【 希望の地 】
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633 名前:希望の地 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:2006/10/01(日) 01:01:46.37 ID:8NqAwu9V0
「何のつもりですか、市民」門番は静かにそう呟いた。
 完全循環型生活用広域ドームの門前で少女と門番は対峙する。
 少女と門番以外には猫の子一匹おらず、ただ扉だけが二人の姿を見ている。
「あんたを倒して、ここを出る。他に何があるって言うの?」少女がもまた、静かに答えた。
 少女は完全武装、防弾コートを着て、無骨な銃を両手でしっかりと構え、門番の頭部に狙いをつけている。
「無駄ですよ、市民」ゆっくりと歩き出す門番。
 物静かな文学青年といった雰囲気をかもし出す門番が歩く姿はいっそ優雅でさえあった。
 彼女の顔に浮かぶ、怯え、人型のモノを撃った事の無い人間特有の恐怖。
 瞬く間に呼吸は荒くなり、顔が冷や汗で濡れる。
 一歩、二歩、三歩、足音も無く門番は進む。
「それ以上近寄らないで!」
 自分を奮い立たせるように大声で叫ぶ。そして、彼女は歯を食いしばり門番を睨みつける。
 十五、六歳とは思えぬ鋭い眼光。尖った目と相まって猫科の狩猟動物を思わせる。
 門番は素直に足を止める。
 二人の距離はおおよそ十メートル。
 無手の門番と銃を持つ少女では、少女が有利な距離。
 だと、いうのに門番の顔には恐れ一つ、怯え一つ、否、何一つ感情が無かった。
 あるのは深海の如き静謐。
 静まり返った空間で少女の呼吸の音だけが響く。
――少女の呼吸が、止まる。
 地面を蹴る強い音――一瞬で消える距離のアドバンテージ。
 刹那遅れ、激鉄が雷管を叩く音。
 少女の眼前に迫る門番――発射された弾丸。
 カン、という軽い音、門番の掌に包み込まれるようにして消える銃弾。
 翻り、掌は少女を打つ。
 打撃は肩の辺りを掠め、少女は後方へと吹き飛ばされる。
 少女の顔に会心の笑みが浮かぶ。
 倒れながらコートの前をはだける。中から現れたのは、指向性の対戦車地雷。
「吹っ飛べ!」
 彼女が叫んだ。鼓膜が破れそうな程の爆発音と直視出来ぬ閃光が荒れ狂い。それに相応しい反動が彼女を襲った。

634 名前:希望の地 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:2006/10/01(日) 01:02:44.87 ID:8NqAwu9V0
 少女は一枚の枯葉のように宙を舞い、天井に激突し、地面へと落ちる。
 二度の激突の衝撃で口の中を切ったのか、内臓を痛めたのか、地面に突っ伏したまま血を吐き始めた。
 影が、彼女を、覆う。
「随分と無茶をしますね、市民。生身の貴女には危険すぎる方法です。今後はもう少し別の手段を考える事を薦めます」
 門番は服がボロボロになった事を除けば先程までと何一つ変わらない姿で少女の前に立っていた。
 無傷の門番に対し、彼女は睨みつけ弱々しいながらも敵意を込め、言う。
「この人間もどきの人形野朗……」
「喋ると傷に障りますよ」門番は一瞬だけ動きを止め、それから少女を仰向けにし治療を始める。
 はだけた防弾コートはそのままにまとわり付いているだけの布切れと化した肌着を捨て、白い肌をその冷たい手で撫でた。
 手の動きに合わせて跳ねる少女の体、微かに頬が赤い。
「手付きがやらしいぞ、この変態ロボット」
「生憎ですが私に生殖機能はありません、市民」
 文字通り、機械的に返す門番。何を言っても無駄だと悟ったのか、少女は静かに口を閉じ身を任せる。
 時折少女の呻き声が聞こえる以外は全くもって静かな時間が流れ、触診を終えた門番が口を開く。
「肋骨にひびが入ってますね。それと、食道を少し切っています。しばらくは不味いご飯を楽しんでください、市民」
 心なしか柔らかい口調で冗談を口にした門番に、少女は驚きの視線を向ける。
「このぐらいのユーモアは我々にだってあるんですよ。人間の良き友になりえる様に、ね」
 もっとも、我々機械人形には会話する相手なんて滅多にいませんが、と続け芝居がかった大仰さで肩をすくめた。
 無表情な顔に似合わない仕草は酷く滑稽だった。
 少女は笑うべきか、笑わないべきか迷った挙句、顔面神経痛のような奇妙な表情で門番を見上げ、ふと気が付いたように呟く。
「私が、人間もどきって、言ったの気にしてる?」
「少々傷付きました。ですが気に病む必要はありません、市民。貴女を責めるつもりは毛頭有りません」
 彼女は苦笑しながら言う。
「そんな風に言われるとさ、余計気になる」
 しばしの沈黙の後、門番は答えた。
「了解しました、市民。以後、気をつけることに致しましょう」
 機械らしいかしこまった口調で答え、門番は治療を再開する。小さな機械音と共に人差指が変形し注射器の形を取り、少女の右脇腹の辺りに注射する。
 彼の治療を眺めていた少女は唐突に尋ねた。
「人間に、なりたい?」
 問われた彼は動きを止め、じっ、と少女の目を見詰めた。

635 名前:希望の地 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:2006/10/01(日) 01:03:28.55 ID:8NqAwu9V0
 人工的に作られた美しく透明な瞳の彼は、美しくは無いが強い意思がこもった、黒い瞳を見つめた。
「いいえ」ぽつりと呟き、彼は問い返す。「機械では、人の友に、なれませんか?」
 少女は答えなかった。門番は何も言わなかった。
 二人の間に訪れた沈黙。
 門番は体内に内蔵された治療器具を使いてきぱきと治療を施し、コートの前を閉じ、抱きかかえ、ようやっと口を開いた。
「居住区域まで送りましょう。しばらくは養生してください。そして出来るなら再び出て行こうなんて考えないでください」
 説得するような口調で彼は続ける。
「貴女が外に何を望んでいるのかは知りません。しかし、それは熱情が見せる一時の夢です。ドームの中で成人し、結婚し、子を――」
 少女は左手を伸ばし門番の口を塞ぎ、首を振る。それ以上言わないで、と彼女の目が告げていた。
「ここがいい場所だってのは知ってる。楽園とまでは言わないけれど、それに近い場所なんででしょう。けど、ね」
 そっ、と彼女は右腕を動かす。
 その手の中には銀色に輝く、レーザーガン――
「スクリーンに投影された空も、合成された花も、遺伝子操作された猫も、味が良くて保存の利く食料も、何一つ、私を満たしてはくれない」
――引き金を、引いた。
 意外な程に軽い音を立てて倒れる門番、その頭部は三分の一ほど失われていた。
 門番の上で馬乗りになっている少女はレーザーガンを構えたまま呟く。
「紳士でいてくれてありがとう。コートを脱がされたら私がこれを隠してたのばれてただろうから。それと、撃っちゃってごめん」
「大変傷付きました。気に病んで下さい、市民。貴女を責めるつもりが大変あります」
 淡々と告げる門番、その様子に彼女は思わず噴出してしまう。
「馬鹿だね。あんた」
「私なりに考えたのですが、何かおかしかったでしょうか」門番は首を傾げる。
 さぁ、と意地悪気に答え、少女は立ち上がる。数歩歩いて振り返り、言う。
「じゃあね。私は行くから」
 軽く手を振る。それと同時に門番は立ち上がった。
「まだ、動けるんだ」彼女はレーザーガンを再び構える。
 両手を挙げる門番、胡散臭げにそれを眺め、しばらく考えた後、彼女は銃を下ろした。
 門番は一つ頷くと彼女を追い越し門の前へと立ち、扉に手を触れ、ロック解除、と呟いて脇に避けた。
 少女は扉と門番の間で視線を往復させながら門の前へと歩み、恐る恐る、扉に、触れた。
 音も無く開く扉。
 彼女の前に現れた風景。

636 名前:希望の地 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:2006/10/01(日) 01:04:25.55 ID:8NqAwu9V0
 一面の、荒野。
 死に絶えた、赤い砂の世界。
 待ち望んだ外を、呆然と彼女は見詰めた。
 棒立ちしている彼女の横に門番は立ち、告げた。
「これが、外です。何もありません。このドームが世界の全てで、このドームこそが最後の希望です」
 門番は、問う――それでも、貴女は行きますか?
「行く」
 実にシンプルで迷いの無い答えだった。

 それから、五分。門番は携帯食料の類が山ほど詰まったリュックを彼女に渡した。
「貴方の前にも私を打ち倒し外を見た人はいました。ですが、それでも前に進んだのは貴女が初めてです――さようなら、市民」
 彼らしい淡々とした口調、なのにどこか哀愁が滲んでいた。
 彼女は答えず歩き出し、そして十メートルほどの距離で振り返る。
「ルカ! 市民じゃなくてルカ!」と、彼女は大声で叫んだ。「友達になりたいなら、まずは名前で呼んであげて!」
「アルファ! 私の名前はアルファです!」彼は叫び返す。「さようなら、ルカ!」
「またね、アルファ!」
 ルカは満足気に笑い、赤い砂の上で大きく背伸びをすると、今度こそ振り返る事無く歩き出した。
 その後姿をアルファはじっと見守っていた。彼女の姿が、消えるまで。

 ルカは荒野を歩く、長い距離を、長い時間を、一人歩く。
 歩き続けて、彼女は見つけた。
 赤い荒野に咲く、一輪の花、真っ白な花を。
 彼女は嬉しげに微笑み、その花の傍らにしゃがみこむ。
「何だ。あるじゃん、ドームの外にも」誰にとも無く彼女は呟く。
 不意に響く、足音。影が彼女を包む。
「そうですね」
「枯れるかな?」
「いつか枯れます。そして、種を残し、やがて一面に咲き誇るでしょう」
 ルカは優しく花を撫でた。良かったね、と花に向けて囁く。
「で、何でここにいるのさ?」

637 名前:希望の地 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:2006/10/01(日) 01:05:00.86 ID:8NqAwu9V0
 何気ない様子で彼女は問う。
「ルカを外に出した事がばれて門番をクビになりました」
 彼はいつもどおり静かに答えた。
「馬鹿だね。銃の暴発で死んだとか誤魔化せば良いのに」
 一瞬の沈黙。
「それは気づきませんでしたね」
 くすくすと、喉の奥でルカは笑う、嬉しげに、楽しげに。
「後悔してる?」
 アルファは即座に答えた。
「しています、主としてルカを一人で放り出した事を」
「このバーカ!」
 彼女は立ち上がり、突進するような勢いでアルファに抱きつく。
「……でも、また会えて嬉しいよ」
 消えてしまいそうな程小さな声で、照れくさそうに彼女は言った。

 何年か、何十年か、何百年か後の事。
 無数の花が咲き誇る場所で白い花に囲まれて眠る男がいた。
 その傍らには小さな墓がある。
 墓碑名はこうだ。
――希望の地で、私達は眠る――



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