【 眠らせ神 】
◆tGCLvTU/yA




724 名前:眠らせ神 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/09/24(日) 17:29:37.99 ID:ytVFbNCV0
 暗い部屋の中、ボクが見つめているのはベッドに横たわってぐったりしているおじいさん。
 一般的に言えば、極めて死という状態に近い。あともう少し放っておけば勝手に魂が肉体から離脱するだろう。
 そうなれば、それはもはや人ではなく霊。永遠に眠ることのできない体になってしまう。
 そうならないために、ボクはいつも通りにいつもの仕事をする。胸の中心にある少し濁っている光。それ目掛けて鎌を振るう。
 グサリやブスリ、なんて音は出ない。体をすり抜けて、鎌の切っ先がその濁った光に突き刺さる。奪うのは血液でなく、魂。
 さっきまで胸の中心にあった光は、鎌の切っ先でキラキラ輝いている。今もまた、この鎌は人の魂をいとも簡単に奪った。
 鎌の切っ先の光を、首飾りにしている小瓶に移す。移し終えると仕事は終わり。一つに束ねていた髪を解く。そして、
「……おやすみなさい」
 仕事を終えたときの沈黙がたまらなく嫌なボクはひとつ仕事を終える度、こう言うようにしている。役目の終えた体に向かって。
 とにかく、これで仕事は一通り終わった。帰ろうと踵を返そうとした瞬間、
「――よう、調子はどうだい? ティア」
 場の重い空気からあまりにもかけ離れた明るい声が、狭い室内によく響く。
 その能天気な声に目眩を覚えながらも気を取り直して後ろを向くとそいつはやはり、ボクの知っている男だった。
「……おかげさまで最悪の気分だね。何の用? ブラッド」
 ボクがそういうと、ブラッドは肩を竦める。ブラッドとは同僚のような関係で、たまに一緒に仕事をする間柄だ。
「最悪か。そいつはすまん、同期のよしみっつーことで勘弁してくれ。こっちも仕事なんだ。悪いな」
「仕事?」
 それならたった今終わったところだ。今日は今の人も含めて二十人にはおやすみなさいをした。
「臨時だ。――病魔が現れた」
 多分その時、ボクの表情は醜く歪みきっていたことだろう。
 病魔。人の精神を拠り所として、宿った人間はもちろん、周りの人間の精神すらも食い散らかす最低最悪の存在。
 しかも病魔によって殺された人間は新たな病魔になるというから非常に質が悪い。
「なるほど、確かにそれは緊急事態だ」
 ボクはブラッドの言葉に首肯する。
 ふざけた仕事なら断るどころかこちらの明日の仕事も押しつけてやるつもりだったが、確かにこれは一大事だ。
「そういうことだ。場所は近いぜ。まあ、だから俺たちにお呼びがかかったんだけどな」
 やれやれ、とブラッドは再び肩を竦める。ボクは時々、彼のマイペースさを羨ましいと感じることがある。
 もちろん気の迷いだろうけど。ボクは解いていた髪を再び束ねる。
「急ごう。ここで話している時間すら、今は惜しい」

726 名前:眠らせ神 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/09/24(日) 17:30:42.84 ID:ytVFbNCV0
 まさに豪邸、といったところだろうか。見事なゴシック建築で、宮殿のような風格がある。玄関も信じられないほど大きい。
「見事なものだね。一生の内にここまでの財を手に入れるなんて……だけど、ここまで寒気のする家も初めてだ」
 嫉妬や憎悪、色々な負の感情が入り混じって最悪のハーモニーを奏でている。吐き気を催しそうだ。
 なるほど、これでは確かに病魔に憑かれるわけだ。あれは病魔だけあって、病んでいる場所を好むきらいがある。
「嫌な匂いだね……病魔じゃなくて、ここに住む人間から発されているものだけど」
 この匂いにボクの鎌が当てられるのではないかと思い、ボクは刃の部分を左手で優しく撫でる。
「金持ちなんてみんなそんなもんだろ。金なんてのは稼げば稼ぐほど、地位は上がるが、人間としての価値は大きく下がるもんさ」
 ブラッドは宮殿のような豪邸を見上げながら面倒臭そうに言う。その発言は明らかに偏見だが、一々突っ込むのも面倒だ。
「ん、あの窓の向こうだな」
 どうやら目的の部屋を見つけたようで、入り口の門を飛び越えて敷地内に入り、その窓がある真下の位置まで歩いていく。
 ボクもその後を追う。体格にかなりの差があるせいか、一歩ごとに進む差が大きいのでボクが小走りになるのが腹立たしい。
 ブラッドの歩みが止める。ボクも足を止める。どうやらここがちょうど真下の位置みたいだ。
「よし、ここだな。窓も開いてる。だが、ちょっと小さいな……まあいい」
 ブラッドはそう言うと、こちらを振り向く。そしてボクに足払いをかける。
「きゃっ!」
 何がなんだかわからないボクは見事にその足払いにかかり、体勢を崩してブラッドに体重を預ける形になる。
「なーにが、きゃっ。だよ。女みたいな声出しやがって」
「一応、ボクは女だからしょうがないだろう……。それより、なんのつもりだ?」
「決まってんだろ。わざわざ中から入ってあそこまで行くのも面倒だ。近道だよ」
 そういうと、ブラッドはボクをお姫様抱っこしたまま、窓に向かって一気に跳躍した。どこまで破天荒なんだ、この男。
 ボクたちは特殊な仕事をしているせいか身体能力も異常なくらい高い。とくにブラッドは異常の中の異常。
 人一人の重さを抱えたところで、十メートル程度の高さしかない窓など軽々飛び越えてしまうだろう。だが問題は、
「あの窓……見た限りでは、ボクはともかくキミの体では狭すぎると思うんだが」
 窓があまり大きいとはいえないのだ。ボクはともかく、ブラッドの体ではとてもじゃないが窓から入るのは無理だ。
「だろうな。でもお前さえ入れば充分だろ。じゃ、よろしく頼むぜ。俺は下から上がっていくからよ」
 放り投げる気か。と、普段なら怒るところだが、今のボクとしては望むところだ。病魔の始末は一秒でも早く終わらせたい。
「わかった。……できるだけ、痛くないようにお願い」

 ボクの願いも空しく、思いっきり放り投げられて着地に失敗。思いっきり床に鼻をぶつけた。
「あいつめ……」

727 名前:眠らせ神 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/09/24(日) 17:31:59.81 ID:ytVFbNCV0
 鼻をさすりながら部屋を見回す。広い。あの外観だけあって部屋も華やかなものだ。不自然なところなどどこにもない。
 ――正面に、異様な雰囲気を持っている女の子さえいなければ。
「だれ、おまえ」
 ボクの姿に目を見開き、女の子が声を上げる。ボクは思わず耳を塞ぎたくなった。
 少女の声とは思えない、とても汚いガラガラ声だ。ボクは無言で鎌を片手から両手に持ち替える。
「なにしにきた」
 カタコトな言葉遣い。誕生して間もない証拠だ。まだ間に合う。この子精神はまだ壊されていない。
 しかし、こんな女の子に憑いているとは予想外だった。ここの家主の娘だろうか。
「なに、心の澄んだ女の子の中はキミみたいな病魔ではさぞ住みづらいだろうと思ってね。引越しの手伝いに来てあげたのさ」
 と言っても、冥界もキミみたいな魔物には最悪の住み心地だろうけどね。と内心で付け加えて、床を蹴って一気に駆ける。
 狙うのはただひとつ。女の子の頭にある黒い靄。それこそが病魔の本体。
 一瞬で間合いを詰めて、一気に鎌を振り下ろす。それで今日の最後の仕事は終わる、はずだった。
「――あれ? 私、なんでこんなところに……」
 それは本当に一瞬だった。一瞬だけ、女の子は正気を取り戻した。いや、取り戻させられたと言った方が正しかったか。
 彼女が正気を取り戻したのが一瞬なら、ボクの動きが止まったのもまた一瞬。しかし、その一瞬は致命的だった。
「さくせん、せいこう」
 再び女の子の声が汚いガラガラ声に戻る。体勢を崩したボクは、瞬時に再び鎌を振るおうとするがもう遅い。
 黒い靄から光弾のようなものが三つ弾き出される。一つは鎌かき消したが、残りの二つは見事に右腕と左胸を貫通した。
「ぐっ……!」
 次いで黒い靄はその形を腕に変える。そして、とどめとばかりにその拳による強烈な一撃をボクの腹部に放った。
 顔面を苦痛に歪めることも、呻きを上げること間もなくボクは吹っ飛んだ。そして、受身も取れず壁に激突する。
「ははは、しんだ。しんだ」
 嬉しそうに汚い声で笑う病魔。死んだのか。誰が。ああ、そうか。血がさっきから止まらないボクのことを言ってるのか。
 それにしても、死か。随分と笑わせてくれるじゃないか。
 ボクが思うに、この世界に死なんて概念は存在しない。眠っているか起きているか。その二つしかこの世にはない。
「――随分、派手にやってるな」
 がちゃりと扉の開く音がすると、能天気な声が部屋に響く。遅い。ブラッド、お前歩いてきたな。
 病魔もその声に反応したようで、高笑いをしている。うつ伏せに倒れている私は声しか確認できない。
「つぎは、おまえ」
「次? なんのことを言ってるんだお前は。後ろを見ろよ」

728 名前:眠らせ神 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/09/24(日) 17:32:57.12 ID:ytVFbNCV0
 ブラッドがそう言うと、素直に病魔はこちらを振り向く。ようやく見えた。今はそんなに歪んだ表情をしているのか。
「なぜ、おきあがってる? なぜ、しんでない」
 簡単なこと。私たちには死なんて概念は存在しない。それを司る神だからだ。いくら血を流しても死ぬということはない。
「痛みはあるけどね。ボクは死ねないのさ。死神。いや、眠らせ神だから」
 人は死ぬことはない。最後は、覚めることのない永遠の眠りにつくだけ。その手伝いをするのが、死神の仕事。
 ならば「死」はおかしい。人を眠らせることは、人を死なせるということではない。だからボクは眠らせ神。
「うわああああああああああ」
 悲鳴を上げて、病魔は黒い靄から無数の光弾を放つ。でも、もう無意味。それら全てを鎌で弾く。
 一歩、また一歩と確実に病魔へと近づく。
「大丈夫。眠るということは、とても幸せなことだよ」
 こんなにも優しくない世界で、眠りという概念は誰にでも優しい。だから、怖がることはない。
 光弾が止み、ボクも鎌を振り下ろせば終わりという位置にまで着いた。
「きっと、キミも例外じゃないさ。だから――永遠に、おやすみなさい」
 病魔の顔がこれ以上ないというくらい歪んだ瞬間、ボクはその黒い靄に鎌を振り下ろした。

 全て終わって病魔が消えると、女の子はどさっとボクに倒れ掛かってきた。軽くよろめきそうになるが、
「終わったな」
 ブラッドがボクの倒れそうな体を支えて言う。
 来るのが遅い。と、ボクは軽くブラッドの顔を睨む。
「悪い。今度何か奢るから、それで勘弁してくれ」
「じゃあ、イチゴパフェで」
 わかったよ、とブラッドは頭を掻いて、手を上にかざすと散らかっていた部屋が一気に片付く。ボクの血痕も、もうない。
「さて、仕事も終わったし帰るとするか」
「待って、その前に」
 ボクは眠っている少女を抱き上げて、ベッドに移す。健やかな寝顔だったことに少し安堵した。
「病魔の影響は、ないみたいだね」
 家主にはさっきの匂いのせいで相当な嫌悪感を抱いているが、この子に罪はない。むしろこの子はとてもいい匂いがする。
 もうこの子は苦しまなくていい。今日からはゆっくりと休めることだろう。だからどうか、
「――おやすみなさい」
 そっと毛布をかけて、ボクはこの家を後にした。



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