【 ふたりの空中回廊 】
◆Pb2bZPfrxk
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149 名前:ふたりの空中回廊1/6 ◆Pb2bZPfrxk 投稿日:2006/10/02(月) 00:17:06.22 ID:Hb396TdA0
日本から、四季が消えた。
玄関のドアにつけられてる新聞の受け取り口を覘くといつも通りの紙が入っていた。
俺はため息をつくと、その息が凍って足元の靴達に落ちてしまわない内に早々と居間に戻った。
一階建てだというのにこの一軒家はどこにいても冷気が這いずるから困る。
居間のドアを閉め、いつも通り夕飯の材料を物色すべくパソコンのマウスに触れる。
スタンバイの解けたパソコンに映しだされた表示。それを見て俺は初めて気付いた。
「今日、海の日か」
ぼんやりと口に出して、その言葉が一人の部屋に浮かぶのを感じた。
俺は少しだるい体を起こしながら、何カ月かぶりにカーテンを開けた。
そこにはやはり胸糞悪くなるような雪景色が広がっていた。
日本から四季が消えたのは、もう何年前の話だろう。
遠い昔の冬の始まりは未だに終わりを告げていない。
ここのところ天変地異だと騒ぐだけの連中も減った。春はこないと気付いたのだろう。
だから外を見て雪が降っていようが雹が降っていようが今現在の俺にはどうでもいい話だ。
ただ、問題は人間の方だ。天候に合わせた生活様式とやらを全員に押し付けてくるのはやめて欲しい。
民家の外れに立つ俺の家からの風景は、さながら子供の頃笑い飛ばした大昔の二十一世紀予想都市図のようだ。
俺は今しがたポストに入っていた市役所からの手紙を思い出してもう一度ため息をついた。

 チャイムが鳴ったのは生憎にも用意した遅い朝餉を台所から居間に運ぼうとする丁度その時だった。
いつもならネット注文した食材は正午に届く。とすれば、考え得る来訪者は一人しかいない。
俺は恐る恐る玄関へ向かい、インターホンを見た。残念ながら一人の少女が映っていた。
『おはようございます、本田さーん』
「うちにはテレビないんで」
『理奈ですから! NHKじゃないですから! もう、わかってやってますよね。
寒いんですよ、とりあえず玄関開けてくださいよ』
インターホンに手袋をすり合わせる様子が映った。俺は仕方なしにチェーンを外しドアを開けた。
灰色で眩い光とさらさらとして痛い冷気が俺をすり抜け廊下に侵入してく。
それに紛れて理奈は玄関からは入ってきた。肩ほどの黒髪に雪が少しくっついてる。俺は少々呆れた。

150 名前:ふたりの空中回廊2/5 ◆Pb2bZPfrxk 投稿日:2006/10/02(月) 00:19:46.46 ID:Hb396TdA0
「だからさ、俺は繋ぐ気はないんだよ。わざわざ寒い中歩いてきて貰って悪いけど」
「だったら私が暖かい中来られるように繋いでくださいよ、渡り廊下。」
理奈はもう何度言ったかもわからない台詞を言った。俺はどうしたらこいつが来なくなるか頭を抱えた。
朝の手紙といいこいつといい、そもそもは全てこの通称渡り廊下とやらが原因だ。
これで日本中のビルというビル、家という家は、くっついてしまった。
くっついたというのはつまり、建築物間に特殊でチューブ状の空中回廊が渡されたのだ。
俺の窓からの風景をドラえもんで描く未来みたいにしたのもこの透明な渡り廊下だ。
政府に言わせれば日本の技術の結晶。寒い道路に出なくても移動できるよう開発された。
元々は寒害で深刻な問題を抱えた農業組合が、雪で人の歩けなくなった北の県をひとつ丸々買い取り、
工場やプラント等建物全部をこの渡り廊下で繋ぎ往還にしたのが始まりだという。
それなら農業用にだけ使っていればいいというものだ。取り付け拒否をした者に勧告を送りつける代物じゃない。
「だから、俺の気も変らないって」
「でも本田さんがうんって言わなきゃうちの工事も始まらないんですよ」
もう何日連続だろう。ほとんど見知らぬ少女とのこんなやりとりも、あんな渡り廊下がなければ起こらなかった。
「もうとりつけていない家なんてこことうちぐらいですよ。本当お願いしますよ」
「お前もいい加減しつこいな。帰ってくれ」
俺の言い合いの締めくくりは大抵これだ。理奈の気丈さは感心に値するが同時にうんざりする。
大抵、諦めませんよなどといいながら理奈は帰っていく。毎日こんな不毛の繰り返しだ。
「お味噌汁ですか?」
だが、理奈からは俺の全然予想もしてなかった言葉が発せられた。
「は」
「お味噌汁の匂いがする、これお味噌汁ですよね」
確かに台所には先程出来上がったばかりの味噌汁がある。
「あのお味噌汁、少し飲ませて貰えませんか。そしたらすぐ帰りますから」
味噌汁味噌汁連呼しながら理奈は今まで見せたことのなかった神妙な顔つきを見せた。
どうしてこんなこと言い始めたか。少し考えてすぐ思い当たった。
つまり、こいつは作戦を変えたわけ。家に入り込んで懐柔しようって魂胆だろう。
「一杯だけだからな」
「ありがとうございます!」
言うが早く、理奈は目を輝かせ台所へ飛び込んでいった。俺より早く。

151 名前:ふたりの空中回廊3/5 ◆Pb2bZPfrxk 投稿日:2006/10/02(月) 00:23:47.82 ID:Hb396TdA0
こいつがそういうつもりなら、俺も本気で諦めさせてやろうじゃないか。

台所に入ると、理奈が勝手に味噌汁を温めていた。
俺は理奈を居間に座るように言い、お椀に二人分味噌汁をついで台所を出た。
「……お母さんのお味噌汁の味がする」
一口飲んで理奈は今までの五月蝿さが嘘のように呟いた。
「そりゃすごい。お前の母さんは料理が上手いのな」
「さあ、どうなんでしょうね。ただ母さん、本田さんの本いつも読んでたらしいから」
本、そう言われて一瞬額に得たいの知れないものが走った。
「それ、どういう意味だ」
「どうもこうも、本田芳樹って昔一世風靡した天才料理人でしょ。知ってますもん。
何でこんな奥地で御隠居みたくニートしてるかわからないですけど」
「そうか、お前知ってたのか……まあ、ちょっと殺されてな」
きょとんとする理奈に俺は自分が何を言ってるのか一瞬わからなかった。
殺された。冬に殺された。自分でも押し付けがましい表現だと思った。
「まさか……本田さんの料理の腕に嫉妬したライバル料理人に拷問にかけられたとか」
ごくりと理奈が息を飲んだ。俺はずっこけた。
「んなわけあるか。まあな、母ちゃんがいるなら言っておけ。
今じゃあの本通りに作って旨く出来るのは味噌汁くらいだってな」
そう言って、俺は忌々しく冷蔵庫の方をみた。
そう、昔と遜色なく味を保ってるのは味噌くらいだ。
日本の急激な気温の変化が食品類の質を壊滅的と呼べるほどに落として久しくなった。
俺が天才料理人の名を投げ捨てたのもそんな食材への幻滅からだ。
何を作ってもまずく感じる。昔の味が出ない。料理への幻滅。
さんざもてはやしたマスコミは、そんな理由で料理界を捨てた天才料理人をワイドショーのスターに仕立て上げた。
あの日々は思い出すだけで背筋に何かが這ってくるような感触を今でももたらす。
――俺はもう、人間も、天才料理人なんて肩書きもこりごりだ。
だからあんなパイプのような渡り廊下など繋がずそっとしておいて欲しい。

152 名前:ふたりの空中回廊4/5 ◆Pb2bZPfrxk 投稿日:2006/10/02(月) 00:26:02.24 ID:Hb396TdA0
「それに別に俺のことはどうでもいいんだよ。お前さ、もっとよく考えてみろよ。
工事で繋がるのは俺の家だぞ? こんな得たいの知れないような男とくっつくんだぞ。
今もひょいひょいあがりこんで、お前俺がお前を食べちまうとか考えないわけ?」
「私が食べに来たんじゃないですか」
――真っ白。何を言いだす、と考えてるうちに、ダメだ。目が一気に少女の生足に釘付けになってしまう。
待て、相手は一回りも違う少女だ。いやでも女だ。いやいや。まずい。頭の中で警鐘がなる。
「やーいひっかかった変な顔! お味噌汁ですよ、お、み、そ、し、る。」
「お、おまえなあ」
がっかりしたようなほっとしたような、でもやっぱりがっかりしたような気分になった。
「あははは。……でもよかった。本田さんに会えて。母さんの本もないし、本田さんの本、
今本屋さんに置いてないし。このお味噌汁、一生飲めないと思ってたから」
俺は眉を少し顰めた。
「どういうことだ?」
「私のお母さん、死んでるんです。本田さんのファンだったんだってことは昔お祖母ちゃんから聞きました」
理奈はもう一口啜った。
『母ちゃんがいるなら言っておけ』俺は先ほど、理奈に言った言葉が蘇った。
「それは…悪いこと聞いちまったな。それじゃ今祖母ちゃんと暮らしてるのか」
「ううん。お祖母ちゃん、一ヶ月前にね」
理奈は、そこで言葉を飲み込んだ。そしてゆっくり俺から目線を外した。
静かにお椀を置いた。コトリという音がやけに響いた。
「一ヶ月前にね、亡くなったんです」
理奈が俯いた。肩が小さくまるまる。その肩が、小刻みに揺れだすのがわかる。
「お、おい……」
俺は腕を伸ばした。が、そっと引っ込めた。喉からはそれ以上何も出てこなかった。
自分の迂闊さを呪った。かける言葉が見当たらない不甲斐無さも恨めしかった。
「あっ、やだ。ごめんなさい。こんなつもりじゃなかったんです。」
理奈はさっと、自分の涙を拭って、俺のほうに笑いかけた。
「そう、ただ……このお味噌汁、すごくおいしかったから」
理奈の手元には、空になったお椀があった。

153 名前:ふたりの空中回廊5/5 ◆Pb2bZPfrxk 投稿日:2006/10/02(月) 00:27:22.46 ID:Hb396TdA0
「もう一杯、作ろうか」
そう言うと、理奈はそっと頷いた。


 台所と居間はつづきにあって、部屋と部屋はドアさえ開けていれば見渡せる。
俺は下ごしらえをする。小さな静けさを破ったのは理奈の方だった。
「夏、来ませんね……春も秋も、なんにもない」
ふと見ると理奈は先程明けたカーテンの方をしきりに見つめていた。
こちらからは顔が見えない。わざとなのだろう。
けれど声は震えていなかったので、俺は鍋と交互に理奈を見た。
「でもお前が物心ついた頃には四季なんてなかったんじゃないか」
「うん。十六年前、丁度、私が生まれた冬からこなくなったんです。春」
「それは運がよかったな」
理奈はきょとんとしてこちらを向いた。
「どうしてですか」
だし汁が出来上がり、長ネギ、大根と、少々の隠し味を入れていく。
「知らないほうがいい。下手によかった頃を知っちまってるせいで、
昔にしがみつくようになるくらいなら、何にも知らないで今を受け止めてるほうが気が楽だ」
「でも、見てみたかったなあ」
理奈は視線を外に戻しながら言った。
「私、お父さんもお母さんもいないんです。二人とも私が生まれた冬に起きた火事で、
私を守るように死んだんですって。だから私今までずっとお祖母ちゃんと二人暮しでやってきたんです。
そのお祖母ちゃんがね、いつも聞かせてくれたんです。日本の四季って、すごく綺麗なんだって。
春は風が優しくて、夏には海に裸で入って、秋には美味しい食べ物が生る。
夢みたいな当たり前の日々だったけど、お母さんやお父さんはそれをすごく大切にする人達だったんだって」
理奈はなおこちらを見ず机に肘をつけて外を眺め続けているようだ。
「だから、きっとお母さんとお父さんが死んだ時、季節は悲しんで、
二人と一緒に命の回転を止めてしまったんじゃないかって思うんです」
だしの蒸気と、空気が溶けあうように時間が流れる。
「私、取り残されちゃった」

154 名前:ふたりの空中回廊6/5 ◆Pb2bZPfrxk 投稿日:2006/10/02(月) 00:28:21.61 ID:Hb396TdA0
理奈は明るい口調で言ったが、どこか漂う寂しさは拭え切れていなかった。
俺にはその話はロマンティックで甘ったるい乙女趣味な夢物語にしか聞こえなかったけれど、
覗き見た理奈の眉が苦々しく寄せられていて、俺は何も言えなくなっていた。
何よりこいつの周りに誰もいないのは物語でもなんでもない。
「ごめんなさい、いきなり上がりこんで、変な話して」
「まあ、どうせ退屈なニート暮らしだ。人の話聞くのも悪くない」
そういうと、背後から理奈が少し笑うのが聞こえた。
俺は当初理奈が上がりこんだときの自分の意気込みを思いだして、一人苦笑した。
もしかしたら、まんまと理奈の罠にひっかかったのかもしれない。

出来上がった味噌汁をお椀に注いでいると、考えが入り乱れる頭で俺はふと閃いた。
両手に味噌汁を持って居間に戻ると理奈はもうなんでもないという風に座っていた。
俺は理奈に味噌汁の椀と箸を渡すと、机から数歩分歩いたとこにある窓を盛大に開けた。
「うわ、本田さん寒くないんですか?」
「いいからお前もこっちこいよ、旨いぞ」
理奈は意味がわからないといった表情をしながら、俺のいる引きガラスの大窓までやって来た。
外からは風という風と冷気が我先にと特攻してきていた。
「やっぱり、寒い」
理奈は不満そうな声を出した。しばらく凍えそうになりながらその風を受け、
その後俺は味噌汁を一口啜った。理奈もそれに倣うように一口すすった。
「……おいしい」
味噌汁からは先程より目に見えるようにほんわかと白い湯気がたち昇っていた。
「すごい、幸せ」
「なあ。寒い中で食べる温かいものは最高だよな。だから、味噌汁が一番旨いのは冬だ」
理奈がこちらをみる。
「そのお椀持ってると手もあったかくなるだろ。夏じゃそんなの感じもしない」
ずずーと音を立てて俺は味噌汁の椀を傾けた。
「コタツもないし鍋もしない。布団の有難さも他の季節にはない。あんたの両親は、大好きな季節を連れて行く変りに、あんたのために冬の世界は残しておいたんだ」

155 名前:ふたりの空中回廊7/5 ◆Pb2bZPfrxk 投稿日:2006/10/02(月) 00:29:06.17 ID:Hb396TdA0
「冬の、世界?」
「そう、冬の世界。きっとお前の両親はさ、冬が一番好きだったんだよ」
理奈はぽかんとした。そうだろう。我ながら恥ずかしくなるような考えだ。
だが、理奈は一拍置いた後そっと窓に手を寄せ、身を添わせて、遠くを眺めた。
「冬の世界……世界、か……」
うっとりしたような、泣きそうな、そんな声で理奈は呟いた。
「……そっか」
外は雪で一杯で、繋がれたパイプにだけは雪が積もっていなくて、その中で、俺はみた。
理奈の目線の先、血管のように走る空中廊下の中で一つだけ、ぽつんと切り離されたように立つ家。
たった一軒だけ、屋根に雪の降りかかっている家があった。俺は理奈をみた。
そうだ、きっと理奈の家の窓からみても雪が降り積もっている家が、たった一軒だけある。
「あの変なパイプのさ、廊下の入り口って、どうなってんだろな」
「知らないんですか、扉ですよ」
窓から顔をはがして理奈が言った。
扉。確かにあの空中回廊にも無数の扉があるに違いない。ここからじゃそんなものは見えなかった。
でも、どうやって家と家を繋いでるかとか、そういう構造を俺は知らない。
「よくわからないな」
「私もよくわからないです」
「そっか」
「そうです」
「ついてないもんな」
「ついてないですからね」
そう言うと、二人で吹き出してしまった。
気がつけば俺は笑っていた。理奈も笑っていた。
「お味噌汁、おいしかったです」
「あー別に台所に持ってかなくていいぞ」
理奈は、はーいと言いながら、結局台所の流しにお椀と箸を片しに行った。
我ながら、現金だな。
俺は今しがた理奈に説いた考え方と、ここ数年の自分の考え方の大きな違いに苦笑いをした。

156 名前:ふたりの空中回廊8/5 ◆Pb2bZPfrxk 投稿日:2006/10/02(月) 00:29:48.62 ID:Hb396TdA0
冬に殺されたなんて考えを変えて、冬をもっと彩る。そんなこと考えてもいなかった。
俺はもう一度窓の外をみて、少し、ひょっこりと考えが浮かんだが、ちょっと馬鹿らしいかなと思った。
でもとりあえずやってみれる気もしなくない。そんな考えが現金だ。まったく。
「今の味噌汁がさ、もっとおいしくなるって言ったらどう思う?」
「決まってるじゃないですか、嬉しいですよ」
こちらに戻りながら理奈は晴れやかな声で言った。
「本田さん、見たくなりません?扉」
「……ちょっとだけならな」
このまま断って理奈がこちらにくるのを待つのも悪くなくもない、
なんていたずら心で言うのも楽しそうだったが。
俺も、全てが繋がるなら北へ行こうか。北の農業地帯で昔を知る料理人の舌を活かして今の食材の味との比較を、
いや、昔なんて比べようもならないほど旨い食材を作る手助けをしてやろうか。
「扉が繋がったら、本田さんちにまた来ていいですか?」
「今度は手土産もって来てくれ」
そう言うと理奈はあっと口に手を当てた。
二人か、一人か。それはわからないが、どうやら北に行くのは当分先になりそうだ。
工事が終わり二つの孤独が繋がったなら今度は理奈の家に俺が行こう。
まだ見ぬあの空中回廊の扉を開けて。





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