【 その、素敵な月明かりの下で 】
◆tGCLvTU/yA




363 名前:その、素敵な月明かりの下で ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/09/18(月) 00:05:45.29 ID:HcMpu00b0
 秋の夜長は読書に限る。自室に籠もり、微かに聞こえる音量の好みの音楽を流して読書に浸る。なんて素晴らしい。
「でも、読んでるのがこれじゃあ……読書なんていえるかどうかは微妙だけど」
 これで小説でも読んでればいいのだが漫画を読んでいるだけに格好がつかない。小説に手を出してみようかなんて考えていると、
「兄さん。今、いいかな?」
 ドア越しに聞こえたのは妹の秋乃の声だった。
「ん、どうした。別にいいけど」
 ドアが開くと、秋乃は顔をニコニコさせて俺に近づいてくる。今日は自慢のロングヘアーを後ろに束ねているようだ。
「どうした、何か用か?」
「んー、ちょっとね」
 秋乃が俺の部屋に入ってくることなんて珍しくもなんともないのだが、今日はどこか様子がおかしい。
 なにせ部屋に入るたびに出る小言がない。この前は確か部屋の汚さについてだったか。あの時は本当に掃除されて大変だった。
 定番のアレを見つけられて処分されたときは、大喧嘩になったなあ……なんてことを考えていると、
「あのさ、ちょっと外に出ようよ。すごく月が綺麗だから」
 そんなこと言ってきた。
「月?」
 多分ものすごく間抜けな顔で俺は聞き返していることだろう。月見のシーズンといえばシーズンではあるが。
「そう、月。満月だからさ、ね?」
 両手を合わせてお願いしてくる秋乃には悪いが、満月だと言われても俺はなんの特別さを感じない。
 月見うどんでもすすりながら月を見るのも悪くはないが、今の俺には自室で漫画の方が魅力的だった。
「月見をしようってことか。でもなあ……月なんてこの窓からでも充分眺められるじゃないか。」
 俺はちらりと窓に目をやる。あまり大きな窓とは言えないが、それでも月は充分に見えている。
「嫌だよそんなの。風情がないもの。それに漫画だっていつでも読めるでしょ。満月は今日を逃すとしばらく見れないんだよ?」 
 しばらく見れなくてもいいから俺はこんなに渋ってるんだけどな。と、言い返す暇もなく俺は強引に手を引っ張られる。
 強引なのはいつものことだが今日はちょっと強引すぎやしないかと、ため息を吐きながら俺は一階への階段を降りていった。

366 名前:その、素敵な月明かりの下で ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/09/18(月) 00:07:07.01 ID:HcMpu00b0

 手を引っ張られて庭に出ると、ついさっきまで赤かった空がすっかり黒くなっていた。秋は本当に陽が落ちるのが早い。
 これで星でも輝いていれば最高の眺めだが、澄んでいるとはいい難い都会の空に、星はひとつも見当たらなかった。
「こっちこっち!兄さん、ここに座って」
 さっきまで俺の腕を引っ張っていた手は、気がつくと俺の座る場所をバンバンと叩いている。
「わかったから椅子をバンバン叩くな……」
 庭の真ん中にある滅多に使わない簡素なテーブルに腰を下ろして、夜空を見上げる。確かに見事な満月だ。
「む……確かにこりゃ綺麗だな」
 暗黒の空にポツンと煌く黄金の光。月なんてじっと眺める機会がないが、改まって眺めてみるとなかなか良いもんだ。
「そうでしょそうでしょ。そして、せっかくの月見ということで……用意してみました」
 どん、と月を眺めていた俺はそんな音を聞いた。空を見上げていた顔を、ゆっくりとテーブルを見れる位置にまで戻す。
「おお!」
 先程まで寂しかったテーブルに並ぶのは、紛うことなき月見うどん。丼にぷかぷか浮かぶ卵が食欲をそそる。
 そしておまけに団子まで。どうやらこっちは何から何まで自作のようで、少し不細工な団子だった。
 さっそくうどんを口に運ぶ。げ、かなり美味い。こいつ俺の好みを完璧に把握してるな。見事な薄味うどんだ。
「ふふん、どう?」
 ニヤリと口元を歪ませる秋乃。悔しいが、あっぱれといわざるを得ない。
「……お見事でした」
「よしっ!」
 心の底から嬉しそうにする秋乃。俺に美味いと言わせることがそんなに嬉しいのだろうか。いつも言ってる気がするが。


367 名前:その、素敵な月明かりの下で ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/09/18(月) 00:07:56.66 ID:HcMpu00b0
 団子もうどんも一通り食べ終えて、月も充分に堪能した。さて、これからどうしようかと秋乃の顔を窺う。
「……」
 どうやら俺の視線に気づかないくらい、すっかり月に見とれているようである。
 妹にこんな感想を抱くのはどうかと思うが、その横顔は今日の満月と同じくらい綺麗だった。
 正直なところ、兄貴の俺から見ても秋乃は端整な顔立ちとしていると思う。同じ血を引いてるとは思えないくらいに。
「ねえ」
 今月に入ってすでに告白されてる現場を五度ほどあくまで偶然に目撃したが、不思議なことに全部断っていたっけ。
 他に好きな人でもいるのだろうか。
「ねえってば」
 だが、こいつが彼氏を連れてきた日には俺はまともに反応できる自信がない。もしかしたらその男を一発殴ってしまうかも、
「ねえってば!」
 思わず耳を塞ぎたくなるくらいの怒鳴り声だった。
「ん、なんだ? そんなに大声出さなくても聞こえるよ」
「……聞こえてなかったと思うけど。まあいいよ。あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」
 呆れたような顔から一転、秋乃は真剣な顔つきで俺の顔を見つめると、 
「月に行ってみたいって、思ったことない?」
 それだけ言って、こちらの顔をさらに見つめてきた。え、それで終わりなのか。
 俺は充分堪能したはずの月をもう一度眺める。綺麗だとは思うが、行ってみたいと思ったことはない。
 どう返答すべきか迷ってる俺に、秋乃は返答を待たずに喋りだした。
「例えばの話だけどさ、月なら私と兄さんが結婚できるかもしれないでしょ?」
 平然とした顔でそんなことを言われても、俺は顔に疑問符を浮かべることしかできない。
「いや、だからね。例えばの話。私と兄さんじゃなくてもいいんだけどさ」 
 例え話なら顔を赤らめるのをやめてくれないか、と言ってやりたいがビンタが飛んできそうなので言わない。
 しかし結局、こいつは何が言いたいのかさっぱりわからない。結婚が自由にできる思う根拠はなんなんだろうか。
「なんで結婚できると思うんだ?」
「だって月なら法律も適用されないし、できるかなって。兄妹だからって愛する二人が結ばれないのはおかしいとは思わない?」
 こいつが何か変なことを言い出す時は、本による影響が受けてる場合が多い。多分、妙な恋愛小説でも読んだに違いない。
 それにしても月で結婚式とはまた画期的なアイデアだ。遠い将来どっかの金持ちがやりそうだな。 
 しかし、妹の疑問には兄として何か答えなきゃいけないだろう。月で結婚できるかどうかなんてのは知らないが。
「うーん……難しいな。月で結婚できるかどうかは知らないが、結婚にこだわる必要はないんじゃないか?」


368 名前:その、素敵な月明かりの下で ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/09/18(月) 00:08:27.73 ID:HcMpu00b0
「え?」
 秋乃は目をキョトンとさせる。
「だってそうだろ? 結婚てのはあくまで形式上のもんだ。その気になれば、結婚なんかしなくても一生いられるじゃないか」
「あ……」
「法律がダメって言ってるのは結婚だけだろ。愛し合うな、なんて誰もいっちゃいないさ」
 我ながらなんて恥ずかしいことを言っているんだろうか。しかも結構無茶苦茶なこと言ってる気がするぞ。
 でも、間違ってはいないと思う。好きなものは好きだからしょうがない。たとえ相手が男だろうと女だろうと妹だろうと。
「そう……だよね。兄さんの言う通り、かもしれない」
 服の裾をギュッと掴んで、秋乃は俯き加減に言う。
「別に言う通りってことはないと思うが、まあこういう考え方もあるってことさ。参考になったか?」
「うん、とても。あ、そうだ」
 秋乃は何かを思い出して、自分の服に手を突っ込んだ。突然すぎる行動に唖然とすることしかできなくて目を伏せる暇もなかった。
「隠す場所なかったから服の中に入れてたの忘れてたよ。はい、これ」
 取り出したのは一冊の本。カバーがかけてあって、何の本かわからない。
 中身はわからないが、どうやら文庫本のようだ。多分小説だろう。
「それじゃ、これだけは渡しておきたかったの。それじゃ私はもう部屋に戻るね」
 そういって自分の食器だけ抱えて足早に戻る秋乃。渡すだけ渡して、俺の反応には興味ないのかよと言ってやりたい。
「ったく……ん?」
 本を開くと、何かカードのようなものが落ちた。栞か何かかと思ったが、なんだか気になって拾い上げる。
 どうやらメッセージカードだった。あいつの書いたものらしい。
 ――誕生日おめでとう。たまには漫画じゃなくて本も読みなさい。妹より
 なんともあいつらしいあっさりとしたメッセージだ。だけど、それが嬉しい。俺はそのカードを再び本に挟む。
「好きなものはしょうがない……よな?」
 誰もいない空に一人呟く。聞いているのは、輝いている月だけだ。

―おしまい―



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