【 きみのとなりに 】
◆D7Aqr.apsM




778 名前:きみのとなりに 1/4  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/09/24(日) 19:27:10.27 ID:lyJi6mtp0
石造りの高い尖塔を持つ駅舎の中に、固い靴音が響く。
プラットホームの冷たい空気が胸にしみた。発車を知らせる笛の音に急かされる。
だん、と勢いを付けて車内へ転がり込むと同時に、ため息のような音が背中をかすめた。
――間に合った。
僕は息を整えながら列車の中程にある、いつもの席へ向かう。
国軍の駐留所くらいしかない田舎の、しかも始発近い電車。乗客はほとんどいない。
電車の進行方向と平行に並べられたベンチシートの一角に、イリヤ先輩は座っていた。
首を少しかしげるようにして、僕を見上げながらにっこりとほほえむ。
あごのあたりで切りそろえられた栗色の髪が、朝の光を受けて柔らかく光っている。
「おはよう――ございます」
落ち着ききらない息を、なるべく悟られないよう、ゆっくりとあいさつをしてとなりに座る。
「おはよう。乗り遅れるかと思ったよ。見ていてどきどきした」
「手がかじかんで、定期が取り出せなかったんです」
僕は寒さに赤くこわばった手を、にぎったり開いたりする。まだぎくしゃくしていた。
「オートバイって……そんなに冷えるの?」
「はい。どうしても、風を切りますから」
山ひとつ向こうの家から駅まで、オートバイで走ると手はすっかりかじかんでしまう。
手の甲をさすりながら、息をかける。
「来週には冬用の革手袋が手に入りますから。もう少しの我慢なんです」
一瞬、先輩は、何か言いたそうな顔をしたけれど、「なら、安心だね」といってにっこりと笑った。
ごとん、ごとん、と田舎電車は線路の継ぎ目で規則正しく車両を揺らす。
足下から暖房が効いてきて、ゆっくりと体が温まりはじめた。
白く雪に覆われた山が遠くに見える。雪原の中を、電車は走っていく。

話がとぎれると、ふいに右肩が重くなった。
ゆっくりと顔を向けると、先輩が僕の肩によりかかって眠っている。
くー。すー。という可愛らしい寝息。心地よい重さが肩と腕にかかっていた。
白磁のような肌は、暖房にあたためられてほんのり桜色。
天が二物を与えた人。学校一の才媛。高嶺の花。人は、先輩のことをそんな風に言った。
学期末に張り出されるテストのランキングでは、三年間常にトップ。

779 名前:きみのとなりに 2/4  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/09/24(日) 19:27:49.50 ID:lyJi6mtp0
整った顔立ちにくわえて、優雅で、落ち着いた立ち振る舞いは、同性からも人気が
高い。僕と同学年の女子は「さま」づけで呼ぶぐらいだ。その先輩が、僕の肩によりかかって
眠っている。いつも凛とした振る舞いの先輩からは誰も想像できない光景だ。
しかし。この、異変といっても良い光景は、実はかれこれ一ヶ月も続いている。

最初にその異変に気がついたのは、先輩の親しくしている友達だった。
僕は放課後に廊下で声をかけられ、人もまばらになったカフェテリアへ連れて行かれた。
先輩の友人――アリシア先輩だ――は、僕のことをイリヤの幼なじみであり、
彼女自身から、弟のように別格の扱いをされているから信頼する、という前置きをしてから、
異変について説明した。
先輩が授業中に居眠りをした。
簡潔に言うとそうなる。
普通の生徒であれば、長い学生生活の中で一度や二度どころじゃなく、ありきたりの
行動であったりもするのだろうが、こと先輩に関しては確かに「異変」と言えた。
無遅刻無欠席は当然。品行方正を絵に描いたような人なのだ。その人が、居眠り。
しかも、頭を机にぶつけてしまうくらいの。
あまりに意外だったため、教師は居眠りを注意するよりも先に、「大丈夫か? 
保健室いくか?」と尋ねたという。

そうして。僕は「イリヤ先輩係」となった。
あれから、授業中に眠ることは無くなったらしい。しかし、登下校や休み時間などは
ほとんど寝て過ごしている。授業中などはアリシア先輩に任せるとして、登下校や昼休みは
僕が付き添うことになった。
「先輩……先輩? あっ!」
叫びそうになる声を押し殺して腕を伸ばす。
昼休み。カフェテリアで、僕は先輩とランチを食べていた。
柱の影になる、窓際の席。あまり周囲を気にせずにゆっくりできる。
斜めに差してくる日差しが暖かい。
今まで楽しそうに話していた先輩が、不意に口をつぐんだ。
物思いにふけるように、伏し目がちになり、ふうっ……とため息をつく。

780 名前:きみのとなりに 3/4  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/09/24(日) 19:28:20.87 ID:lyJi6mtp0
次の瞬間、ぽろりと手に持っていたサンドイッチがトレーに落ち、続いて先輩の頭が――。
熱いコーヒーが入ったカップが置いてあるトレーだ。直接あたらなくても、カップの中身が
飛び散って顔にかかったりしたら「熱い」じゃあすまないだろう。
慌てて立ち上がり、テーブル越しに先輩の肩両手でを支える。かくん、と先輩の顔がのけぞって、
形の良い唇と白い喉があらわになった。
どきりと……している場合じゃない。椅子の背にもたれかからせると、僕は急いでテーブルを
脇にずらして、先輩の前に立った。このままここで寝かせるわけにもいかない。
上着を脱ぐと、先輩の顔を覆うようにかけた。スカートの裾を気にしながら、一気に抱え上げた。
主がいなくなったイスが倒れ、さすがに周囲の目を引くけれど、かまわず食堂の中を一気に
早足で歩き、廊下へ抜けた。途中、わあ、とか、きゃあ、とか声を聞いた気もするけれど、
気にしていられない。先輩の顔は僕の上着で見えなかったかも知れないけれど、取り合えず
僕が「お姫様抱っこ」で女性を抱き上げて歩いた、ということは隠しようがない。
抱きかかえた腕の中で、先輩が少し身じろぎした。
「息苦しいかも知れませんけど。少し我慢してください」
とりあえず僕は保健室へ走った。

白いシーツと、クリーム色のカーテンが保健室を明るく見せていた。室温は少し高めだ。
保険医の先生は、最初驚きはしたものの、軽く脈を診たあとは、あっさりと先輩をベッドに
寝かせた。この女性の保険医は、結構あらっぽい割に適切なことで有名。
この時期は受験で無理をするやつが多いからなあ。とつぶやくと僕に、「付き添いは
認めるけれど、変な気は起こさないように」という忠告と、音がしそうなウィンクを残して
昼食に出かけていった。
白い枕に埋もれるようにして、先輩は眠っている。前から思っていた嫌な予感が、また頭をもたげた。
もしも。もし単なる寝不足なんかじゃなかったら?――病気かなにかだっとしたら。
帰りの電車。先輩はいつもよりも少しはしゃいだ感じで、保健室で目が覚めて驚いたことや、
アリシア先輩に冷やかされたことなどを話していた。
にこにこと笑う先輩をまぶしく見ながら、僕は全く別のことを考えていた。
電車がホームへ滑り込む。終着駅が僕と先輩の使っている駅だ。暖められた車内からホームへ
降りると、息が一気に白くなる。その息を夕日が赤く染めていた。乗客はみな改札へ、
足早に向かっていた。

781 名前:きみのとなりに 4/4  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/09/24(日) 19:29:29.23 ID:lyJi6mtp0
「あの、先輩。少しお話があるんですけれど。……いいですか?」
人気のなくなったホームで、僕は先輩に声をかけた。
やはり。不安だ。あんな風に突然眠ってしまうなんて。僕は保健室で眠る先輩を見ながら、
先輩に病院へ行くようすすめることに決めていた。
先輩は振り返って、少しだけ首をかしげて僕を見た。僕はゆっくりとひとつ、息を吸い込んだ。
「先輩と一緒にいられるのは嫌じゃないんです。けれど。その……。今日もいきなり眠って
しまったりしてるし。あの……できれば一回病院で見てもらった方が。僕もその方が安心して
一緒にいられるし」
「ごめんなさい。心配をかけてしまってるね。本当は、明日渡そうと思っていたのだけれど」
ちょっとまって。と言って先輩はカバンの中から毛糸の塊を取りだした。手のひらに収まりそうな
小さな編み棒を外して、毛糸の端を結んだ。
「はい。……まだ毛糸を切っていないから後で切るね?」
先輩が差し出しているのは、一組の手袋だった。
「秋口から用意していたのだけれど……慣れないから遅くてね。毎日、勉強のあととか、
少しずつやっていて。だから、大丈夫。病気とかじゃないよ? 睡眠不足。あ、つけてみて」
濃い紺色の毛糸で細かく編まれた手袋は、少し大きかったけれど、暖かかった。手の甲には
凝った模様が編み込まれている。
「あの……。先輩」
「まあ、ほら、この時期に来ると、色々おいこまれるからね。三年間、わたしは勉強ばっかり
していたから。他の女の子達みたく、こういうのしてみたくなって。えーと、迷惑かな。
あ、怨念とかはこもっていないと思う。毛糸じゃあオートバイ用には使えないみたいだけれど、
来月までのつなぎで使ってくれたら……その……嬉しいのだけれど」
先輩の顔が赤く見えるのは夕日のせいだけではなさそうだった。
「でも、今回でだいぶ編み物もわかってきたから。マフラーならオートバイでも使えるよね?」
僕はゆっくりと先輩の肩を抱きしめた。
「春になって……来年。来年の冬にください。もらいに行きます。サイドカーをつけたオートバイで」
「サイドカー? 今のではなくて?」
「今のは一人乗りなんです。それにサイドカーなら先輩の寝顔を見ながら走れます」
先輩ははにかんだようにわらった。
(おしまい)



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