【 天剣 】
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329 名前:天剣 投稿日:2006/09/17(日) 23:28:08.05 ID:n8jgu6v50
天頂に金色に聳える望月を、銀に煌く刃先が断った。
振り下ろされた刃は、その先に立つ、隻眼の男の鼻先を――掠めたに留まる。
いや、隻眼の男が留めさせたと言うべきであろうか、彼の上体は柳の如くに仰け反り
その刃から逃れていた。額からは凄まじい勢いで汗が落ちる。
「今の剣は……今の技は……まさか!」
彼にとっても只今の剣を躱しえたのは一種の僥倖であった。
――今一度、躱せるものであろうか――
彼が思うと、額に冷涼なまでに鋭い痛みが走った。
汗に紛れて血が垂れていた。頭蓋までは辛うじて届いていない。
彼の右目の眼帯に血が溜まる。
もう一人の男――こちらは隻眼の男とは違い、まるで両家の娘のような白い肌に傷一つ持たぬ、その剣に劣らぬ鋭さの美しい男である――
の魔剣は、彼の額に届いていたに留まらず、
『斬られていた』という事すら気づかせぬほどに怜悧であった。
月以外には何者をも身を縮めていた。
風は吹かず。森は鳴らず。コウロギですら二人の男に怯えている。

「く、く、く、今の一刀よくぞ交わした。片目失えど、その技量、微塵も衰えぬか……
とは言え……この程度で死んでもらっては途方に暮れておったぞ……のぅ」
刀を振った男は、素早く構えを戻すと嘲るするように言う。
「のぅ、柳生……十兵衛よ!」
名を呼ばれた隻眼の男――当代最高の剣士、柳生十兵衛はようやく刀を抜くと叫んだ。
いくらかの恐怖と共に。いくらかの歓喜と共に。
「その技は!今のお前の、その技は〜!」
「そうだ。貴様の右目を奪った技。我が父、眠狂四郎が奥義、円月殺法よ」
風が吹いた――眠狂四郎が息子、狂死朗は哄う。

330 名前:天剣 投稿日:2006/09/17(日) 23:28:51.04 ID:n8jgu6v50
「十兵衛、貴様に師を、否、父を斬られて以来、私が何を糧にして生き延びてきたと思う?
ふふ、月並みな話しだがね、ふ、月か。復讐さ、父は貴様の右目を潰し、貴様に斬られた。
いくら相手が柳生の御曹司とは言え、父の命と目玉一つじゃ割りがあわんだろう?
私は夢見たよ、父を斬った貴様を父の技、円月殺法で斬ることを。
だが、貴様に対して円月殺法が二度通じるか?今の通りだ。
そこで私は思案したよ。円月殺法を超える円月殺法、満月殺法をな!」
「満月殺法……だと…!」
「難産な技であったよ。あらゆる者を切り、あらゆる剣を学んだ。剣ならぬ忍術も。
くく、果ては朝鮮で妖術まで身に着けた。
天分に恵まれ、家柄に恵まれ、屋敷でこの十年のうのうと生きた貴様とは――剣の啼く声が違う」
狂死朗はゆっくりと剣を廻す。その切っ先は中空の月を違わずなぞり、最長でピタと止まる。
いかなる剣が舞い来るのか、十兵衛には思いもよらなかった。
だが、十兵衛は狂死朗の目を見て二ィと笑みを浮かべる。
十兵衛も、十年を大過なく過ごした訳ではないのだ。

「剣を捨てろ。腹を切れ。死ね。ここで。十兵衛よ。愚息め」
父、宗矩は無表情のまま短刀を投げ捨て言った。片目を失った剣士など、しびと同然である。
十兵衛は目一つ分だけの経験を積む事にした、つまりは人を斬って斬って斬りまくった。
野党は堂々と斬り、兵法者は影となり斬った。抵抗するものは斬り、抵抗しないものは斬った。
男を斬り、女を斬り、年寄りを斬り、子どもを斬り、坊主を斬り、尼を斬った。
動くものは全て斬り、動かぬものを皆斬った。そして彼の左目は二つ分の働きをする。
右目を失い七年目の事である。

331 名前:天剣 投稿日:2006/09/17(日) 23:29:29.07 ID:n8jgu6v50
そして十兵衛は柳生を学ぶ。新陰流を学ぶ。円月殺法を学ぶ。
柳生新陰流。新陰とは何であるか。真なる陰である。新なる影である。
十兵衛は悟った。新陰流。それは新月を。虚無なる夜を司る剣であった。
十兵衛は月の剣を得た。光の円月殺法の対極の月を。闇の月を。
そして十兵衛の前に再び光の月が現れる。円月を超える光をもって。満月の光をもって。
十兵衛は笑った。狂死朗も笑った。笑わずにおれようか。
そして、十兵衛は目を瞑った。

「く、く、十兵衛。貴様もそれなりの苦労はしていたようだな。
ならばこそ、天は私を見たようだ。この月を見よ。光り輝く月を見よ
見たくもあるまい?ならばそうして目を塞げ」
天の輝きは二人を照らす。十兵衛はジリジリとさがり、狂死朗が追う。

「朝まで待つ気か?十兵衛。はたまた眠くて堪らないか?ならば寝ろ、満月殺法で」
狂死朗が動いた、その時だ。
月が、欠けた。
「朝までは――待たぬさ」
月は見る見る消えて行き、遂には完全に闇に喰われた。
光に慣れた狂死朗にとって、景色はもはや黒一色。
そして十兵衛は目を飽ける。闇に慣れた目を。
狂死朗の降ろした剣はもはや十兵衛を捉える適わず、
十兵衛の振り上げた剣を狂死朗は見ること適わず。
やがて十兵衛の剣が狂死朗の頭頂から抜けると、ゆっくりと月が戻ってきた。
寛永十八年、九月四日の夜である。

332 名前:天剣 投稿日:2006/09/17(日) 23:30:01.87 ID:n8jgu6v50

当時の史書を紐解くと、この晩の新月は古今稀にみる騒ぎとなったそうである。
江戸に於いては、我々が思う以上に暦は発達し、新月や日食の日にちは正確に予想可能であった。
それが由に、「起こるはずがない」この日の新月はすわ天変地異の前触れか、と人心を乱したそうだ。
近年の研究により、この月食が「タアロボ月食」と呼ばれ、約500年に一度起きるものとは判明したが、それでも筆者は思う。
この新月こそは、十兵衛の剣気の呼んだ、必然の日食であったと―――

後にこの新月、タアロボ月食の持つ力、「新月、タアロボ」にあやかって、かの有名な巨大ロボット「真・ゲッターロボ」の名がつけられたのは、もはや有名すぎる話である。
「OH!痛!貴様!〜月と武術千年史〜」太公望書林館

完結



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