【 理科室の管理人 】
◆qygXFPFdvk




592 名前:理科室の”管理”人 (1/3) ◆qygXFPFdvk 投稿日:2006/09/30(土) 23:20:23.07 ID:7WKFsoYp0
 開かずの理科室、という言葉を聞いたことがあるだろうか? 学校には欠かせない七不思議の中でも、
いつも上位に入る、人気の不思議スポットだ。学校の七不思議では、音楽室のベートーベンは目を動か
し、美術室の石造は夜のうちに配置を変え、理科室の扉は開かないのが“決まり”なのだ。例え、実際
に理科室の扉を開けて中で実験をしたことがあっても、その魅力は変わらない。むしろ、その扉の向こ
う側に広がる薬品の匂い、怪しげな実験器具の数々は、生徒たちの興味を引き噂を広げる手助けとなる。 
 そしてそれは、このとある小学校でも同じだった。彼は、この小学校の開かずの理科室の管理人を長
年勤めている。勤めている、とはいっても、彼が勝手に自任しているだけなのだが。

 昼より夜の方が長くなり始めた、秋口の放課後。山の上に浮かぶオレンジ色の夕日が、空と雲と実験
台を染める。彼はこの時間が好きだった。既に、校舎には教師たちとクラブ活動で居残る一部の生徒し
かいないはずだ。廊下を駆ける音も、賑やかな話し声も聞こえない。この時間から理科室は、開かずの
理科室へと姿を変える。
 彼は理科準備室から抜け出して理科室の中を見回った。一番前の教壇には、大きな上皿天秤が置きっ
放しになっている。今日は午前中に四年生の授業があって、上皿天秤の使い方を勉強していた。上皿天
秤を使うとき、分銅はピンセットで扱うのが“決まり”だ。手の油脂によって分銅に錆びが生じるのを
防ぐためである。しかし、既に錆びだらけの分銅を前に、その“決まり”を守る生徒は居ないに等しい。
手で触れるどころか、分銅でキャッチボールをした生徒は、授業後に後片付けを命じられていた。その
ときに片付け忘れたのか、実験台の足元に一枚の板分銅が落ちている。彼は板分銅を摘み上げると、壁
際の棚へと進んだ。
 キュルキュルとうるさい棚を開けると、周囲には錆びと埃の匂いが立ちこめた。積み重ねられている
分銅のケースを覗き、足りないケースに落ちていた分銅を戻す。今度は音を立てないように棚を閉めた。
 背後から水音が聞こえ、彼は振り向いた。窓に近い実験台の流しで、蛇口がしずくをこぼしている。
西日の赤さが反射して、まるで血のようだ。オレンジに染まった無人の理科室で、その蛇口は雰囲気を
高めるのに一役も二役も買っていた。――血が流れる開かずの理科室の水道。
「生徒が見たら喜ぶだろうなぁ」苦笑しながら近づいて、蛇口を強く捻る。キキッと鳴って血が止まっ
た。

 彼はもう一度棚を見た。白く曇った磨りガラスの向こうに、男の子なら心躍るような器具が並んでい
る。アルコールランプに光学顕微鏡。解剖用メスにカエルのホルマリン漬け。三角フラスコに試薬ビン
の数々……。目を瞑って思いをめぐらせると、それをはじめてみた時の感動がよみがえる。

593 名前:理科室の”管理”人 (2/3) ◆qygXFPFdvk 投稿日:2006/09/30(土) 23:21:06.25 ID:7WKFsoYp0
 そのときだった。開かないはずの、“決まり”では開いてはいけないはずの理科室の扉がゆっくりと、
大仰な音をたてながら開いたのだ。彼は思わず隠れた。既に理科教師は、明日の授業準備を済ましたは
ずだ。一体誰だろう?
「おい、早く行けよ……」
「わかった。わかったから押すなって!」まだあどけなさの残る声が聞こえてくる。実験台から少し頭
を出して覗くと、中腰で進むいがぐり頭が三つ見えた。
「で、どうすんだよ?」
「とりあえず、あの棚の中を探そうぜ」
「探すって何を?」
「面白そうなやつだよ!」
 夕焼けの色から夜の色へと模様替えしつつある理科室を、三人の若き盗賊は中腰のまま突き進んだ。
彼も遠くからその様子を伺う。
「これは?」
「カエルなんて外にいくらでもいるだろ! もっと面白いのだよ」
「アルコールランプは?」
「だめ。鍵閉まってる」
 盗賊たちは棚、引き出しを次から次へと物色していく。見守る彼も気が気でない。
「あ、ここはどう? 金属類って書いてある」
「どれどれ……。お、マグネシウムリボンじゃん!」
 マグネシウムリボン。銀白色、光沢のある柔らかい金属であるマグネシウムをリボン状にまとめた実
験試薬である。
「これ、火付けるとすげえんだぜ!」
「どうなんの?」
「花火になるんだよ」
 マグネシウムの燃焼反応はその酸素との結び付き易さ故、激しい光を生じる。色は白だが、その閃光
は確かに花火だ。
「いいね! じゃあ、花火やろうぜ!」
「マッチもあったよ」
「俺、マッチ擦るの好きなんだよね」
 このままではいけない。彼は決意すると準備室へと滑り込んだ。

594 名前:理科室の”管理”人 (3/3完) ◆qygXFPFdvk 投稿日:2006/09/30(土) 23:21:54.08 ID:7WKFsoYp0
 この手段を使うのも、ずいぶんと久しぶりだ。人体模型に被った埃を軽く払う。
「また、よろしく頼むよ」彼はそう言うと、目を閉じて模型と心を重ね合わせる。
 次の瞬間には、模型の目を通して準備室の光景が確認できた。久しぶりに動かす人体模型は、右足が
ブラブラして歩きづらかった。キシキシという間接音とカタカタという足音を立てながら、盗賊の待つ
理科室へと向かう。

 小さな盗賊たちはマグネシウムリボンに夢中。模型が後ろに立っていることにすら気づかない。
「あの、君たち……」
「いま、忙しいからちょっと待って!」盗賊は振り返らずに答える。
「危ないから、そんなことしちゃだめだよ……」彼も弱々しく食い下がる。
「もう、うるさいな!」盗賊の一人が振り返る。模型の空虚な瞳と見つめ合った――

「あっーーーーーーーーーーーーー!」

 盗賊たちの悲鳴に驚いた彼は、思わず飛び退いて内臓をこぼした。盗賊たちはその光景を見てさらに
驚き、持っていたものを手放して一目散に扉から出て行った。
「やれやれ……」こぼした内臓を拾いつつ、盗賊たちがばら撒いていったマッチやマグネシウムリボン
を棚に戻した。
 そして、扉の前まで行ってゆっくりと閉める。こうやって、悪ガキ共にちょっとした戒めを与えるこ
とで、彼はこの理科室を守ってきた。悪ガキが広める真しやかな噂話が、理科室の扉を徐々に開かずの
扉へと変えていく――こうして理科室での事故を未然に防いできたのだ。
 彼は今後も、開かずの理科室の管理人であり続けるだろう。

 ――理科室で悪戯をしたせいで命を落とす悪ガキが、二度と出ないように。        <完>



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