【 恋に落落落落落落落ちて 】
◆2LnoVeLzqY




400 名前:恋に落落落落落落落ちて1/4 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/10/07(土) 23:44:00.89 ID:l7W1R/NV0

ちらりと横目で鏡を見る。
髪型よし、服装よし、白い歯の覗く笑顔もよし。
自堕落な生活の片鱗は、どこにも見えやしないだろう。
大学のときはナンパ無敗を誇った俺も、今となっては社会人。
けれどまだまだ、その腕は落ちちゃいないはずだ。
新品の靴に両足を沈め、もう一度だけ鏡を見やる。
あの娘の名前は、落合絵美佳。
新入社員のひとりだが、仕事もできるし何より可愛い。
さりげなく頼んだら、メールのアドレスはすぐに教えてくれた。
俺もまだまだ落ちちゃいない、何よりの証拠だなと思った。
玄関のドアを力いっぱい開く。
夕方の空はどんより曇っているが、そんなことで落胆する俺じゃない。
息を吸って、大きく吐き出す。
よし。
絶対に、彼女を落としてみせる。

待ち合わせの場所は駅前にした。
彼女の家からは電車ですぐだし、俺の家からは歩いて十五分だ。
待ち合わせの時間までは、まだ余裕がある。急ぐ必要はないはずなのだ。
それなのに一歩づつ歩くごとに、鼓動が早まるのがはっきりわかった。
落ち着くんだ、俺。
あわてる必要など、どこにもないのだから。


401 名前:恋に落落落落落落落ちて2/4 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/10/07(土) 23:45:05.71 ID:l7W1R/NV0
だが数分後、急に空模様が怪しくなった。
みるみるうちに雲が厚くなり、空から雨粒がどっと落ちてきた。
あわてて俺は走り出す。
この靴とジャケットを、彼女と落ち合う前に濡らすわけにはいかないからだ。
コンビニを見つけ、そこに転がり込む。
だが雨宿りをしていくわけにはいかないのだ。
待ち合わせ時間に遅れたら、それこそ俺の評価がガタ落ちてしまう。
コンビニの窓ガラス越しに外を見る。雨は、てんで上がりそうにない。
こんなところにお金を落とすのは気にいらなかったが、ビニール傘を買ってコンビニを出た。

駅に着くと、既に彼女はやって来ていた。
お世辞にも立派とはいえない駅なので、屋根が無いところもあり、彼女の化粧は雨のせいで少しだけ落ちていた。
それでもしかし、彼女はお世辞がいらないほどに可愛らしい。
肩までのショートヘアには軽くパーマがかかっていて、薄手のジャケットにロングのスカートは、落ち葉が舞う季節にはぴったりだ。
お洒落には気を遣っているようだし、髪型だって似合ってる。
そして何より、中学生かと思うぐらいに胸がまっ平らなのだ。
彼女の可愛らしさと、まるでふくらみのない胸。
その落差が、すごく、いい。

かねてから目をつけていたレストランに、彼女を連れて行く。
もうすぐ夕食の時間とあって、店内はそれなりに混んでいた。
それでもムードだけは一級品。さすがは俺の選んだ店だ。
周りに人がいないような、奥の席を選んで座る。
まるで落書きのような絵画が飾ってあるが、見る人が見れば芸術なんだろう。俺にはわからない。
二人とも同じスパゲッティを注文し、それが来るまでどうでもいいことを話して笑いあった。
会社での印象よりも、彼女はずっと洒洒落落な女性に思えた。
話し方はハキハキとしているし、俺の言葉ひとつひとつにも相槌をうってくれる。
だがこういうタイプは、あまり物事に執着しない人が多いということを、大学時代の経験から俺は知っていた。
もしかしたら、恋愛でも。
難攻不落の城に挑む覚悟がいるな、と俺は思った。

402 名前:恋に落落落落落落落ちて3/4 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/10/07(土) 23:46:02.11 ID:l7W1R/NV0

出されたスパゲッティはとてつもなくおいしかった。
それこそ、ほっぺたが落ちるぐらいだ。彼女も同じ感想を持ったようだった。
だが、料理だけで満足してはいけないのだ。
食べ終わるとすぐに二人ぶんの会計を済ませ、店を出てから夜の繁華街に繰り出した。
雨がすっかり上がっていたのは幸運だった。
天は間違いなく俺に味方している、と思った。

雨上がりの繁華街は、想像以上に美しかった。目からうろこが落ちるって奴だ。
濡れた街灯からは、きらきらと光る雫が滴り落ちていた。
雨上がりには虹がつきものだが、虹の見えない夜も悪くないな、と思った。

しばらくの間、繁華街の中を歩いていた。
とりとめのない会話が続いていたが、俺の頭は人通りの少ない通りを探していた。
もちろん理由は、ひとつしかない。
そうして、そんな通りはすぐに見つかった。大学時代の勘が、まだまだ残っていた。
周りを確認する。街灯は、二人の影だけを道路に落としている。
俺は彼女を抱き寄せる。彼女も抵抗はしない。
唇と唇が限りなく近づき、そして――


403 名前:恋に落落落落落落落ちて4/4 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/10/07(土) 23:47:42.47 ID:l7W1R/NV0

「だーめ」

――目の前に、人差し指が立っていた。
嫌だという、意思表示。
なぜ。どうして。何もかもが予定通りだったはず。
腑に落ちない、なんてもんじゃない。おかしい。そんなはずはないんだ。
何も言えずにいると……彼女は俺に薬指を見せる。
――完全に、見落としていた。
そこに嵌められていたのは、銀色に輝く指輪。
「あ、結婚は、まだしてないよ」
彼女は意味もなく取り繕う。
しかしそれが示すのは、彼女はもう、他の男の手に落ちているという事実。
「晩ごはん、ごちそう様」
今日は、カレが出張なんだよね。そう言い残して、彼女は小走りに去っていく。
追う気なんか、全く起きない。
レストランでの会計は、二人ぶん、俺が払った。
彼女が仕掛けた罠の中に、俺はまんまと落ちたのだ。
今にも落ちてきそうな満天の星が、俺の頭上で輝いていた。いっそ落ちてくればいい。


――というところで目が醒めた。
これが本当の、いわゆる夢落ち。
嫌な夢を見ちゃったな……と思いながら、重たい体を起こす。
枕元の時計に、ちらりと目をやる。
大丈夫。待ち合わせには、まだ時間がある。
雨の音は聞こえない。けれど、折りたたみ傘は持っていこう。
俺なら、できる。
現実でなら、絶対に彼女を落としてみせるさ。



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