【 月に書いたラブレター 】
◆D8MoDpzBRE




349 名前:月に書いたラブレター 1 ◆D8MoDpzBRE 投稿日:2006/09/17(日) 23:57:18.74 ID:ZPNuqjSL0
 複座式宇宙艇が、亜光速で漆黒の闇を切り裂いていく。操縦桿を握る青年、クライド・ロートンと、後部座席
で航路計算をする少女、ハナ・アキヅキは、それぞれに胸の高鳴りを自覚していた。
 計器の針が、少し撥ねられる。それが、ハナの視界の片隅に留まった。
「クライド、太陽系外小惑星帯の重力反応を検知したよ。減速航法に切り替えるから、艇内対重力モードを作
動させるね」
「よし来た」
 いよいよ太陽系に差し掛かるため、これから慎重に艇を減速させねばならない。ここまで来れば、地球到着
まであと一日足らずだ。
「いよいよだね、クライド。やっぱ久々の地球は懐かしいって感じ?」
 クライドの背後から、ハナが好奇心をみなぎらせた声で訊く。それに対するクライドの返答は、やや冷めたも
のだった。
「いや、もう忘れた。俺、まだその頃は子供だったし、それに今の地球と昔の地球は全くの別物さ」
「なーんだ、つまんない」
 ハナが、落胆を隠さずにため息をついた。
「悪かったな、ハナ。それより、敵影のチェックを引き続き入念に続けててくれ」
 元々宇宙海賊として名を挙げ、武装した輸送艦隊を襲撃した実績もあるクライドたちにとって、敵に追われる
こともまた日常茶飯事であった。ただ今回の逃走劇は、これまでのものとは事情が違いすぎた。
 というのも、彼らの手元にはある極秘情報が握られていたのだ。表沙汰になれば、今後の宇宙史の流れをも
書き換えてしまう、物騒な機密事項。この危険なお宝を地球政府の要人に渡せば、巨万の富と引き換えられる
だろう。
「でもさ、こんな一枚の紙っぺらに何の価値があるって言うの?」
 レーダー画面とのにらめっこに飽きたハナが、再びクライドに質問を浴びせた。一向に敵襲の気配はない。
「ハナ、少し黙ってられないのか? 作戦が終わったら全部教えてやるからさ」
「ちぇっ」
 クライドが座るコックピットから左下を見下ろすと、青い宝石のように小さく光る海王星が見える。その大きさ、
〇・二カラットと言ったところだろうか。彼らから見てかなり距離がある。
――ハナが地球に来るのは、初めてだったな。
 クライドはかつての地球の姿を思い浮かべいた。紺碧の地球。地表には緑があふれ、水が広大な大地を潤
していた。
 そして今の地球……。

351 名前:月に書いたラブレター 2 ◆D8MoDpzBRE 投稿日:2006/09/17(日) 23:59:33.79 ID:ZPNuqjSL0
――ハナには見せたくないな。
 今のクライドには、ただ虚しく祈ることしか出来なかった。

 百年以上もの昔、かつて地球から約三十五光年離れたポルックス星系へと渡っていった移民たちがいた。
その総数は、地球を出発した時点で百人にも満たなかったと言う。
 その後、幾重もの困難を乗り越えて新天地にたどり着いた移民たちは、ポルックス星系の第三惑星に新しい
政府を作った。ポルックス政府の樹立。地球に近い環境を手に入れた彼らは、豊富な資源と食料に恵まれて、
瞬く間に文明を発展させていった。
 そんな彼らの心に、次第に軍事的な野心が生まれた。征服欲という名の、抑えがたい衝動。その矛先は、か
つての母星である地球へ向けられた。
 そして、現在から遡ること十五年前となる西暦二,四六〇年。ついに彼らは大規模な攻撃型宇宙機動艦隊を
編成し、当時地球政府側が未開発であった跳躍航法、いわゆるワープ航法を用いて太陽系へ迫った。不意を
衝かれた地球軍の迎撃より早く、ポルックス軍機動艦隊の放った核兵器が、地球上のあらゆる構造物を焼き
払った。
 辛うじて生き残った人間は、当時地球外にいたか、地下核シェルターに移動したほんの一握りの者だけだっ
た。
 しかし、地球という星を愛する彼らは、相手への報復を忘れなかった。すぐさま太陽系のいたる小惑星に極
秘裏に配備した地球軍宇宙艦隊が集結し、勝利に沸くポルックス軍機動艦隊の輪の中に反物質弾数千発を
打ち込んだ。
 反物質弾――その攻撃力は核兵器を数百倍も凌駕する、究極の破壊兵器だ。
 史上最大の花火。巨大な閃光が宇宙の片隅できらめいた。爆風は地球や月の表面にまで到達し、ポルッ
クス軍機動艦隊は跡形もなく蒸発した。
 結果、戦闘は両者の痛み分けに終わった。地球政府は総人口の九十九パーセントを失い、地球上は放射
能が吹き荒れる荒野と化した。一方のポルックス政府も、軍の主戦力の大半を失った。
 その後、十数年に及ぶ軍事的膠着状態が続いて、現在に至る。

352 名前:月に書いたラブレター 3 ◆D8MoDpzBRE 投稿日:2006/09/18(月) 00:00:03.70 ID:T6aY/vYC0
『ピー、ガガガガ』
「あー、もう何コレ」
 ハナの座席後方に置かれた無線機がノイズを拾い始め、レーダーの画像は次第に砂嵐と化してきた。妨害
電波の濃度が上昇している。実は、これこそ地球に近づいてきている証拠だ。
 数年前から、地球周辺では電磁波を用いた機器の類、すなわち無線やレーダーが使用不能となっていた。
ポルックス軍が地球周辺の宙域に散布した、数十億個の妨害電波発生装置が原因だ。これらの一部には、
地球の周回軌道に乗って人工衛星になったものもある。
「よーし、ハナ。こっからは敵機は目視で捕捉しろ。っつっても、俺たちにはどうせ逃げるしか出来ないんだか
ら、せいぜい早く見つけてくれよ」
「うっそ、勘弁してよぉ」
 ハナの視線の彼方遠くには、赤茶けた地球と銀色の月が仲良く並んでいる姿があった。ハナにとっては初
めて訪れる地球。もう少しゆっくり眺めていたかったのだろう。
 墨汁よりも深い黒が染み込んだキャンバスの上に、不吉な朱色が浮かび上がる。これがかつて水の惑星と
呼ばれた、地球の現在の姿だ。地球上にあった水分は、核による爆撃の影響で大半が宇宙に蒸散してしまっ
ていた。
 しかしハナは、地球の隣に並ぶ小さな星に眼を奪われていた。銀色に光る円盤は、月自身の陰で少し欠け
ているように見える。現在、月面上には、一切の建造物や居住用の施設はない。
 月の表面には、薄く神秘的な模様が描かれていた。昔の地球人がウサギの餅つきになぞらえた、月面の
絵画。
「綺麗だね……月って」
 ハナがつぶやく。それを聞いて、クライドもため息をついた。
「地球だって、昔は綺麗だったんだ」
 もはや地球は、宇宙の歴史の中に忘れられていく存在でしかないのだろうか――

「クライド、あれ! あれ見て!」
 突然ハナが叫ぶ。指差している方向は地球だ。クライドが目を凝らすと、地球近辺にポルックス軍の艦隊が
集結しているのが見えた。
「俺たちの動きが勘付かれたのか?」
 クライドが苛立たしげにつぶやく。次の瞬間、彼の疑問に対して無粋な回答が呈示された。

354 名前:月に書いたラブレター 4 ◆D8MoDpzBRE 投稿日:2006/09/18(月) 00:00:41.99 ID:T6aY/vYC0
 ピピュン、ピュン

 背後から閃光の束が数条、クライドたちを乗せた宇宙艇をギリギリかすめていく。エネルギー機銃掃射だ。
「やばっ」
 クライドが操縦桿を乱暴に引いた。瞬間、物凄い遠心力が艇内にかかる。敵戦闘艇との近接格闘戦。
「もうちょっと手加減してよ」
 いきなりの戦闘開始に驚いたハナが悲鳴を上げる。
「悠長なことは、死んでから言え」
 クライドがこれでもかとばかりに、操縦桿を傾けた。ギシッ。宇宙艇全体が歪む。強引な弧を描いた艇は、
ちょうど敵機の背後に回りこむように旋回した。
「食らえ、糞野郎共め」
 クライドが機銃のスイッチにてをかけた。百戦錬磨の腕前だ。
 ボッ、ボッ。
 真空中で静かに、敵戦闘艇が火に包まれた。見ればその数三機。あっという間の出来事だった。
「追っ手が来るぞ、ハナ。ここは宇宙艇を加速するぞ」
 勝利の余韻に浸る様子もなく、クライドが叫んだ。
「エェー、これ以上スピード出すと地球に降りられなくなっちゃうよ」
「地球の周りをうろちょろしてる、あの敵艦隊を見ろ。どの道俺たちが地球に降りるのは無理だ」
 言うが早いか、クライドが推進エンジンを目一杯噴かせた。

356 名前:月に書いたラブレター 5 ◆D8MoDpzBRE 投稿日:2006/09/18(月) 00:01:21.27 ID:T6aY/vYC0
「さて弱った」
 クライドが頭を掻く。
「だから言ったじゃん。スピードを上げたら地球に着陸できないよって。もう知らない」
 ハナが拗ねる。
 宇宙艇は、地球への方向から反れて進んでいた。地球から見て、ちょうど月の真裏に向かう針路。
「ところでさ、クライド。この極秘の書類って一体何なの? これを地球政府に売りつけたら大金持ちになる
んでしょ」
 ハナが、先程と同様の質問をする。
「地球政府の副大統領が書いた書簡。これを読めば分かるが、奴が地球政府の機密をポルックス政府に
売ってやがったんだ。先月襲った輸送船団が偶然これを持っていた。御丁寧にも金庫なんぞに入れてな。
おかげで探す手間も省けたぜ」
 この事実が地球政府に知られれば、大変なことになるだろう。少なくとも地球政府側にとって、戦局を打
開する一つの大きな転換点になるはずだ。
「で問題は、どうやってこれを地球政府に垂れ込むかなんだよな。もはや地球に着陸するのは不可能だし、
無線とかも妨害電波で通じない。月面には地球政府側の基地もない」
 クライドが、再び頭を抱えこんだ。
「ワードボムを使おうよ」
 ハナが声を上げた。
 ワードボムとは、入力した文字の形に爆発させることが出来る、特殊な爆弾である。主に電磁波による通
信が遮断されているケースで威力を発揮する通信手段だ。
「簡単に言うけどな、せっかくワードボムを打っても誰かが見ててくれないと意味がないんだぞ。それに、地
球上からワードボムの文字を読むには、ちょっとした望遠鏡が必要になる。それくらい、小さい字にしかなら
ないんだぞ」
 現在、地球の表面上には一部の軍事施設関係者を除いて、居住している人間はいない。闇雲にワードボ
ムを夜空に炸裂させても、それを観察する人間がいなければ空砲に終わってしまう危険性があった。
 それに対して、ハナがおもむろに口を開いた。
「月面に打とうよ。月の上なら、誰かが見てるよ。見てないかもしれないけど、そうするしかないじゃん」
 ハナの言葉は、いつになく真剣だった。その言葉に、クライドもついつい気圧される。
「そうだな、やるしかないな。でも、このやり方じゃ地球のお偉いさんに肝心の報酬がもらえないんだぜ?」
「仕方ないよ。私は、今のままでも楽しいから、それでいいよ」

357 名前:月に書いたラブレター 6 ◆D8MoDpzBRE 投稿日:2006/09/18(月) 00:02:25.15 ID:T6aY/vYC0
 その日、月面に大きな文字が描かれた。かつて静かな海と呼ばれた場所に、くっきりと赤い文字が並ぶ。
その最後には、こう署名されていた。クライド&ハナ・ロートンと。
  <了>



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