【 月とすっぽん 】
◆2LnoVeLzqY




23 名前:No.7 月とすっぽん 1/3 ◇2LnoVeLzqY 投稿日:06/09/16 02:43:04 ID:LbjpQKTV
もうすぐ夜になりそうでした。
西の山の頂きは朱に染まり、東の地平線はもう真っ黒な闇の中です。
そんな朱色と黒が交わる、空のてっぺん。
青とも紫ともとれぬ不思議な色をした、空の真っただ中。
そこに、ぽっかりとまるい月が浮かんでいます。
白と黄と金を混ぜたような、明るい月。
月はじっと、地上を見下ろしていました。

ひょう、と涼しげに風が吹き、沼の水面を撫でていました。
白と黄と金を混ぜたような色の月が、そこにはくっきりと映っています。
風で水面に波が立つたび、月もゆらりと揺れ動きます。
ほとりには背の高い草が茂り、かさりかさりと音を立てていました。
さぷん。
そんな音とともに、沼の水面がゆるりと波打ちます。
月も少しだけ揺れました。もちろん、水面に映った月です。
ほんものの月はと言うと、じっと動かずに何かを見ています。
その視線のずっとずっと先に、一匹のすっぽんがいました。
まるい甲羅は水に濡れ、月の明かりできらきらと光っています。
そう、月を少しだけ揺らした、張本人です。
すっぽんはゆっくりと、月を見上げました。

「わたしのひとつが揺れたものでね。何かと思えばただのすっぽんか」
つまらなさそうに、月が言いました。
地上には、沼や池はたくさんあります。
そのひとつひとつに、月が映りこんでいました。
今は夜ですから、ほとんどの水面は、しんと静まっているのです。
「沼の底があまりにも眩しくて、起きてしまったのさ」
それからすっぽんはふあぁと欠伸をして、のんびりと続けました。
「それにしても、ただの、とは聞き捨てならないねえ」
どこかでふくろうが、ほう、と鳴きました。

24 名前:No.7 月とすっぽん 2/3 ◇2LnoVeLzqY 投稿日:06/09/16 02:43:18 ID:LbjpQKTV
「なんだ、すっぽんには張るような見栄なんてあったのか」
すっぽんの言葉が気に食わなかったのでしょうか。
月はたっぷりの皮肉を込めたつもりでしたが、すっぽんは少しも意に介していないようでした。
その様子もまた、気に食わなかったのでしょう。
月は少しだけ、力を込めて言いました。
「おまえに、わたしのような光が放てるのか」
まるい月が、まるいすっぽんの甲羅を見下ろしています。
考えるそぶりをちっとも見せずに、すっぽんは答えました。
「いいや、無理だねえ」
あくまでも、のんびりとした言葉でした。
月からは今にも、ふん、と鼻を鳴らす音が聞こえてきそうです。
「そうだろうとも。おまえのまるい甲羅は、鈍い光を放つだけだからなあ」
甲羅からは、まだまだぴたりぴたりと水が滴っていました。
すっぽんはそこに、一瞥をくれました。
水滴は月の明かりを受けて、きらりと光ります。
けれども、それが草や木や水面を照らすことは、やはりできません。
「そりゃあ、おいらは何かを照らすことなんかできないさ」
そうだろう、そうだろう、と月はひとりつぶやきます。

25 名前:No.7 月とすっぽん 3/3完 ◇2LnoVeLzqY 投稿日:06/09/16 02:43:38 ID:LbjpQKTV
「……けれどねえ」
というすっぽんの言葉は、がさりがさりと草を掻き分ける音にかき消されました。
「おおい、いたぞ」
「よかったよかった。ちょうど一匹足りなかったからな」
「これで今日の料理は完成だなあ」
人間の男たちの声が、しんと静まった沼じゅうに響き渡ります。
ひとりがひょいとすっぽんを掴み、布の袋に入れました。
月はその様子を、ただただじっと、眺めていました。
それから男たちは、何やら愉快そうに会話をしながら、村があるほうへと戻っていきました。
ぶらりぶらりと、男が手に持つ布の袋が揺れています。
「……光は放てないけど、舌を楽しませることはできるんだよ」
すっぽんはひとり、暗闇の中でつぶやきました。

西の山の頂きは、もう闇に包まれそうでした。
月のまわりにいくつも星が現れて、地上をよりいっそう強く照らしはじめています。
ひょう、と風が吹いて、月と星の映った水面を撫でていきました。
どこかでふくろうが、ほう、と鳴いています。

<了>



BACK−月と太陽 ◆qygXFPFdvk  |  INDEXへ  |  NEXT−桂男 ID:V9YW0aSu0