【 Fly me to the moon. 】
◆8vvmZ1F6dQ




49 名前:No.12 「Fly me to the moon.」1/4 ◇8vvmZ1F6dQ 投稿日:06/09/17 17:02:40 ID:nkI7IBDo
 ああ、こんなことになるなんて。
 夫婦揃って見知らぬ男の車に乗って、しかも罪を犯すことになるなんて。
 やはり貧乏が心を歪ませたのか、それとも元から私たちはバカだったのかしら。
 元々、こんな事態になったのは、さっきの喧嘩のせい。
 とっくに旧世代となっている我が家のボロテレビで、私はある番組を見ていた。
 その名も『突撃! ○○の晩御飯』。毎回○○に入る地名が変わるその番組は、
 いろんな家庭の晩御飯を特集するというもの。昨日の放送では火星に住む人々の晩御飯が特集されてた。
 何十年もかけて人の住める惑星になった火星は、今や世界のお金持ちの住む場所となっている。
 画面に映し出される豪華な食事を見て、私はつい夫ケンジに言っちゃったの。
「この稼ぎなしのろくでなし!」
 何故なら、その日の食事すらままならない生活を、私は強いられていたから。
 住む家もボロアパートで、うすい壁の表面を、かさかさとゴキブリが這っても、もう私は悲鳴なんてあげなくなってしまった。
 なにもかも、稼ぎの悪いケンジのせい。私は堰を切ったようにケンジの悪口を吐き続けた。
「このデクノボウ、役立たず、ノータリン。なんであれだけしか稼いでこないのよ。あんたちゃんと正社員なんでしょうね。
 それに、プロポーズの時の約束はどうしたの。新婚旅行は月に連れてってくれる、って話、嘘? 嘘だったの?」
 そんな私に、ケンジはめんどくさそうに、
「無理無理、結婚前から俺が貧乏って知ってただろ」
 なんて言った。カチンときて、もうここから、私は歯止めが効かなくなってしまったのだ。
「月なんて中学生の修学旅行でも行ってるじゃない」
「それぐらい行けないなんて、もうクズね」
「人間のクズよ」
 それでもずっとケンジはめんどくさそうで、さらに私の感情を煽った。感情の高ぶりがピーク来た私は、
 とうとう怒りを通り越して、悲しくなってしまった。涙がぽろぽろとこぼれた。ここでようやくケンジは多少反省したらしい。
「なぁ、落ち着けよ。稼ぎが悪いのは申し訳ない。けどな人には力量ってものが──」
「ケンジのバカ!」
 と私はケンジの頬を張った。ケンジの頬が真っ赤に腫れた。それから、ケンジはどこかにふらふらと出て行ってしまった。
 ここで止めればよかったかもね。それから何時間かして、戻ってきたケンジが連れて来たのは、見知らぬおじさんだった。

50 名前:No.12 「Fly me to the moon.」2/4 ◇8vvmZ1F6dQ 投稿日:06/09/17 17:03:12 ID:nkI7IBDo
 ケンジが言うには、おじさんは昔の知り合いらしい。偶然さっき再開して、どうにか金がほしい、と相談すると、
 じゃあ強盗をしよう、という話になったと言う。ここで私は、ちょっと待って、とケンジを制止した。
「強盗、ってあの強盗?」
「そうだよ」
「は、犯罪じゃない。よしましょうよ」
 ここで、ぎろり、と運転席に座るおじさんに、ミラー越しに睨まれた。もう強盗をすることは確定事項らしい。
 私の心は不安でいっぱいになった。しかし、心のどこかで、強盗によってお金が手に入ることへの期待もあった。
 だから、おじさんのポケットから銃が覗いてても、車に乗ってしまったのかもしれないね。
 今車は渋滞気味の道路の上を、じりじりと進んでいる。信号が赤になり完全に車が止まったとき、おじさんは言った。
「これから詳しい計画を話す」
 それからおじさんは、どうやって強盗をするかを話した。まず実行犯は、ケンジと私の二人。
 ターゲットの宝石店に入って、お決まりの『この鞄に店の宝石全部詰めろ』をやる。この時、銃で店員を脅すのがケンジの役割で、
 宝石を入れる鞄を持つのが私の役割。おじさんは外で車に乗って待っていて、無事強盗を終えた私たちを乗せて逃げる。
 やはり私は、やめましょうよ、と震える声で言った。でも、やっぱりおじさんに睨まれて、小さくなった。
 とうとう目的の宝石店が見えてきたとき、おじさんはケンジと私に服を手渡した。
「さっさと着替えな。奥さんは男装をしたほうがいい、捜査を混乱させられるからな。マスクとサングラスもあるぜ」
 ずいぶん用意がいいのね、なんて言いながら受け取ったけど、今まさに犯罪者になろうとしている自分に冷や汗が出た。
 もう、ここまで来たらヤケ。冷静になんてなれない、おじさんは怖いし、ケンジはすごく真剣な目をしてたし。
「成功したら月に行こうな」
 とケンジは言った。ああ憧れの月。いろんな観光地があるっていうことだけ知っている。
 しっかりと着替え、頭にニット帽、顔にはサングラスとマスク、どこからどうみても不審者になった私とケンジは、
 車が停車すると同時に外に飛び出した。ケンジの手にはおじさんの銃が握られている。都会の真ん中だけど、もう夜であるからか、
 辺りに人は少なかった。私たちは、まっすぐに宝石店に飛び込んだ。空には、綺麗な月がぽっかりと浮かんでいた。

51 名前:No.12 「Fly me to the moon.」3/4 ◇8vvmZ1F6dQ 投稿日:06/09/17 17:03:30 ID:nkI7IBDo
 もう愕然とした。何の目的か分からないけれど、私たち夫婦は騙されたのだ。
 店に入るやいなや、ケンジが「俺たちは強盗だ!」と叫んだ。二、三人居た客は、叫んだりせず恐怖からかその場に座り込む。
 私が差し出した鞄に、大慌てで店員は宝石を詰め込んでいった。店員の頭にはケンジが銃を突き付けていた。
 警備員もおらず店員が一人だけの店を選んだおじさんは、随分と前からこの計画を練っていたんだろう。
 無事強盗任務を終えた私とケンジは、走っておじさんの車に向かった。ああ、ここでも私がケンジを止めていればよかったのにね。
 私たちが車に乗り込むやいなや、おじさんは車を発進させた。ここまでは計画通り。
 しかし何故か、おじさんはアパートとは別の方向に車を向けたのだ。
「ちょっと、おじさん、どこに行く気?」
 私が言うと、おじさんはまた私をミラー越しに睨んだ。つい条件反射でひるんだけど、ここは引き下がるわけにはいかない。
「ねぇ、どこ行くのよ」
「いいところさ。月だよ、月」
 えっ、と私は小さく叫んだ。おじさんが月に行くといったのだ。しかし、今乗っているのは自動車。どう頑張っても月にはいけない。
 さすがのケンジも横からおじさんに文句を言い出した。おい、どうなってるんだ、と。
 その時、どこからかパトカーのサイレンの音が聞こえた。何故? 店員が呼んだとしても、もう宝石店とはだいぶ離れているのに。
 私はふいに前を見た。そこには、段々と近くなってくる警察署があった。
 ああ、そうか。おじさんは警察に向かってるんだな──でも何のために?
 その答えを見つける前に、銃声がしたかと思うと、車がガタガタと音を立て始めた。きっとタイヤを撃たれたのだ。
 数十メートル、ガタガタと車は引きずるように走った。しかし、すぐに車は止まってしまった。
 ほんの数分のうちに、逃走劇は終焉を迎えた。三人とも手錠が掛けられ、数メートル先の警察署へと連行された。

52 名前:No.12 「Fly me to the moon.」4/4 ◇8vvmZ1F6dQ 投稿日:06/09/17 17:04:16 ID:nkI7IBDo
「お、ほら。月がだいぶ大きくなってきたぞ」
 ケンジは無邪気に言った。私は不機嫌に、ああ、そう、と言った。
「やっぱ綺麗だな。噂のムーンランドも見えるぞ」
「行ける訳ないけどね」
 宇宙船の中。私は食事として支給されたオレンジジュースを、ずず、と啜った。
 右側では、ケンジが窓から月を観察している。そして左には、あのおじさんが座っていた。
「このオレンジジュース、美味いな」
 そう呟くおじさんの顔には、本当に嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。私は溜め息をついてから、
「あのさ、おじさんは結局何がしたかったの」
 と訊いた。おじさんの警察署に突っ込んでいった行為の謎は、まだ解けていなかったからだ。
「俺は昔な、月にいたんだよ。いい生活だった。三食ちゃんと食べれるし、風呂も入れる。仲間もいたしな。
 それが刑期が終わって地球に帰ってみれば、そりゃあもう地獄さ。職なんて見つかりやしないし、世間の目は冷たいし。
 月に戻りたかったのさ。つまり俺もあんたと同じで、月に憧れてた一人ってわけ。巻き込んで悪かったが、まあ寂しくなくていいやね」
 おじさんはいい終わると、満足そうに深呼吸をした。私はまだ納得しない心持ちで、溜め息をついた。

 月には、おもに観光施設が建設されている。可愛いキャラクターが出迎えてくれる『ムーンランド』や、
 月の裏側に作られたうさぎ専門の動物園、『ラビットワールド』などが繁盛している。
 様々な観光施設の中、通の間で流行を博している一つの観光地があった。
 それは、『月面刑務所』。
 ゴシック建築風のその白い建物は、太陽の光を反射して、輝く。まるで、最初から月の一部だったかのように。

 おわり



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