかった。
 おかあさん。
「……あんた、お母さんを探してたのね」
 返事はない。
「雲の上にいるって、そう聞いたの?」
 うなずく気配。しばらくしゃくり上げたあと、やっとのことで男の子が答える。
「ほうき、家に忘れてったから……」
 そうか。だからほうきを届けに行きたかったんだ。そしたらお母さんが帰って来れるか
ら――私は、なんて言っていいのかわからなかった。
 しばらく、二人で空の上にいた。陽はもう傾きかけている。もうじき、星空も見える頃
だろうか。
「……帰ろっか」
「うん」
 遮るもののない雲の上で、西日がとても眩しかった。

56 名前:No.13 空の落としもの (4/4完) ◇wDZmDiBnbU 投稿日:06/10/08 12:46:00 ID:ErZeUIuu
「お姉ちゃん」
 すっかり日の暮れた丘の上で、私は男の子と並んで座っていた。
「何?」
「僕、最初、お母さんが帰ってきたのかと思った」
 初めてだったから。空の上から、女の人が落ちてきたの――少年は、消え入りそうな声
でそう言った。なるほど、それで一部始終を見ていたわけだ。この子は、こうして毎日空
を見上げていたのだろうか。お母さんに一番近い、この丘の上から。
 私は、男の子に言った。
「このほうき、大事にしなさい。もう知らない人に貸したりしちゃ駄目よ」
 少年は、黙って私の顔を見つめている。暗くてよく見えないが、多分、その目はまだ赤
い。
「私、魔女になる。ちゃんと自分の力で空を飛んで。そしたら、また一緒にどっか行こう。
今日よりもっと高い所でもいいし……自信はないけどね」
 そう言って、私は笑ってみた。相変わらず表情はよく見えないけど、少し安心したよう
な様子は伝わってくる。この子に比べたら、私なんてのんきなものかもしれない。明日の
仮免試験、受かるかな。いや、やっぱ無理だ。絶対落ちる。でも、いつかまた、雲の上ま
で飛んでみたい。今度は自力で。そう思った。
 丘の下に遠く、町の灯りが見える。この子が雲の上から落とした涙も、この街のどこか
に落ちたのだろうか。男の子の横顔を見ながら、私はふと、そんなことを考えた。



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