【 封印 】
◆XUywXrYWA.




87 名前:封印 1/5 ◆XUywXrYWA. 投稿日:2006/10/01(日) 23:36:49.40 ID:EeroM7O30
 異様だった。

 部屋に一歩踏み込んだ瞬間、軽い目眩にも似た感覚が私を襲った。
 賃貸マンションの安っぽいドアを一枚隔てて、こちら側だけが、日常から切り離された異質な空間になってしまっている。
 閉めきった窓、きっちりと引かれた遮光カーテン。昼間だというのに、まるで、洞窟のように薄暗い。
「灯り、つけますわ」
 同行した中年の刑事が、クセのある話し方でそう言うと、壁際のスイッチを操作する。幾度かの瞬きの後、蛍光灯の冷たい光が室内を照らす。明るくなった室内で、私は言葉を失った。
 薄暗いときには分からなかったその色彩が明るさの中でくっきりと浮かび上がる。赤い。部屋中が真っ赤だ。壁といわず、床といわず、いたるところに赤い荷造り用のガムテープがべたべたと貼られている。
「目張り。したみたいですわ」
 呆然とする私に刑事はそう説明した。たしかに良く見ると、窓の縁やドアの周囲、壁に空いたスイッチの穴、果てはフローリングのつなぎ目まで、隙間という隙間にきっちりとテープが貼られている。
「死体は、こちらの寝室で発見されましたな」
 刑事がすたすたと奥のほうに歩いていく。私もそちらのほうに移動する。ベットとサイドテーブルだけのがらんとした寝室は、リビングと同じように隙間という隙間が赤いガムテープで塞がれていた。
「死因は?」
 何かを思い出すようにベットを凝視する刑事に、私はそう問い掛けた。
「検死の結果を待たんと、なんとも……。死亡推定時刻は昨日の午前二時から三時の間、目立った外傷はみつからんかったんで、
薬か窒息したか……脳卒中やら心筋梗塞やら、病的な突然死もかんがえられるっちゅう事でしたが」
「自殺、という事ですか?」
 私の質問に刑事は押し黙ったまま、誰も居ないベットを見つめている。私は刑事が話し出すのを待つ。
「……こんな因果な商売やってるとね、そりゃあ、いろんな死に様に会うもんですわ。事故やら、殺しやら、当然、自殺もね」
 刑事はこちらを振り向き、私の目を見据えながら話しを続ける。
「長い事刑事やってきたが、あんな仏さんは初めて見た」
 充血したその目に微かな怯えの色が浮かんでいるのを、私は見て取った。
「それより、あんたさん。最近この近辺で起こってる通り魔事件、しってますか?」
 突然の話題に困惑しながらも、私は自分の知っている事をありのままに話す。
「ああ、はい。鋭利な刃物を所持した犯人が通行人に切りつけてそのまま逃走という話ですね。たしか被害者は四人。
いずれも軽症で、お互いに関連性は無く完全な通り魔的的犯行――だったと記憶してますが、違いますか?」
 刑事は値踏みするような目で私を見ていたが、やがてこういった。
「被害者の数は五人。公式な発表はまだやが、最後に被害が起きたんは三日前の九月二十八日、襲われた被害者は、生きたまま腹を裂かれて搬送先の病院で数時間後に死亡――」
 ショッキングな内容に思わず眉をひそめる私に、刑事は続ける。
「――現場と被害者に付着した遺留品、まあ、髪の毛やら唾液ですな。それらのDNA鑑定の結果、泉谷道彦を傷害及び殺人容疑で指名手配。泉谷道彦。そう、あんたさんの友人で、この部屋で死んどった仏さんですわ」

88 名前:封印 2/5 ◆XUywXrYWA. 投稿日:2006/10/01(日) 23:38:01.61 ID:EeroM7O30
 濡れた頭をバスタオルで拭きながら、冷蔵庫の扉を開ける。良く冷えた烏龍茶をグラスに半分ほど入れ、一息に飲み干した。
「ふぅ――」
 思わず吐息が漏れる。今日一日の出来事が、頭の中によみがえるが、まるで現実感が無い。
 県警からの呼出で刑事ともに古い友人である泉谷の部屋に行った私は、公式発表前の殺人事件の内容を聞かされ、容疑者、いや、犯人か。どちらにしろ死んでしまった友人について色々と捜査協力をさせられた。
そして、つい一時間ほど前、やっと解放されて自宅に戻ってきた、というわけだ。 おかわりの烏龍茶を注いで冷蔵庫を閉じると、書斎へと向かう。PCの電源を入れると、青い起動画面が現れ、
起動準備中だということを告げるインジケーターが左から右に伸びていった。一昔前、報告書や申請書の類は全て紙媒体でやりとりされていたが、コンピュータやインターネットの普及によって、
今ではすっかりメールやデジタル媒体に置き換わっている。 私はもはや日課になりつつある受信メールのチェックを行った。受信件数は十三件。
仕事の報告書や頼んでおいた資料の返信等に混じって明らかな広告と思われるものも数件ある。その中で一件タイトルが空白のメールが目についた。
いたずらやウイルスを警戒していつもならすぐさま削除するのだが、差出人の名前を見て息を呑んだ。
 送信者――泉谷道彦。
 友人とはいえ現場にまで呼び出される不自然さを、漠然と感じていたが、これで理解った。たぶん押収した泉谷のPCから私宛のメール履歴が出たんだろう。カルト的な犯行に常軌を逸した死亡現場。
宗教関係とでも当たりを付けて背後関係を探ろうとしたんだな。冗談じゃない。私は無関係だ。泉谷のばかやろう、死んだ後まで世話焼かせやがって――
 泉谷と私は高校の同級生だった。泉谷は、頭は良かったが要領の悪いやつで、頑固な性格も災いし、いつも貧乏くじを引くようなやつだった。私といえば要領だけはいいというお調子者で、
まさに正反対な二人だったが、なぜか気が合い、いつもつるんで行動していた。泉谷はその要領の悪さで騒ぎに巻き込まれては、私に助けを求めてきた。私はいつも「またか」と、
うんざりした態度をとりながら心の底で、泉谷と共に巻き込まれる騒ぎを楽しんでいた。同じ大学に進んだが、私は法医学を、泉谷は歴史民俗学などという飯の種にもなりそうに無い道を選んだ。
何度も心変わりを勧めてみたが、相変わらずの頑固さでそのまま大学院へ進んでしまった。
 進む道が別れたことで次第に疎遠になり、最後にあったのはもう一年以上前だった。

 ――どちらにしろ、私は無関係なのだから、ありのままを説明するしかなさそうだ。追求はされるだろうが。 苦々しい思いでメールを開く。タイトルと同じく、メール本文にも何もかかれていない。
文書ファイルが一つと、いくつかの画像ファイルが添付されている。
 送信時間は、昨日の午前零時二十三分。泉谷が死ぬ一時間ほど前だ。短い逡巡の後、私は文書ファイルを開いた。
 文書の内容は研究日誌のような感じだった。いや、どちらかといえば日記か覚え書き、と言うべきだろうか。たぶんこれを原稿に起こして研究報告にまとめるつもりだったのだろう。
なぜ泉谷は死ぬ直前にこんなものを寄越してきたんだろう? そんな疑問を懐きながらざっと流し読みをする。
――「七月十八日」 今回の調査はS県U町に伝わる民族伝承を元に行う。口伝だけではなく、様々な歴史的資料にもその痕跡が垣間見え、かなり興味深い。伝承が作為的なものであったとしても、
  地域における禁忌や支配的な思想の神格化等、かなり有意義な調査結果を期待できそうだ――
――「七月三十日」 資料の多さに、忙殺される。ほとんどが後の時代に付加された、または元から捏造されたものである。真相に迫るために避けては通れない作業か――
――「八月二十日」 資料の検証はほぼ終わった。後は地元での調査に移行していく事になる――
――「八月二十五日」 地元での調査は難航。あまりに古い伝承のため、口伝を記憶している者が高齢となり、一人ひとりに面会するだけでも丸一日かかってしまう――
――「九月二日」 足を使った地味な調査が実を結んだ。新しい口伝(こちらの方が原型か?)とかなり有意義な情報を得る事ができた。
  伝承のみでなく史跡の発掘を行う事になるかもしれない。いままでにない成果が期待できる――

89 名前:封印 3/5 ◆XUywXrYWA. 投稿日:2006/10/01(日) 23:40:13.81 ID:EeroM7O30
――「九月十二日」 残念な結果になった。口伝と資料を頼りに目的の史跡と思しき場所を特定し、調査したが、何の成果も得られなかった。やはり、捏造された単なる寓話なのだろうか。
  期間を延長して手伝いをしてくれていたボランティアの学生達には調査の打ち切りを伝えた。とても残念だ――
――「九月十四日」 口伝はやはり事実を伝えていた。解釈が間違っていたのだ。新しい考察にしたがって再調査を行った結果、実に、実に興味深い史跡を発見した――
――「九月十五日」 一人で史跡の調査を行う。本来なら複数で行うのが望ましいが、何らかの成果が出てからでも問題は無いだろう――この日の記録は特に長く、詳細に書き込まれている――
  小さな祠のように見えるそれは、同時代に良く見られる大陸様式の物とは異なり、完全なオリジナルの造りをしている。通常は手前に向かって開くはずの観音開きの扉がこの様式では内側に向かって押すように開く。
  そのため御神体に触れないよう奥行きがかなり広く取られている。扉を押し開けると中には、御神体であろう一体の木乃伊があった。だが、このときの気分を、なんと言えばいいのか。
  通常の即身仏や、安置されたものとはまったく異なっている。触れる事をためらわせるような、異様な形態であった。詳細な調査を行うには研究室に持ち込まねばならないが、私だけでは運搬は不可能だと判断し、
  できるだけ元の状態に戻すことにする。明日にでも大学で専門のチームを組織する事になるだろう。胸が高鳴る――
――「九月十六日」 体調がすぐれない。研究室にも今日は行けなかった。電話で連絡を行う。史跡の発見は伝えなかった。やはり調査には自ら立ち会いたい――
――「九月十八日」 幾分、体調はよくなったが、なんだかおかしい。時折幻聴のような現象に見舞われる――
――「九月二十日」 病院に行く。風邪だと診断される。時折ひどく眠くなる――
――「九月二十一日」 嫌な夢を見た。悪夢だ。相変わらず幻聴に悩まされている。大学の方には連絡を入れていない――
――「九月二十二日」 意識がはっきりしない。まるで夢の中のようだ。寝ているのか起きているのか。私はどうしてしまったのだろう?――
 ここからは日付が入っていない。
――「」 また悪夢を見た
――「」 なんてことだ こんな事がありえるのか あの口伝の本来の意味はこうゆうことだったのか
――「」 夢ではない すべて現実だった おそろしい どうにかしなければ
――「」 しだいに声が近くなっている どうすることもできない 眠ってはいけない
――「」 集めた資料をつかって助かる方法をさがしている ときおり激しい眠気が襲う ねむりたくない
――「」 ついにおそれていたことになった
――「九月二十九日」 昨日睡眠をとったせいか何とか眠らずに済んでいる。意識も比較的はっきりしている。今のうちにできるだけの準備をしよう――
――「」 小宮山へ
 悩んだ末に、お前にまた迷惑をかけることにする。お前はきっとこれを読んで困惑しているだろう。悪ふざけと思うかもしれない。私の気が変になったんだと思うかもしれない。
もしそうだったらどんなに良かったかと自分でも思う。だが全て現実だ、妄想ではありえない。長い付き合いのお前だ、最後には信じてくれると思っている。
 私の中に何かが入り込んでいる。何かはわからない。悪霊でも悪魔でも、伝承のように荒御魂と呼んでもいい。私は私ではなくなる。もう取り返しはつかない。
 今から眠ろうと思う。もう限界だ。たぶん私は死ぬだろう。あの祠で見た木乃伊のように。あのときに感じた異様な畏怖が今やっと分かった。私は自らの好奇心で開けてはいけない扉を開けてしまった。
後悔に耐えない。明日の朝、私の部屋に来て欲しい。警察などに見つかる前に、私の死体をあの祠に収めて欲しい。詳しい場所は画像にして添付しておいた。私が死ぬ事でまたこれを閉じ込める事ができるはずだ。
頼む。お前にしか頼めない。頼む。

 ファイルはそこで終わっていた。

90 名前:封印 4/5 ◆XUywXrYWA. 投稿日:2006/10/01(日) 23:42:33.84 ID:EeroM7O30
 言い様の無い戦慄が背中を上ってくる。頭から冷水をかけられたように全身が粟立っていた。まともなら、到底、信じられるような内容ではない。いつもなら私も性質の悪い冗談だと一笑に付しただろう。
 だが、泉谷は死んだ。異常としか思えない状況を残して。
 泉谷はこれを私が昨日のうちに読むと思ったのだろう。だが昨日は法医学教室の集まりに出ていてそのまま市内のビジネスホテルに泊まったのだ。県警から呼び出される今日まで部屋には戻っていない。
読んでいたとしても、泉谷の望みはかなえてやれなかっただろう、死体遺棄は立派な犯罪だ。多少なりとも法に携わる立場として超えられない一線がある。
 あとで警察に見せることになるだろうと、私はメールと添付ファイルをノートパソコンにコピーして出かける準備をした。文書の内容を信じたわけではない。
ただ、友人の最後の願いをかなえてやれなかった事への後ろめたさが、今の私を行動させている。今夜ならまだ大学病院の遺体安置所に居るはずだ。私は車を走らせた――

 ――顔見知りの守衛に軽く頭を下げて、病院の中へ入る。午後十時過ぎ、廊下は静まり返っている。カツン、カツンと、私の足音だけ響く。
「小宮山先生」
 後ろから急に声をかけられ、思わず大声を出しそうになる。振り返るとアシスタントの助町ひとみが白衣を着て立っていた。
「こんな時間にどうしたんですか?」
 いいながらこちらに近づいてくる。
「いや、ちょっと、用があってね。助町くんは、今日は当直だったのかな?」
「そうですよ。稀田先生の助手で司法解剖でした」
 そうか、ということは泉谷の解剖も行ったんだな。私はそう見当をつけると、助町ひとみに協力を頼む事にした。
「すまないが助町くん。少し手伝ってくれないかな?」
「なんですか?」
 連れだって歩きながら遺体安置所に向かう。
「小宮山先生。こっちって、遺体安置所しかないですよ?」
「そこに用があるんだよ」
 遺体安置所の扉を開けると、中からひんやりとした空気が流れ出てくる。
「今日解剖した中に泉谷道彦という男が居たはずだ」
 助町ひとみの顔が曇る。
「小宮山先生、だめですよ、勝手に遺体をみるなんて……ちゃんと手続きしないと、あとで問題になりますよ?」
「……わかってる。だが……親友だったんだ。少し顔をみるだけでいい」
 懇願するように見つめると、助町ひとみは、しぶしぶと死体置き場を探し始めた。
「たしかここだったと思いますけど……」
 助町ひとみはA−3とかかれた扉を指し示す。
「開けましょうか?」
 そういう彼女に苦笑しながら、

92 名前:封印 5/5 ◆XUywXrYWA. 投稿日:2006/10/01(日) 23:44:48.70 ID:EeroM7O30
「いや、自分で開けるよ」
 と返す。
 冷たいステンレスの取っ手を引っ張ると、音も無く扉が開いた。一段と冷たい空気が足元に流れた。死体の乗ったトレイをゆっくり引き出す。変わり果てた友人の姿がそこにはあった。
「泉谷……」
 沸かなかった現実感がどっと押し寄せてくる。泉谷は死んでいる。助町ひとみはそんな私をただ黙って眺めている。
 その時だった。
 静まり返った死体安置所にどこからか風が吹いてきた。私の前髪がみだれ、助町ひとみの白衣がはためく。そして私は聞いた。

 ――キャハハ、キャハハハ――

 甲高い子供のような笑い声。

「空調の調子、変ですね」
 天井を見回すようにして、少しいぶかしげに助町ひとみがつぶやく。
「……いま、なにか聞こえなかった?」
 それだけの言葉をやっとの事で吐き出す。
「いえ、何も聞こえませんよ。やだな、怖いこといわないで下さいよ」
 笑いながら彼女は手を振った。私は笑うことができない。
「……? 大丈夫ですか? 顔色が真っ青ですよ?」
 よろめきながら遺体安置所を出る。助町ひとみがなにか言っているが良く聞こえなかった。

 車に乗り込むと、持ってきていたノートパソコンを起動する。
 コピーしてきた泉谷メールから地図ファイル開く。S県なら三時間もあれば着けるだろう。
 ――キャハハ、アハハ、キャハハハ――
 耳の中に、微かに聞こえる甲高い笑い声。

 私は友人の最後の言葉を実行するべく、闇に向かってアクセルを踏みこんだ。


 Fin



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