【 hide-and-seek 】
◆U8ECTUBqMk




657 名前:品評会作品 hide-and-seek1/3 ◆U8ECTUBqMk 投稿日:2006/09/24(日) 13:17:13.82 ID:BuXgvfth0
 ねむれ ねむれ よい子よ ねむれ
 暗い森のさみしい魂に
 さらわれてしまわぬよに
 ねむれ ねむれ 


 私が覚えているのは、パパとママの喧嘩、町外れの森、古びた教会、甘い麦茶、優しい笑顔の女の人。
 暗闇の中、まだ眠いのに時々声が聞こえる。
「もういいかい?」私が口に出せる唯一の言葉「まーだだよ」
 ああ、あの時の事が見えてきた。まるで映画を見ているみたい――

 ――夜のじっとりとした湿気が、私の腫れた頬に沁みた。気づけば、当てもなく町外れの深い森に足を踏み入れていた。
 虫の鳴き声までも、私を取り囲んで脅かしてくる様に感じる。でも、どんなに辛くても、私はもう泣いたりはしない。同じ様な風景を歩いていると、
 目の前柔らかい光を見つけた。そこは、月明かりに妖しく照らされた古びた教会。
 茶色い蔦が白い外壁に絡み、紺色の屋根の上に置いてある小さな十字架。
 木製の大きな扉を開け、私は恐る恐る、中に入ってみた。
 ロウソクの光が揺らめく教会の中。二十歳位だろうか、腰の辺りまである様な黒いフードを被り、雪の様に白い肌の女性が祭壇でお祈りをしていた。
「さっちゃん! 来てはならないと言ったでしょう。 こんな夜中にどうしたのですか? お父さんお母さんがご心配になりますよ?」
 いきなり名前を呼ばれたことに驚いたが、きっと誰かと間違っているのだろう。私は正直に答えた。
「だれかと間違えてませんか? 私、ここに来るの初めてです。それと、両親は心配なんかしません……」
「そうですか……。ごめんなさい。つい……。少し待っててくださいね。何か冷たいお飲み物を持ってきますから」
 それが、咲江さんとの出会いだった。
 しばらくすると、冷たい麦茶を持ってきてくれた。私は、その麦茶をあっという間に飲み干して、もう一杯おかわりをした。
 家の麦茶よりも甘くてずっとおいしかった。お砂糖を少し入れるのがポイントだそうだ。
 咲江さんの瞳は紫色で、日本人なのか外国人なのか分からない様な、どこか不思議な雰囲気を感じさせる。
 でも、その優しい人柄に惹かれ、その日から毎晩。教会へ足を運ぶようになった。
 夕方から夜まで、私の事、中学校のこと、パパとママの仲が悪いこと、大好きなお婆ちゃんのことをお話した。周りが真っ暗になると、咲江さんが森の外まで送ってくれる。
 憂鬱だった毎日に、光が差し込んできた。
「じゃあ、咲江さん。約束だよ。今度私の髪切ってね!」咲江さんは、森の入り口で、ずっと私に手を振っていてくれた。
 優しい時間が流れる教会。ここが私の憩いの場となった。

658 名前:品評会作品 hide-and-seek2/3 ◆U8ECTUBqMk 投稿日:2006/09/24(日) 13:17:54.49 ID:BuXgvfth0
 出会って三週間が経とうとしていた日の早朝。私はパパとママの激しい口論で目が覚めた。
 嫌気がさし、家を飛び出し、咲江さんの居る教会へと駆け出した。セミの声がまだ静かな森に、私の足音だけが鳴り響いていた。
 咲江さんの教会は、早朝のまだ優しい日差しに包まれている。
 大きな木造の扉を開けた。扉の軋む音が教会の中に響き渡った。
 礼拝堂の奥の祭壇に黒い棺が置かれていた。
「こんなのあったっけ?」私は、棺に近づいた。この中はどうなってるんだろう? 好奇心に駆られて、私は両手でそっと棺の戸を開けた。
 甘い花の匂いが辺り一面を包む。棺の中、両手を胸に重ね、静かに眠る咲江さんの姿があった。
 棺の中に広がっていた場景に、私は怖くなり、堪らず教会を後にした。

 隣町の病院。そこには大好きなサチお婆ちゃんがいる。
 サチお婆ちゃんのお話は何処か不思議で楽しい。ある日こんな話をしてくれた。
「幸代や。お婆ちゃんはね。昔、不思議な体験をしたんだよ。森の深いところに、教会が建っていたのを見つけたんだ。
その中には、それはもう、とても綺麗な瞳のシスターさんがいてね。名前をなんと言ったかな? それでね、そのシスターさんの
出してくれる麦茶が、とっても美味しかったのを覚えているのだよ。シスターさんはある時、こんなことを言うんだ。
『私は吸血鬼だから、もうここへ来てはいけない。今度来た時には、寂しさのあまり、さっちゃんを仲間にしてしまう』とね。
お婆ちゃんは怖くて逃げちゃったんだけど、このことを誰に話しても信じてくれないし、もう、その教会も何処にあるか知れないねぇ〜」
 そうか、そうだったんだ……。
 この三日後、大好きなお婆ちゃんはゆっくりと息を引き取った。
 私の目の前が霞んでいく。今まで感じたことのない激しい感情。目が熱い。白いシーツがビチャビチャに濡れていく。
 私は駆け出していた。当てもなく、オレンジ色の世界が薄い黒幕を垂らす世界を、ただ、がむしゃらに。
 
 気がつけば、そこは古びた教会。優しい咲江さんがいる所。
 もう一人、私に優しかった人がいる。心の拠り所はまだあった。私は教会の中へと入っていった。
「あら、久しぶり。また来てくれたのね? 寂しかったわ」
 咲江さんは優しく声をかけると、私の頬を拭いて抱きしめてくれた。
「さっちゃん。さっちゃん。辛いことでもあったのですか? 私に何か出来ることはありませんか? 私はいつでもさっちゃんの味方です」
 優しい言葉に私は、何もかも全て忘れて、叶わぬ願望を吐き出していた。
「もう、生きていたって辛いだけなの! 私、咲江さんと……。ずっと一緒にいたいよ!」
「ずっと、一緒に……。あなたは一人じゃない。もう、一人では……」
 黄昏が黒い幕を落とし、完全なる夜が支配する世界。私の首筋に牙を立てる咲江さんがいた。ああ、目の前が暗くなっていく――

659 名前:品評会作品 hide-and-seek3/3 ◆U8ECTUBqMk 投稿日:2006/09/24(日) 13:18:49.27 ID:BuXgvfth0
「もう、いいかい?」女性の声が響く。
 優しい声。この声は咲江さんだよね? 私、今どうなってるの? ねぇ、咲江さん。
 声が出ない。言おうとしても、口が開かない。手を伸ばすとすぐに行き止まる。
 狭い個室に寝かされているようだ。そして、花の甘い匂いもする。
 どうやら、ここは棺の中。
 また暫くすると、声が聞こえてきた。
「もう、いいかい?」私に問いかけているのだろうか?
「まーだだよ」私は口を開いた。驚いたことにこの言葉だけが口をすり抜けていく。
「さっちゃん。起たようですね。事情がわからないと思うので、説明します。
さっちゃん。私はあなたの血を全部抜き取って、私の血をあなたに分け与えました。
今のあなたはもう、人間ではありせん。そして、あなたは人間の時の記憶が無くなるまで、土の中で眠り続けていてください。
完全に記憶を忘れたとき、私の問いかけに答えてくださいね」
 そうか、私……。咲江さんとずっと一緒にいるんだっけ。
 記憶を忘れるのには、もう少し時間が掛かりそう。
 土の中で眠って、咲江さんが起こしてくれるまで待ってるからね。


 真っ暗な。静かに聞こえる女性達の声。
「もう、いいかい?」
 
「まーだだよ」

「もう、いいかい?」
 
「もう、いいよ」

     完



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