【 飛翔する月 】
◆aDTWOZfD3M




348 名前:『飛翔する月』 ◆aDTWOZfD3M 投稿日:2006/09/17(日) 23:56:53.31 ID:3D2TN2Ar0
 私が葬儀会場のサン・ピエトロ大聖堂に入った時、内部はすでに参列者で一
杯になっていた。見事な装飾の施された荘厳なる大聖堂の中を、いかにも身な
りの良い人(およびそれに近い物)が埋め尽くしている光景には圧倒されるばか
りだ。中には、私がいつも三次元テレビで見ていたような人物もちらほらと見
え、私は思わず身震いした。
 確かにこの儀式の重要性を考えれば、そういった人々が参列しているのも頷
けるのだが、本来私はこのような席に出るような者ではないのである。それが
今この場に居るのは、私が今回のプロジェクトに参加した技術者の元締めのよ
うな立場にあるからである。この日の私も、参列者としての立場もあるが、儀
式の最中にトラブルが起きた場合に即応するという任務も帯びてこの会場にい
るのだ。
 すると会場の出入り口の方から、部下の一人が入ってきて私に向かって話掛
けてきた。
「局長、現在の所全て予定通り、異常なしです」
「ご苦労だった、第二会場の様子はどうかな?」
そこまで言った所で、部下はやや態度を崩して言った。
「紫禁城の方ですか? こっちよりよっぽど気楽ですよ。局長もこんな堅苦し
い所じゃなくて、あっちに行けばいいのに」
「俺だって、居たくて居るわけじゃない。 お偉いさん方に言われたからしか
たなく居るだけだよ。 料理だって、本当は中華みたいにマナーにうるさくな
いような奴が好きなんだ」
「いやぁ、下手に出世するとたいへんですなぁ」
「その通り、お前もお気楽にやっていられるのは今の内だけだぞ」
話の流れ上そう言ったが、私は知っていた。今回のプロジェクトに参加した者
は全員、この三年間はお気楽さとは無縁の生活をしてきたのだ。なにしろ、彼
らの双肩に人類全体の財産と言うべき物が懸かっていたのである。それを思え
ば、今日はしっかり気楽に祝って欲しい物である。
 葬儀が始まる直前になって部下が下がっていったころ、会場据え付けの大型
三次元投影機に映像が浮かび上がった。そこに映るのは、太陽系の八つの惑星
と、今やかつての二倍ほどの大きさに膨張し、真っ赤に変色した太陽の姿だ。

355 名前:『飛翔する月』 ◆aDTWOZfD3M 投稿日:2006/09/18(月) 00:00:53.06 ID:pemJ5lUp0
 同時にその脇にあるやや小型の投影機には、第二会場、すなわち私の部下達
の居る紫禁城の映像が映った。あちらは過去最大級の進宙式の会場だけあり、
すでにとんでもない盛り上がりを見せていた。それを見て私もあちらに走って
行きたい衝動に駆られたが、残念ながら私の隣には直属の上司である科学技術
省長官が座っているので、それはかなわぬ夢だった。
 会場が暗転し、いよいよ史上最大の葬儀が始まった。会場中央の赤ビロード
の絨毯の上を、大扉から現れた九つの棺が粛々と進み、それに伴って混声六部
合唱の葬送曲が鳴り響いた。
 九つの棺がそれぞれの位置に据えられると、今度はお偉方が次々に壇上に登
り弔辞を述べた。地球型人類の弔辞はそれは退屈なものだったが、異星起源の
知性体の代表者の弔辞は実に色彩豊かだ。『珪素型生物中枢群体』の特使は発
光信号で、『思念生命集合体』の大使は思念波で、『三星連合帝国』代表は体
毛を緩やかに波打たせることによって、それぞれの弔意を述べた。
 私が地球人類とは別の知性体の死生観について思考を巡らせているうちに、
いつのまにか弔辞も終わり、いよいよ葬儀は最大の山場を迎えていた。壇上に
赤い大きなレバーが運び込まれ、そこに地球連邦大統領が歩み寄る。
 私は思わず身を固くして壇上を凝視した。これからの三十秒で、我々の仕事
の成否が決定するのである。確かに自信はあった。しかし、これは史上類を見
ない超巨大プロジェクトであり、その上ほんのわずかな瑕疵さえも許されない
仕事なのだ。これまでの経験のみでは、上手くいくと断言することはできない
のである。
 カウントダウンとともに、大統領がレバーに手を掛けた。投影機の向こうの
紫禁城では、同じようなレバーに数人の男女が手を掛けている。彼らは今年の
ミス&ミスターギャラクシーである。葬儀場のレバーは重力制御機関の、進宙
式会場のそれは核融合ブースターのスイッチであり、それが倒された瞬間二つ
の装置が作動して、我々を乗せたこの星は無限の宇宙に向かって船出するはず
である。

358 名前:『飛翔する月』 ◆aDTWOZfD3M 投稿日:2006/09/18(月) 00:02:36.29 ID:pemJ5lUp0
ついにレバーが倒された。ほぼ同時に紫禁城でもレバーが倒される。私達は
何の衝撃や反動を感じはしなかったが、投影機に映った地球の映像は少しずつ
遠ざかっていった。数人の部下が相次いで報告を上げ、全てが正常に作動して
いることを告げた。プロジェクトは成功だ!
 おそらく大統領にも誰かが報告したのだろう、大統領が会場全体に向けてプ
ロジェクトの成功を宣言し、それによって大聖堂全体が爆発的な歓声に包まれ
た。
 そのころ紫禁城の方は、もはや歓声どころではなくなっていた。何万本もの
シャンペンが音高く開けられ、人々は文字通りそれを浴びるように飲みながら
大音量で歌を歌い、あるいは踊り、それぞれ思い思いの方法で大いなる喜びを
表現している。
 葬儀場の方ではやや歓声も下火になり、大統領がマイクに向かっていた。
「皆さん! 我々人類は生誕以来最大の危機を、今まさに乗り越えました!」
 再び歓声があがる。大統領は続けて、
「太陽の急激な膨張、赤色巨星化という危機に対して、我々は人類共通の貴重
な財産である古代の遺跡や建造物、さらには史料等を守るため戦い、遂に勝利
したのです! これにより、今我らのいるサン・ピエトロ大聖堂を初めとする
文化遺産は消失の危機を免れ、その姿を後世に残すことになります!」



359 名前:『飛翔する月』 ◆aDTWOZfD3M 投稿日:2006/09/18(月) 00:03:21.02 ID:pemJ5lUp0
 三度歓声、そして拍手
「もちろん残念ながら、母なる地球そのものとは別れを告げなければなりませ
ん。また、その他の惑星そして太陽もまた同様です。我々はその最期を看取る
ためにここに集いました。」
 長官が私に向かって、
「本当に地球では駄目だったのかね?」と言った。
 私は、
「質量が大きすぎますし、燃料のヘリウム3が少なすぎますから」と答えた。
 実際、地球はブースターで動かすには大きすぎるし、大きさが重力制御の限
界を遙かに超えていた。何より、地球にはほとんど存在しないヘリウム3がこ
こには豊富に存在したのである。我々技術者は、そう言ったことを考えた上で
計画を進めてきたのだ。科学に関しては門外漢の政治家にとやかく言われる筋
合いはだろう。
「しかし、我々は一つの親しみ深い天体によって救われ、またそれを救うこと
に成功しました! これはまさしく快挙としか言いようがないでしょう! さあ
皆さんも、この計画に携わった全ての人々と、偉大なる天体『月』に感謝の念
を捧げましょう!!」
 大統領の演説とともに、投影機の映像が切り替わった。そこには虚空を力強
く飛翔する月の姿があった。我々の苦労は、どうやら報われたようである。
 私は、後で部下達に酒でも奢ってやろうと決意した。



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