【 おとなり 】
◆9cL.bdmM2A




756 名前:おとなり(1/4) ◆9cL.bdmM2A 投稿日:2006/09/24(日) 19:05:43.99 ID:L3dT/4T00
机に伏して腕枕、顔は左側に向け、準備はオーケー。これが俺のスタイルだ。
え、何のスタイルかって? …… 決まってる。授業中に机に伏すなんて、やることはひとつだろ。
言っておくが、寝るためじゃない。まぁ、それもあるんだが本当は違う。
―― 隣のあの子を見るためだ。恐らく俺だけが知る、あの子の素顔を。

俺のクラスは全員で三十二人。教室の広さが許す机の並びは、一列に六つの机。それが縦に五列。
六・五、三十で二つ余る。その余った二つは、窓側の列の最後尾と、その隣の列の最後尾に、それぞれひとつずつ。

窓側の席は俺のターゲット、七海奈々なんて言う、上からでも下からでも読める名前の女の子が
座っていて、俺はそのお隣の席。つまり、授業中皆が席に着いた状態で横から七海さんを見られるのは、
クラスの中で俺だけって事になる。

七海さんというのは―― 普通の目で見たならば―― 可愛いほうに分類されると思われる女の子だ。
性格は、明るくも無く暗くも無いし、良くも悪くも普通って感じ。トレードマーク的な特徴は、二つ結びで
いつも耳の後ろで髪を束ねているのが印象的だ。部活は…… してるらしいけれど何部だったかな…… 知らないな。
ともあれ、七海さんは俺にとって、少し可愛いなと思う程度のクラスメートに過ぎない訳だが、
あの日を境に単なるクラスメートから、俺の暇つぶしの……いや、楽しみのターゲットになってしまった。

あれは、今から3週間ぐらい前―― ひと月に一度の席替えの日からニ、三日経った古典の授業の時だっただろうか。
正確な日時は覚えていないけれど、俺が今の席に変わって日も浅い頃の古典の授業だった事だけは確かだ。
―― 七海さんは、古典の授業が苦手だからな。


757 名前:おとなり(2/4) ◆9cL.bdmM2A 投稿日:2006/09/24(日) 19:06:57.18 ID:L3dT/4T00
子守唄にもなる低く柔らかい声、それが紡ぐ不可解な古語たち。これらの要素が相まって、
もうすぐ定年退職を匂わせる爺さん先生の古典の授業は、俺にとっての睡眠時間だった。
あの日も例外なく、爺さん先生の奏でるララバイの魔の手に捕まり、俺は夢の中。
そんな夢を楽しんでいると…… よくあるだろ、夢で出てくる階段なんかを踏み外すと、ビクッ! となって
目が覚めちゃう事がさ。それとまったく同じことが起こったんだ。

少し震える体。急な目覚めに妙にクリアになる感覚。しかし、どこか体はだるかった。
あぁ…… ちょっと体が揺れたかもしれない。どうせ見てる奴なんか居ないし、いいか……。とか思って、
もう一度寝なおそうと体勢を整えようとしたとき、不意に隣の七海さんが視界に入った。
七海さんは、シャープペンシルを右手に、左手はノートの上、首に力が入っておらず頭をたれていて、
典型的な授業中の睡眠姿勢だった。

女の子は授業中寝ないものかと思ってたけど、やっぱり寝ちゃうもんなんだなぁ。
けれど、七海さんか……。ちょっと意外だ。真面目そうなのに。
自分で勝手に真面目そうなイメージを抱いていた隣の席の女の子。その子が寝ているという、
いつもと違う事柄が、俺の好奇心をくすぐった。
―― もっと見ていたい。
そんな変態チックな衝動に駆られ、最初に述べたスタイルで居眠りを装いながら、お隣の居眠りを観察し始めた。

体勢は至って普通。授業中寝る時の基本と言っていいね。
いいお手本だぞ、みんなよく見ておくように。―― ま、今は俺しか見れないけど。
呼吸に合わせて肩が上下に少し動く。指先まで伝わっていったその振動が、小刻みにシャープペンシルを動かす。
多分起きた頃には、真っ白なノートの上を異形の黒いミミズが完成していることだろう。

758 名前:おとなり(3/4) ◆9cL.bdmM2A 投稿日:2006/09/24(日) 19:07:54.41 ID:L3dT/4T00
横からの表情しか見れないのが少し残念だけれど、その横顔は反則的なまでに可愛かった。
あまりの無防備さからか、見慣れていない女の子の寝顔だからか、凄くドキドキしていた。
その時の俺を客観的に見る事ができたなら、間違いなく顔を赤らめていただろう。そう断言できる。

そんな風に顔を赤くしながらも、俺は観察を続けた。じぃっと観察を続けていくと、ほんの少し口が開いている
事に気がついた。ほんとに注意してみないと分からないくらい小さな開き方だった。
薄いピンク色をしたその唇が、俯いていることで少し下に突き出された感じになっていて、とても……良い。

ん? 待てよ。口が開いてるんだろ…… ってことはつまりだ、このままの状態で行くと七海さんは……。
よ、よだれを垂らす可能性があるのか! マジかよ…… これは…… とても興奮するんだが!どうしよう!
ちょっと危険な趣味のジャンルが俺の中で目覚めるのを感じながら、じっと彼女の唇を見つめた。

凶悪なまでに柔らかそうな唇と唇の間に、小さな光がチラッと見えたのを確認できるまで、一体どのくらいの間
俺は七海さんを見つめていたのか。そう考える余裕は、さっき顔を少し覗かせたモノが徐々にはっきりと
目に付くようになった時、掻き消えた。
どうするんだ。やばいって、本当にやばい。このままじゃ本当に垂れちゃうよ!あぁ…!

まさに今、重力に引かれ唇から零れ落ちようとするそれから目を背けたくなりつつも、その結末に興味を惹かれ
目を離せずにいる。もうダメだと思ったその瞬間、目が開かれ、口が閉じる。危機一髪ってヤツだった。
驚いたような、困ったような、安心したような…… そんな表情を七海さんは見せ、ふっとこちらを見た。
まずい! そう思うよりも早く瞼を閉じて、俺は寝てますよとアピールした。
妙に火照った顔に、心の中で気づかないフリをしながら。

759 名前:おとなり(4/4) ◆9cL.bdmM2A 投稿日:2006/09/24(日) 19:08:56.80 ID:L3dT/4T00
その日以降、またあの気持ちの高鳴り、高揚、興奮を味わってみたくて、居眠りを装って七海さんを観察し続けた。
真面目に授業を受ける姿、少しつまらなそうな顔、納得できないという顔、眠そうな顔、嬉しそうな顔……。
くしゃみ、あくび、ペンを回す癖、間違えると舌をちょこっと出すところ、悩むとよく首をかしげるところ……。
授業中に隣の女の子が見せる色々な仕草を見て、気がついた事があるんだ。
―― 七海さんは、マジで可愛いんじゃないかと。

古典、世界史、化学でよく見るつまらなそうな顔、納得できないという表情が面白くて可愛い。
眠そうな時に見せる、目をこすったりウトウトする姿が愛らしくて好き。
数学、物理、英語で見かける問題が解けたときの嬉しそうな顔を見るとこっちも嬉しくなる。
くしゃみをした時に出る声が可愛い。絶対に口を隠してからあくびをする姿、その後の潤んだ瞳が可愛い。
問題を間違えた時の、チラッと覗く舌が可愛い。首をかしげる姿なんて殺人級だ。

もっともっと彼女の事を見ていたい。彼女の横に居たい。
そんな俺の願いとは裏腹に、運命の日は容赦なくやって来る。そう、席替えの日だ。
もう一度、もう一度七海さんの隣に。そう願いながら、紙で作った箱の中にある、小さく折り畳まれた紙切れを取り出す。
ガラにもなく、神様に祈ったりなんかしながら。

そうこうして、結果が出た。俺は無神論者だけど、この瞬間だけは神の存在を信じたね。神様仏様ご先祖様ありがとう。
めでたくもう一度、最後尾に突き出た二つの席を俺と七海さんで分かつことになった。
場所は以前と逆、俺が窓側の席になった。…… 今度からは右を向いて寝なくちゃな。そんな風に喜びを噛みしめながら、
新しきお隣さんに挨拶をする。

「また1ヶ月よろしく、七海さん」
「うん。よろしくね」
そんな他愛も無い、通過儀礼的なものをこなした後、不意に彼女が言ったんだ。
「あっ、そうだ、八神君。…… 今日から居眠りする時は、右に顔を向けて寝てね」
                                                   ― おわり ―



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