【 赤 】
◆Awb6SrK3w6




142 名前:赤1/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/10/02(月) 00:10:56.41 ID:jokfGISj0
 目に焼き付くような赤だった。 
 受験に対する期待と不安で押し潰されそうな心を抱えた18歳の僕に、
初春の陽光に照らされたその門は、とても印象的に映っていた。
 東京都は文京区。それ自体の歴史は、大学の設立よりも古い。
加賀百万石で有名な前田家の屋敷の主門として立てられ、今は日本の最高学府の象徴として聳えているその門こそが、
黒い学生服に身を包み、日々勉強に身を勤しんできた僕の目的地であり、憧れの対象であった。
「これが……赤門」
 隣にいる小斉の瑞々しい唇から感嘆が、飛び出していた。
雪深い北の大地から、同じ志を胸に抱いてやって来た彼女の大きな瞳にもその門の赤が映っていたのだろう。
 僕たちは受験生として、東京大学を訪れていた。

 僕はこの時まだ挫折を知らなかった。全国でもそれなりに有名な故郷の六年制の進学校に入学し、
その中でも常にトップを維持し続けた僕が目指すのは、当然、東京大学だった。
 文一や理一と言うように、東大の受験方法は学部毎ではなく一定の科類が定められている。
三百人や四百人受かる文一や文二。千人以上入学が認められる理一などには興味はなかった。目指すのは東大の中でも最難関。
 理三だけが僕の目指す東京大学だった。
 日本には、数十万の受験生が存在する。
 だが、東大の理三に受かることを許されたのは僅か九十名だけである。
 だから、むしろそれは当然の事として受け止めるべきだった。
 僕の番号が、合格発表の一覧に無いことは、極々当たり前のことだったのだ。

143 名前:赤2/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/10/02(月) 00:11:28.49 ID:jokfGISj0
 頭がボーッとしていた。
 受験前に引いたくじは、ケチの点けようのない大吉だった。
 試験においては、満足のいく解答を書き上げ、用紙を真っ黒に埋めた。
 入手した解答速報は、僕に合格していると告げていた。それなのに。
「……落ちてる、のか」
 バンザーイ、バンザーイと胴上げされている合格者とその取り巻きの歓声をBGMに、
僕は一人しゃがみ込んでいた。
 握りしめられくしゃくしゃになった受験票に書かれた数字と、一覧にある数字を、何度も何度も確かめる。
 しかし。
「無い」
 自分で呟いたその言葉が目を、耳を、頬を、熱くする。
 人目を憚らず、僕は涙を流していた。初めて味わった挫折の屈辱に耐えることができなかった。
「受かるよ、西山君ならできるよ」
「ああ」
 理一に合格した小斉が、僕の顔を覗き込んで、優しく言葉を投げかけていた。
 半ば涙が混じった目に、彼女の顔と赤門の丹が滲んでいた。

 それから、僕は懲りもせずに理三を受け続けた。
 結果は三年連続の不合格。次こそは次こそはと期待を膨らませては、赤門に断られ続ける年月を送っていた。
 三浪となった僕に対し、親はとうとう怒りを発した。
「いい加減、自分の実力を見直したらどうなんだ!」
 そう言って、僕を怒鳴りつける親に泣いてすがりついて、許して貰った四度目の受験だった。
 これに落ちれば、大学進学さえ諦め、就職することに専念するとまで僕は親に言ってしまっていた。
 だからこそ、妥協はしたくなかった。
拒み続けるあの赤門を、理三に受かった東京大学の学生としてくぐることだけを僕は考えていた。

144 名前:赤3/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/10/02(月) 00:12:01.24 ID:jokfGISj0
 だが。結果は不合格だった。
 何もかもが、どうでも良くなろうとしていた。
高卒として、どこかの中小企業に就職し、平凡な人生を送る。
そんな今からの自分など、僕には考えることができなかった。
 理想だけは高く、身勝手で傲慢な僕が、合格者発表の看板の前にいた。
 だからである。僕があのような事をしたのは。身勝手で、理不尽なあのような事を。
 不合格になった責任を、あの丹色の門に全てなすりつけるような真似を。

 目に焼き付くような赤だった。
時は既に深更である。草木も人も眠る夜、浮かぶ月と都心の電灯の光だけが
僕の視界を支える頼りであるというのに、丹塗りの赤き大門は実に鮮やかに映っていた。
 いつもの夜ならば、きっとその色は闇に紛れてしまうだろう。だが、今日は違った。
今日の夜の赤門は、昼間の如き、いや、それ以上の赤を湛えていた。
何故、夜というのにそのようにはっきりと赤が見えるのか。理由は実に簡単な事である。
 僕が、門に火を放ったからだった。

 パチリパチリと音が立つ。
僕を拒み続けたその門が、燃えてゆくのを私はただ立ち尽くして眺めていた。
 まかれた灯油が気化してゆく臭いが、風に乗って僕の鼻を刺激する。
普段なら、不快として捉えるその悪臭が、今は甘美な香りとして僕はそれを捉えていた。
 木が火で弾けるその音に混じり、サイレンの音が鳴り響き始めていた。
 おそらく、誰かが通報したのだろう。消防車のそれと、パトカーのそれが混じり合っている。
 だが、僕はその場を動かなかった。いや、動けなかったというのが正しかった。
 僕は、虜になっていた。
 僕が放った門に灯る火が、僕の夢まで燃やしてゆく光景の、である。

145 名前:赤4/4 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/10/02(月) 00:12:38.67 ID:jokfGISj0
 赤門放火事件が、新聞の一面を騒がせた数ヶ月後、刑務所に服役していた僕に一人の来訪者があった。
 小斉である。
 狭い面会室で久しぶりに僕たちは、顔を見合わせていた。
 ガラス越しの彼女は、学生服を身にまとっていたあの頃と変わらない顔だった。
今も崇高な志を保ち、勉学に励んでいるのだろう。その小顔が僕にはとても美しく見えた。
 それに比べてみれば。ガラスにうっすら映る自分は随分酷い顔だった。
四年前、志を抱いていた僕たちは、同じような顔をしていたというのに。
 そのような慨嘆が、僕の心中にあふれ出していた。
 門をくぐった人間と、門を燃やした人間には、今は冷たいガラスが間に挟まるだけである。
「門を、壊したかったんだ。自分を二年も、三年も四年も、拒み続けるその門を」
 力無く突っ伏す僕を、ガラス越しの彼女は何も言わずに眺めていた。



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