【 鏡扉 】
◆KARRBU6hjo




125 名前:鏡扉1 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2006/10/02(月) 00:00:15.94 ID:nIBOA1Mx0
 ミヤがいなくなった。
 本当に、唐突に。
 僕たちが目を離したほんの一瞬の隙に、何時の間にかミヤは忽然と姿を消していた。
 があがあとカラスが啼いている。鮮やかなオレンジ色に染まった空が堪らなく不吉で、僕たちの不安をより一層掻き立てた。
 嘘だろ、と関谷が言う。どうなってんだよ、と泉も言う。
 ミヤは、本当にさっきまでそこに居た。そこで何時ものように、俺たちの会話の中に混ざって、手を叩いて笑っていた。
 でも、居ない。もう居ない。皆で探し回ったけれど見つからない。
「――隠されたんだ」
 誰かが言った。
「神様に」
 ざあ、と。まるで図ったように、木々の間を風が通り抜ける。
 その風が何故か氷のように異様に冷たくて、僕たちは揃って肌を震わせた。
 九月三十日。静森神社の岩戸の中。
 ミヤが、消えた。

 僕たちの村にはとある伝承があった。
 『神隠し』。子供が突然いなくなる、山奥の村の、ある意味定番の伝承。
 それだけならば、別に珍しいモノじゃないのかもしれない。だけど、この村の神隠しにはもう一つ、ある特別な要素があるのだ。
 それは、消えた人間が還って来る『扉』がある、という事。
 静森神社の岩戸の中、そこで祀られている古い鏡こそが、その『扉』なのだそうだ。

127 名前:鏡扉2 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2006/10/02(月) 00:01:05.18 ID:nIBOA1Mx0
「聞きました?また子供が隠された、っていう話」
「ええ。何でも、今度はあの宮子ちゃんだったみたいで」
「毎度の事だけれど、やっぱり心配ですよねぇ。今度はウチの子供が消えたらと思うと」
「本当にねぇ。そう言えば、最初に消えたのは宮子ちゃんのお兄さんでしたかしら」
「ああ、そういえばそうですね」
「秋里さんも大変ですわねぇ。兄妹揃ってなんて」
「全く、本当に。大丈夫なのかしらねぇ」
「まぁ、大丈夫だと思うわ。だって、今までの子も、皆帰って来たんだもの」

 ミヤが消えた岩戸の前で、僕たちは三人とも黙って座っていた。
「……なぁ。これからどうするよ」
 どちらかがようやく口を開く。それが関谷か泉か、僕はそれを判断する気も起きなかった。
「どうする、って言ったって」
 今喋った方ではない方が答える。
「いつまでもこうしている訳にもいかないだろ。宮子はいなくなっちまった。本当に隠されちまったんだ。俺たちがどうにか出来るのかよ」
「どうにかしないといけねぇだろ!」
 怒鳴り声。煩いな。そんな事、皆分かっている。
 ミヤがいなくなってからもう三日。既に捜索隊は打ち切られ、村の人たちはミヤを心配する素振りを見せながらも、彼らの日常に戻っていた。
 村の人間が特別薄情という訳ではないんだろう。僕が彼らの立場だったら、多分同じ行動を取っていたに違いない。
 神隠し事件は既に四度目。その上、他の三人は一、二週間でひょっこりと帰って来ているのだ。
 この状況で、何時までも緊張を保っていろ、という方が無理な相談なのかもしれない。
 だけど、僕たちは違うのだ。
 ミヤの神隠しの当事者である僕たちは。
「高志! お前も何か言えよ!」
 怒鳴られる。関谷が僕の胸倉をつかみ上げた。
「……話すのが一番いいんだろ」
 僕の声に、ビクン、と手が震える。一瞬、関谷の顔が強張った。
「……何がだよ」
「分かってるだろ。僕たちの知ってる事を大人に話して、捜索隊をもう一度結成してもらう。どう考えても、それが最善策だ」

128 名前:鏡扉3 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2006/10/02(月) 00:01:44.15 ID:nIBOA1Mx0
 関谷の顔が歪む。僕は力ずくで関谷の手を引き剥がして、もう一度地面に座り込んだ。
「出来ないんだろ、二人とも。僕が言おうとしても、多分止める。じゃあ、待ってるしかないだろ。ここで、ミヤが戻ってくるのを」
 苦渋の表情で、関谷と泉が顔を見合わせる。そうして二人とも、同じように腰を下ろした。
 岩戸の扉は開いている。その奥ある古い鏡が、僕たちを嘲笑うように微かに光っていた。

 ミヤは僕の妹で、村の爺さん婆さんたちからは神童なんて呼ばれているようなヤツだった。
 昔から異様に物覚えが良く、学校の勉強の成績は常に一番。小四のくせに高学年の授業内容も完全に把握し、既に僕の中学用の教材に手を付けていた。
 神童とまでは言わないまでも、僕の妹は確かに抜群に頭は良かったのだ。
 でも、それだけだ。確かにミヤは頭が良かった。小四の癖に料理も出来たし、何をやらせても完璧にこなせるようなヤツだった。
 だけど、それだけだ。神童なんて呼ばれるような器じゃなかった事を、僕は知っていた。
 神童と呼ばれ年寄りたちにチヤホヤされていたミヤは、何時からか同じ年頃の子供たちに敬遠されるようになっていた。
 遊び相手のいないミヤは、そのうち兄である僕に付いて回るようになる。
 年齢も性別も違う僕たちのグループの中に、ミヤはよく混ざって遊んでいた。
 ミヤは頭がいい。だから僕たちが遊ぶ環境にも直ぐに順応して、その上で色々とやらかしてくれた。
 山の中で鬼ごっこをする時は何度もミヤの奇襲にやられたし、秘密基地を作る時にはミヤの発案なしじゃ完成しなかった。
 木の枝でチャンバラをする時なんかは、ミヤは右手に鍋ブタ左手に木の枝、頭には鍋そのものを被って現れたりもした。
 ミヤは何時の間にか僕たちのグループの紅一点にのし上がっていて、僕たちにとっても欠かせない存在になっていた。
 だから、ミヤには隠し通す事は出来なかったのだ。僕たちの悪巧みを。

 日が暮れて、家に帰った。
 当たり前の話だけれど、村の中で僕の家族だけは、未だにミヤの行方不明を引き摺っている。
 お母さんはミヤが消えた当日から寝込んでいるし、お父さんは今まで無用だった胃薬を飲み始めた。
 そしてお祖母ちゃんは、寝室の神棚に向かってずっと手を合わせている。
 ……僕の時も、この家はこんなだったのだろうか。ミヤは、僕と同じような気持ちだったのだろうか。
 せめてわたしには教えて欲しかったよ、とあの時ミヤは言った。
 ごめんな、ミヤ。謝るよ。土下座する。
 だから、教えてくれ。今、どこにいるんだ?


129 名前:鏡扉4 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2006/10/02(月) 00:02:23.98 ID:nIBOA1Mx0
 三週間が経って、ミヤは帰って来なかった。
 お母さんが町の病院に入院して、お父さんも胃炎で医者通いになった。
 家に帰ると、そこにはお祖母ちゃんしかいない。でも、お祖母ちゃんはもう神棚に手を合わせるのは止めていて、僕を気遣ってくれていた。
 正直に言うと、こんなにもお祖母ちゃんが居てよかったと思った事は今まで一度もなかった。何かと口うるさいし、独特の喋り方も苦手だった。
「長いなぁ、宮子ちゃんのお出かけは」
「うん。……何でなんだろ」
「そうやなぁ……。高志は、神無月を知っとるか?」
「神無月?」
「そう。十月の別名でな、この一月は神さんが一つの所に集まって話し合う月なんや。もしかするとミヤちゃんは、それに巻き込まれたんかもしれんねぇ」
 そう言って、お祖母ちゃんは僕の頭を撫でる。よく分からなかったけれど、何となく、お祖母ちゃんの言う通りなのかもしれない、と思った。
「お祖母ちゃん、聞いて、欲しいんだ」
「ん、どした?高志」
 もう遅いのは分かっている。でも、もう無理だった。関谷と泉と約束したけれど、もうどうでもよかった。
 僕は、一気にまくし立てた。
 以前の、三つの神隠しの真実を。

 提案したのは僕だった。ミヤが居ない時、静森神社で遊んでいて思いついたのだ。
 面白そうだ、と関谷は賛同してくれた。少し乗り気でなかった泉も、いざ順番になってみると、思い切りはしゃいでいた。
 人が消える神隠し。でも、この村には還って来れる伝承がある。
 だから、僕たちは神隠しに『なった』。
 方法は簡単だ。家に帰らない。ただそれだけ。隠れて捜索隊をやり過ごし、山の中で生活する。
 勿論、一人でじゃない。僕たちは協力して一人ずつ、山の中で背徳感とスリルのサバイバルを満喫したのだ。
 見つかってしまったら、その時点で止めるつもりだった。だけど、事は上手く運んでしまった。
 村の人たちは、全員僕たちの失踪を神隠しと思い込んでいた。ただ一人、ミヤを除いては。
 ミヤは泉が神隠しになっている時にこっそりと僕の後をつけて、消えている筈の泉を見つけてしまった。
 それで結局、僕たちはミヤに種明かしをしてしまったのだ。
 本当は、ミヤを巻き込むのは嫌だった。この危険な遊びに、まだ小四のコイツを関わらせたくなかったのだ。
 だけど、ミヤは言った。わたしも隠して欲しい、と。
 そして。『発見』現場予定の岩戸の下見に行った時。ミヤは、僕たちに隠される前に、神さまに隠された。

131 名前:鏡扉5 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2006/10/02(月) 00:03:04.08 ID:nIBOA1Mx0
 その一週間後、十一月一日。神無月の終わり。
 岩戸の鏡の前で、僕は呆然と座っているミヤを見つけた。
 ぼろぼろだった。あちこちに擦り傷が出来ていて、服もほとんど破けていた。だけど、生きていた。
「……あれ? お兄ちゃん?」
 立ち尽くす僕に気づいて、ミヤは不思議そうに首を傾げた。

「本当はね、お兄ちゃんたちを困らせてやるつもりだったんだよ」
 僕におぶさって、ミヤは笑いながら言う。
「お兄ちゃんたちのイタズラは度が越してたから。だから、お兄ちゃんたちに隠されてる間に、本当に神隠しになってやろう、って」
 ミヤの身体は軽かった。多分、この一ヶ月で痩せたんだろう。
「お兄ちゃんたちがどんな大変な事をしてたのか、教えてあげようと思って」
 あの鏡の端っこをね、ちょっと削ってやったんだ、とミヤは言った。
「……この、馬鹿野郎」
「ごめん。でも、お兄ちゃんたちも悪いんだからね」
 くすくすとミヤは笑う。
「こんな事になるなんて、思ってなかったんだ」
「それはお互い様。さ、早く帰ろ?」
 背中の重みが心地よい。
 帰ったら、取り合えず皆に土下座しよう。
 お父さんとお母さんと、許してくれたお祖母ちゃんと、村の人たち全員に。

 終。



BACK−選択の時 ◆VXDElOORQI  |  INDEXへ  |  NEXT−幽霊の出る家 ◆xZX.1KPwQU