【 とべない鳥、とぶ 】
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48 名前:No.12 とべない鳥、とぶ (1/5) ◇pt5fOvhgnM 投稿日:06/10/08 12:04:18 ID:ErZeUIuu
 ペンギンが羽ばたく、青々と茂る桜の木の上から。
 羽ばたき、羽ばたき、羽ばたき――落ちた。
 彼は腹からグラウンドへと墜落し、砂塗れになりながらもがいている。
 その様子を少し離れた所から見ている少女がいた。
 ありとあらゆる感情の欠落した人形のような少女だった、少なくとも表面上はそうとしか見えなかった。
 彼女は静かにその様子を眺め、彼が動かなくなると救急箱を持って彼の元へと歩んだ。
 何秒間か彼の姿を見下ろした後、救急箱を開き手当てを開始した。消毒し、絆創膏を貼る。傷に染みたのか時折彼の体が跳ねた。
 むくり、と体を起こしたペンギンは一礼し、言う。
「手当てをありがとうカナ殿。無限の感謝を貴女に」
 カナは指先でペンギンの嘴の先を突き淡々と言う。
「祝、墜落五百回」 
「むっ、もう五百の大台に乗ったのであるか。さすがは我輩、不屈の闘士にして不屈の闘志」
「君の場合は諦めが悪いだけ」
 さも意外と言わんばかりにペンギンは両手を振り回す。
「何を言う。この騎士セルバンデスの辞書に諦めの二文字は無いのだ。我輩の誇りにかけて、我輩は空を飛ぶ、否、飛ばねばならぬ」
 カナは無感動な眼差しでペンギンを見る。
「ペンギンに爵位を与える酔狂な王の存在なんて聞いた事が無い」
「良いのだ。騎士とは心の有り様、世俗の権力や下らぬ政治など真の騎士には無意味」
 さり気なく目を逸らすセルバンデス。
 少女の容赦しない追撃。
「自称?」
 セルバンデスが硬直する、液体窒素の中に放り込まれた金魚のように。
 そして二人は沈黙する。
 一分、二分、五分、十分が過ぎた。根負けしたのはセルバンデスの方で、溜息混じりに呟いた。
「大事なのは心の有り様だと我輩は思うのだ」
 そうね、と彼女は呟いた。
 同意された事が余程嬉しかったのか、楽しげにセルバンデスは跳ねる。
 その頭を撫でるようにして押さえるカナ。
 セルバンデスを完全に押さえつけるとおもむろに口を開いた。
「どうして飛びたいの?」

49 名前:No.12 とべない鳥、とぶ (2/5) ◇pt5fOvhgnM 投稿日:06/10/08 12:04:31 ID:ErZeUIuu
 つぶらな瞳を限界まで大きくするセルバンデス。
 なにやら両手をもじもじとさせ、照れ臭そうに答える。
「その、我輩憧れの姫君がおって、な、格好良く、こう、空を飛んで、姫君の元へ降り立った我輩は花束を差し出し――」
 彼女はセルバンデスの妄想交じりの戯言を清聴する。
 やがて、チャイムの音が響いた。
 セルバンデスの話はまだ続いている。
 またね、と呟いて少女は去っていった。
 そんな事には全く気づかずセルバンデスは恍惚と語り続けている。

 走って、跳んで、羽ばたいて、落ちて――まるでそういうサイクルで動く玩具のように。
「また見てるんだ」
 走り回るセルバンデスを眺めていたカナは声の主を振り返る。
 カナの友人が呆れたような表情を浮かべていた。
 気に留めた様子も無く静かに返事をするカナ。
「可愛いよね……空を飛びたいんだって、頑張ってる姿」言うと、再びセルバンデスへと視線を戻した。
「あんたってたまにおかしな事を言うよね」
「おかしな事?」カナの視線はセルバンデスに向けられたまま、動かない。
「ペンギンと話をしてるみたい、ペンギン語でも習ったの?」
「私じゃない」小さく首を振る。「セルバンデスが喋るの」
 重症ね、とカナの友人は呟く肩をすくめて首を振った。
「……私の前だと、喋る」
 友人はもう一度肩をすくめた。
「まぁ、あんたの趣味に口を出すつもりは無いけどさ」
 一度言葉を切り、彼女は視線を教室の出入り口辺りに向ける。
「もう少し周囲に気を配った方が良いよ。さっきからあんたのお姉さんがあんたを呼んでる」
 くるり、と振り向くカナ。
 扉の辺りではカナと良く似た女性――カナの姉が半分泣きそうな表情でカナを見ていた。
 カナは頷くと機械人形のように乱れない足取りで姉の方へと向かっていった。

 放課後、カナはいつものようにグラウンドでセルバンデスを探す。

50 名前:No.12 とべない鳥、とぶ (3/5) ◇pt5fOvhgnM 投稿日:06/10/08 12:04:42 ID:ErZeUIuu
普段は校門近くの木の上か、部活動中の生徒に混じって走り回っているセルバンデス、今日はそのどちらにも姿は無かった。
セルバンデスの姿を求め、歩き回るカナ。手には例の救急箱がある。
 ふと、彼女の視線が止まる。
 校門からグラウンドへ続く道の中ほどにある、一本の大きな杉の木。
 あろうことか、その天辺にセルバンデスは立っていた。
 高さはおおよそ六メートル。彼が普段登っている桜の木の二倍少々の高さ。
 彼女の表情にほんの微かだが驚きが浮かぶ。
 このあたりはレンガブロックで舗装されている。グラウンドや校門付近のように柔らかい土の地面ではない。
 カナが救急箱を放り捨てるのと、セルバンデスが跳んだのは同時だった。
 跳ぶセルバンデス――走るカナ。
 落ちていくセルバンデス――地面まで四メートル。
 走るカナ――セルバンデスまで五メートル。
 加速度、落下、スピード――地面まで、一メートル。
 間に合わない、そう判断したカナは、跳んだ。
 疾走の勢いのまま、ヘッドスライディングのように。
 彼女の伸ばした手の中、落ちてくるセルバンデス。
 少しだけ口元を歪めたカナ、小さすぎるほど小さい、安堵の笑み。
 そして、彼女はレンガの床に体を酷く打ちつけた。
 両膝、両肘の擦過傷。殆ど全て皮がはげ、ピンク色の肉が覗き、血に混じってじくじくとした粘液が流れている。
 立ち上がった彼女の足元で、完全に取り乱したセルバンデスが右往左往している。
「酷い怪我ではないかカナ殿! 我輩の治療に使っておるあの不可思議な箱はいずこへ? この場合は水であるか? 塩? 魚?」
 訳の分からない事を叫んでいるセルバンデスを抱き上げるカナ。
「死ぬよ、君」
 セルバンデスの目を見て、静かに、だが、はっきりと彼女は言う。
 彼女に似つかわしくない、強い声。
 うろたえるセルバンデス。
「しかし……我輩の考えによるとやはり飛翔に足りないのは高度では無いかと、現にカラスやワシの連中は高い所に巣を――」
 遮り、彼女は告げる。
「君は飛べない」
 セルバンデスの体から力が抜ける。


51 名前:No.12 とべない鳥、とぶ (4/5) ◇pt5fOvhgnM 投稿日:06/10/08 12:05:05 ID:ErZeUIuu
「君は飛べない、ペンギンだから。絶対に飛べない、助走をつけて跳んでも、高い所から落ちても、決して飛べない」 
 そっ、と彼女はセルバンデスを降ろした。
「だから、高いところから落ちたら死ぬ、もうやらないで」
 二人の目が合う――カナの水に沈んだ村のような静謐な瞳と、セルバンデスの深い悲しみを湛えた瞳が。
「カナ殿、我輩は愚かかもしれないが馬鹿では無いよ。残念だ。貴女は我輩を信じていてくれるのだと思っていた」
 そう言って、彼は静かに去って行った。
 その後姿を、静かにカナは見ていた。

 それからも、彼は跳び続けた。
 だが、杉の木には近寄らなかった。
 彼の横に、カナの姿は無い。一人で、彼は跳んだ。それは酷く寂しげな姿だった。
 何回目かの墜落をすました彼の傍に一人の女性が立つ、カナの友人である女性が。
「ね、カナと喧嘩した?」
「喧嘩ではないな、意見の相違という奴だ」
「……ほ、本当に喋るなんて、あんたどこの不思議世界生まれ?」大袈裟なほどに驚く彼女。
 セルバンデスは困ったように嘴を歪める。
「生憎我輩はそのような面白い出生は持っておらぬ、期待に沿えず申し訳ない」
「ああ、うん、こっちこそごめん。それはおいといて、その意見の相違ってのを詳しく教えてくれない」
 彼女はシニカルに笑う。
「凄い落ち込んでてね、カナ。何ていうのかなどんよりとした暗い雰囲気を教室中に撒き散らされて困ってるのよ」
 しばらくの間、セルバンデスは悩んでいたが、カナの為、と彼女に言われ不承不承話し始めた。
 全て聞き終わった彼女は非常にあっさりと告げた。
「なんだ。簡単じゃん」
 目を真ん丸くしたセルバンデスが見上げた彼女の顔は綺麗な微笑を浮かべていた、救いの女神と形容するのは少々粗野だったが。

 胸中で溜息をついた。その数は今日だけで三桁に突入している。
 カナは一言で言えば困っていた、同時に怒ってもいた、言うまでも無くセルバンデスに。
 そのセルバンデスを彼女はここ数日見ていない。彼女だけでなく他の人間もだ。
 もう二度と会わないのだろうか、彼女は漠然とそんな事を思っていた。
 そんな、時。

52 名前:No.12 とべない鳥、とぶ (5/5完) ◇pt5fOvhgnM 投稿日:06/10/08 12:05:18 ID:ErZeUIuu
――セルバンデスは舞い降りた。
 いっそ優雅とさえ言えるほど美しい着陸。彼の背中には小型のハングライダーのようなものがあった。
 ぽかん、としながらも、心のどこかで、成る程、これなら水鳥でも飛べるな、と彼女は感心していた。
 セルバンデスの手にはどこからか手折ってきたらしき数本の白い花。
 花をカナの前に差し出し、彼は言う――
「我が愛しき姫君よ、忘れる事などできようも無い。四月一日の日、桜並木の下を歩く貴女に心を奪われた哀れな騎士の想いを――」
 切々と、歌い上げるように彼は言い。彫像のようにがちがちに緊張しながらカナの返事を待つ。
 静かに全ての台詞を聞いていたカナは、こう答えた。
「それ、私じゃなくてお姉ちゃん。私、四月一日は風邪で休んだから」
 彼らの間を一陣の風が吹き抜け、セルバンデスの手にある花が散った。
「セルバンデス殿、君は私と姉の区別がつくと思っていた」
 未だに硬直しているセルバンデスの横を早足で通り過ぎ、カナは進む。
「ま、待たれよ、カナ殿!」
 見栄も何も無い滑稽な懸命さでセルバンデスがカナを追う。日頃の訓練の賜物か、ほどなくして彼はカナに並んだ。
「その、人違いであったかも知れぬがな、この燃えるような想いに嘘は無いのだ!」必死の形相で訴えるセルバンデス。
 侘び、嘆き、笑い、なだめ、困り、彼の持つありとあらゆる手段を費やして許しを請うていた。
 ふと、セルバンデスは気がついた。カナの唇がほんの少しだけ歪んでいる事に。
「笑っておられるのか、カナ殿」
 カナは足を止め、言う。
「今回だけは許してあげる。大事なのは心の持ちよう、だから」
 彼女の許しに両手両脚を動かし、跳ね、全身で喜びを表現するセルバンデス。
 カナはそんなセルバンデスを抱き上げ、嘴の先に口付けた。
 喜びあまって飛び上がるセルバンデス。
 飛び上がったのは良いのだが、ハングライダーを背負っている彼は落ちる事無く、風に流されていく。
 それに気づいた彼はカナの所に戻ろうとじたばたと全身を動かすが風の方向が変わるわけも無く――
――電柱に激突し、落ちた。
 その様子を静かに眺めていたカナは鞄の中から救急セットを取り出すしセルバンデスに向かって歩き出した。
 何だか、凄く、楽しそうに。



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