【 月の裏にて 】
◆Awb6SrK3w6




338 名前:月の裏にて1/6 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/09/17(日) 23:36:04.44 ID:qwCwS2u1O
月の裏の荒野を、僕は一台の船を駆って疾走していた。
 船員は僕と先輩である黒人のジョン隊員の総員二名。
 僕らはお揃いの青い月面警備隊の制服を身に着け、奇岩の他には何もない、不気味な地表を眺めていた。
二人の間に、会話はない。あるのは何時の物かわからない、単調なロックミュージックだけである。
 半ば白けた空気が漂って、既に一時間ほどが経っていた。

「先輩」
 均衡を破ったのは、沈黙と知らない音楽に耐えられなかった僕だった。
「BGM、変えて良いですか?」
「俺は、これが聞きたいんだ」
 先輩はにべもなくそう告げる。その無愛想に、僕は思わず嘆息した。
 一度の溜め息は今まで溜まっていた鬱憤を、一気に臓の奥から吐き出させる。
わざとらしく僕は二三度溜め息を繰り返した。ついでに愚痴も漏らす。
「本当なら今頃は、休暇貰って地球へ言ってたんだけどなぁ……」
「少し黙れ。休暇を消されたのはお前だけじゃないんだ」
 先輩が僕に対して一喝する。
「警察は三百六十五日、二十四時間営業なんだ。
こんな誰も居やしない、月の裏の巡回だって誰かがやらなきゃいけないんだ」
 眉間に幾重の皺を刻み、先輩は僕を睨み付ける。
 その威が僕に唾を飲ませ、動きを固まらせた。そんな時。
「ん?」
 外の状況を伝えるモニターに、映る物があった。

339 名前:月の裏にて2/6 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/09/17(日) 23:39:55.67 ID:qwCwS2u1O
 数えきれないクレーターが作る、人工物は疎か生命すら無いこの大地に、
「……船?」
 ポツリと船が佇んでいた。
「ほれ、仕事を始めるぞ」
 その声に振り向く。先輩が既に宇宙服を取り出していた。
「職質だ。外へ出るから服を着ておけ」
 滅多に起こることのない、月の裏での取り締まりが始まろうとしていた。

 月の裏は、月面航行法により、民間の船の侵入が制限されている。
道路網が整備されていない上に、訪れる場所さえない月の裏へやってくる暇人など、
そもそも居ないと言われれば確かにそうなのであるが、これも規則なので仕方がない。
僕たちがこんな不毛なパトロールをするのも、今目の前にある船が取り調べを受けるのも、
目的がよく分からない法の為であった。

 船は月面の移動に使用される小型艇だった。
レンタル業者がよく用いられるタイプで、おそらくこれもどこかから借りてきたものであろうと推測できた。
外観に大きな損傷は見られない。強いて挙げるべき特徴と言えば、艇の出入り口が開きっ放しになってることぐらいである。
「……乗り捨てですかね」
「かもな」
 ぶっきらぼうな先輩の声が、宇宙服に備え付けられた無線から響いてくる。
「こんな何もないところで、船を捨てる奴の気なんてわからんがな」
 確かに、見渡す限り荒野が続く、この月の裏で船を捨てるなど、正気の沙汰とは思えない。
だが、真空中にも関わらず、無防備に開いた出入り口を見ると、とても中に人がいるとも僕には到底思えなかった。
「じゃ、先に入っておく。お前は本部へ連絡しておけ」
 僕が考えて込む間に、先輩は船へと乗り込もうとしている。
「良いんですか? 勝手に入って」
「良いんだよ。そもそも航行禁止区域に立ち入ってる船なんだ。俺たちはむしろ中に入って取り締まらなけりゃならない」
 先輩は実にすっきりとした返事を返してくれた。
「はあ」
<  先輩の果断さにはいつも感心させられる。僕が生返事をしている間に、薄暗がりの船中へ、先輩の姿は消えていった。

340 名前:月の裏にて3/6 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/09/17(日) 23:42:53.25 ID:qwCwS2u1O
 そのやり取りから一分も経たなかっただろうか。
「うおおおぉぉおおっ!?」
 本部へ連絡しようとした僕の宇宙服の無線から、絶叫が響き渡った。
 条件反射から、僕は耳を咄嗟に塞ぐ。だが、耳の側にある無線からの音を防ぐのに、
宇宙服の上から手で耳を抑えても、それはあまり意味のないことであった。
「何だ……こりゃあ!」
 続けて無線から聞こえてきたのは、先輩の驚きが滲み出た一言。
どうやら先輩は何かを見つけた様であった。
だが、船の外にいる僕には、中の状況などあずかり知らぬ事である。
おまけに、先ほどの絶叫で鼓膜まで潰されそうになっている。不愉快極まりない。
「いったい、どうしたんですか。俺が老人だったら今のでポックリ死んでますよ」
 その不愉快さを皮肉に込めて、僕は先輩に問うてみた。
「んなことはどうでもいい! 早く来い!」
 どうやら、先輩はかなり興奮しているらしい。
皮肉はあっさりと無視され、先輩は僕に荒く指示を飛ばす。
「本部への連絡はどうするんですか?」
「後回しにしろ!」
「はあ」
 思えば、先輩がこれほど興奮している声を聞いたのも、初めてなように僕は思えた。
となると、余程の大事であるのだろうが……。
「まだ来ないのか?」
「あ、はい。今行きます」
 イライラしたような先輩の声で、僕の思考は中断させられた。

341 名前:月の裏にて4/6 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/09/17(日) 23:46:27.57 ID:qwCwS2u1O
 船内は先ほど見たとおり、非常灯だけが灯る薄暗い空間が広がっていた。
入ってすぐの乗員室の入り口の前で、先輩は突っ立っている。
「何かあったんですか?」
「中を見ろ」
 顎を船内の方へ向け、先輩は僕に指図する。宇宙服を着込んでいるので、少し動作はわかりにくい。
ともかく、僕は言われるがままに乗員室の中を見た。
 そこにあるのは5つの席。そして、その全てに行儀良く座る5人の姿だった。
 僕が入ってきた乗り込み口から、この船内に至るまで、真空空間と船内を遮断するための何かはない。
それにも関わらず、眼前の5人は宇宙服を着ていなかった。
 無論。
「……死んでる!?」
 状況から出される明快な答に対し、思わず僕は息を呑む。
「ああ」
 苦虫を潰したような顔をして、先輩は返事をよこしてきた。
「事故……でしょうか」
「さあな。こいつらには特に外傷も見られないから、おそらくは窒息死だろうが……。
取りあえず、船を起動させるぞ。何かわかるかもしれん」
 そう言うと、先輩は死体が並ぶ乗員室へと入ってゆく。
その豪胆さに僕は少し尊敬の念を抱き、僕は改めて船内を眺め回してみた。
船内は電源が落とされ、備え付けられた白色灯に光はない。
頼りとなるのは、わずかに足下を照らしてくれる非常灯だけである。
 とりあえず、僕はこの余りにも手がかりのない奇妙な事態の推理を始めることにした。
まず、思いついたのは、突発的に密閉装置の全開放が行われる船の不良による事故という可能性である。
そのような事が起これば、席に座したまま何もできずに、中の船員も窒息死に至るだろう。
真空中となっているのに、宇宙服も着ていない奇妙、そして外傷のない遺体という奇妙はこれで十二分に説明できる。
 そこまで考えて、僕は死体を恐る恐る覗いてみることにした。
彼らの浮かべる苦悶の表情が、おそらく僕の推理に一つの保証を与えてくれるはずである。
……はずであった。

342 名前:月の裏にて5/6 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/09/17(日) 23:48:44.13 ID:qwCwS2u1O
「え?」
 遺体は眠るような顔つきだった。
 真空空間における窒息という耐え難い死を彼らが襲っていただろうに、それは実に安らかな物だった。
「どうした?」
 僕のあげていた声に、先輩が返事をする。
丁度良い。僕は先輩にこの死体を見て貰うことにした。
「先輩、遺体の顔見てください」
「ああ、少し待て。電源が着く」
 操舵するための機器が集中する部分をずっといじくっていた先輩は、最後に基盤を一殴りした。
それと共に、備え付けの船内灯、それに航行装置が復旧する。
「で、遺体が何だって?」
「顔を見てくださいよ。顔を」
「顔な、ああ。わかったわかった」
 どうでも良さげに先輩は手を振り、それを覗き込む。
「……寝てるようだな」
 実に率直な感想を先輩は漏らしてくれた。
「おかしくありませんか? 窒息死なんてかなり苦しみそうな物ですけど」
「ああ、そうだな。そっちはお前に任せた。俺はこのでっかい画面をいじくらにゃならない」
 適当である。今、先輩の興味は遺体ではなく眼前にある、モニターに注がれていた。
先ほどの電源の起動と共に、モニターも機能を取り戻したらしい。
 そして、そのモニターにはある文字がでかでかと映し出されていた。
「……遺書?」
 画面に浮かび上がるのは、遺書という文字だった。
「……ってことは、自殺?」
「どうやら、そのようだな」
 何もしない内に、その遺書は開いてゆく。
僕らが呆気に取られている間に、画面には遺書の全てが映し出されていた。

343 名前:月の裏にて6/6 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/09/17(日) 23:51:25.68 ID:qwCwS2u1O
 遺書には、人生が嫌になったこと。共に自殺をしてくれる人を捜したこと。
船の密閉を開放するように設定し、睡眠薬を飲んで眠りにつくということが、
簡潔に淡々と述べられていた。
 彼らは余りにも死を軽く扱っていた。
 死に際して余りにも単調なその文章を読む内に、僕は何故かどっと疲れを感じ始めていた。

 僕らは本部にこれら全ての事実を連絡した。 本部の部長は実に不機嫌な声で、さっさと船を曳航するようにと有難い命令を下してくれた。
帰りの船中。またもいつの時代の物か分からないロックが流れている。
「いくら、生きるのが嫌になったからって、こんな月の裏まで来なくてもいいと思いますけどね」
 人の死という慣れない事項に出くわして、僕の体はどうしようもなく疲れ切っていた。
自然、愚痴も溜め息が混じったものになる。
「俺は大学で近代史を学んだんだがな」
「へ?」
 口から間抜けな声が漏れていた。
僕の愚痴に応じるものとしては、先輩の言葉は余りにも突拍子もない物である。
「どうやら百年前の人間も、あの自殺者と同じような事をやっていたらしい」
「はあ」
「ネットで仲間を集めてな、誰も居ない山奥へ集まって集団自殺なんてことが流行ったそうだ」
「はあ」
 いつになく、先輩は雄弁になっていた。僕はただ生返事を返すだけである。
「その方法がまた妙なものでな。車をテープか何かで密閉させて、排気ガスを車中に入れて中毒死するんだそうだ。
密閉云々に関しては、今の奴らとは全く逆だが……。
まあ、誰もいないところで、人間は群れて死にたがるって事だ。実に矛盾した話だがな」
 少し笑いながら、先輩は話を締めくくった。
 月の裏が終わるまで、後どれくらいだろう。僕はそんな事を思って、荒野を眺め続けていた。



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