【 月と太陽 】
◆qygXFPFdvk




19 名前:No.6 月と太陽 1/4 ◇qygXFPFdvk 投稿日:06/09/16 02:04:49 ID:LbjpQKTV
 月を見るのが好きだった。月は私と同じだから。
 見た目の大きさは太陽と変わらないのに、決して表舞台には出れない――

 私はベランダから部屋に戻り、二段ベッドの下に滑り込む。
「小夜、ベランダで何してたの?」
 上から声が降ってくる。彼女は夕美。私の双子の姉だ。
「月が綺麗だったから見てただけよ」
「へぇ。外、もう寒いのに。小夜はほんとに月が好きだね」
 中秋の名月が近づいている。毛布に潜り込むと、パジャマが冷えていることが実感できた。もうすぐ冬。
「ねぇ、小夜。本当に演劇部辞めちゃうの?」
「ん、うん……受験もあるし、ね」
 それは本当の理由じゃない。どう頑張っても、私は夕美には勝てないから。姿形は同じなのに――

 生まれたときからずっとそうだった。夕美は私より早く生まれた。夕日が綺麗だったから夕美。私は夕美より
五時間も遅れて生まれた。夜に生まれた小さい子だから小夜。後から生まれた私が姉になるはずだけど、時間が
離れてたし体も小さかったから夕美が姉ってことになった。
 それからも私は、ずっと夕美の影に隠れて育ってきた。この二段ベッドだってそう。話し合いも何もなし。
「私が上でいいよね? 小夜ちゃん」
 この夕美の一声で決まった。本当は私だって上がよかったのに……

「受験があるのは私だって同じよ? 受験が終わるまで稽古緩くして貰えるし。辞めなくてもいいじゃない」
「ううん、いいのよ」
「勿体無いなぁ……小夜の演技、みんな褒めてるのに」
 そんなこと、いつも主役の夕美に言われても嫌味にしか聞こえない。私はいつも脇役。酷い時には――夕美の鏡役
だった。
「それに大学、あそこ行くんでしょ? 先輩が行ったとこ」
「志望は、ね。でも模試の点数厳しいし、ランク下げるかも。夕美、私もう寝るね」
「はぁい。おやすみ」  夕美は手を伸ばして電気を消した。すぐにぱちっ、という音がしてスタンドのオレンジ色の光が天井を照らす。
携帯をいじる電子音も聞こえてきた。私は毛布を被って眠ることにした。

20 名前:No.6 月と太陽 2/4 ◇qygXFPFdvk 投稿日:06/09/16 02:05:02 ID:LbjpQKTV
 目を瞑りながら演劇を始めた頃のことを考えた。
 憧れの先輩が居たから始めたんだよね。今考えると、すごく不純な動機で始めちゃったな……
 入部を悩んでいた私の背中を、一緒に入ろう、と押してくれたのは夕美だった。一緒に入部したのに、夕美はぐん
ぐん上手くなって、二年になる頃にはセリフの多い役を貰ってたっけ。私はまだエキストラ役しか貰えなかった。
 悩んでるとよく先輩が、「自信を持て」って言ってくれた。先輩はずっと私を気にかけてくれてたのに、私はその
期待に応えられなかった。先輩の卒業公演の時も私をヒロインに選んでくれたけど、辞退して夕美に代わって貰った。
本当は先輩の最後ぐらい、一番近くで見ていたかったんだけど……

 翌日の放課後、顧問に退部届けを出した。
「ん。とりあえず預かっとく。受験、頑張れよ」
 先生はそう言って、退部届けを引き出しに放り込んだ。これで受験に集中できるな……
 職員室を出ると、その足で部室とは逆方向の図書室へ向かう。扉を抜けると何人かの先客がいたが、誰もこちらに
関心を向けなかった。一番奥の窓際に腰掛けると、図書室の静けさがよく分かった。外からは野球部のランニングの
掛け声。そして、廊下から聞こえる発声練習――。勉強を始めたが、外からの声、扉が開く音、誰かがページをめく
る音が聞こえる度に思考が止まってしまう。
 こんなことじゃいけない、もっと集中しなきゃ――そう思った時だった。私服の男が扉を抜けてきた。
「先輩?」
 思わず声が出ていた。先輩はこちらに気付くと、すっ、と近寄ってきて向かい側に座る。
「年末公演どうなってるかと思って見に来たんだ。そしたら小夜ちゃん、ここにいるって聞いたから」
「あ……私、部活辞めたんです。受験に集中しようと思って……」
 後ろめたいことはない筈なのに、先輩の顔が見れなかった。
「うん、ここじゃあれだから外に出よう」
 首を縦に振った私は、先輩に連れられて図書室を出る。階段を一気に上って屋上へ出た。優しい西風がスカートを
翻す。ここは、丘の上に立つ学校で最も見晴らしのいい場所。部活をしていた頃、悩んだときはいつもここに来た。

21 名前:No.6 月と太陽 3/4 ◇qygXFPFdvk 投稿日:06/09/16 02:05:14 ID:LbjpQKTV
「小夜ちゃん、また悩んでるでしょ?」
 図星を突かれた私は、返す言葉がなかった。
「今回は何に悩んでるの?」
「先輩。私、受験生ですよ? 悩みがない訳ないじゃないですか」
 無理して笑った。でも、先輩にはこの演技、通じないだろうな……
「受験、ウチの大学受けるんだってね。小夜ちゃんなら心配ないよ。自信を持って!」
 自信を持って――先輩が好きな言葉。ここでいつも聞いた言葉。私は懐かしくて、耐えられなくなった。
「無理、ですよ……」
 言葉と一緒に涙が零れた。先輩は泣き出した私を黙って見つめている。
「先輩……私は月なんです。夕美が太陽。私は夕美の鏡でしかない。表舞台には立てない。太陽の前では霞んでしまう。
 そんな月なんです……だから。分かってしまったから。もう演劇はできない……」
 先輩がふぅ、と軽いため息をつく。
「やっぱりそんなこと考えてたんだね」
「……」
「小夜ちゃん。空を見てごらん」
 涙を制服の袖で拭いて空を見上げた。熱くなった目に、まだ高い位置で粘る太陽の光が眩しい。
「太陽って凄いよね。あんなに眩しくて、暖かい。みんなに力をくれる。あれがなくなったら大変だ」
 先輩は続ける。
「でもさ。普段、太陽って見つめないでしょ? じっと見てたら目が痛い」
 上を見ていた先輩がこちらを振り向く。
「じゃあ、月はどう? みんな月は見るよね。お月見だってもうすぐだ」
 先輩はまっすぐな目で私を見る。潤んだ視界の中でもまっすぐに、だ。
「小夜ちゃん。君は自分を月だと言った。でもそれはいけない事なのかな?」
「…………」
「俺は月って、凄いと思う。満月の荘厳さ。三日月の鋭さ。新月のときの閑寂さ。いろんな顔があるんだ」
 確かにそうだ、と思った。月は毎晩違う顔で現れる。私はそれが好きで月を見るのだ。
「俺は小夜ちゃんの演技にそれを感じた。派手じゃないけど喜怒哀楽が豊かで。俺はそんな君の演技が好きだ」
 先輩は私の目を見つめながらそんなことを言う。こっちが恥ずかしくなった。
「ありがとう……ございます」
 涙と照れで赤くなった頬を秋風が冷やす。

22 名前:No.6 月と太陽 4/4完 ◇qygXFPFdvk 投稿日:06/09/16 02:05:27 ID:LbjpQKTV
「夕美ちゃんの演技は確かに凄い。本当に太陽って感じでね。でも、小夜ちゃんの演技だって決して負けてない。
 月は月で素敵なところ、素晴しいところがたくさんあるんだ」
「そんな……照れますよ」
 耐え切れなくなった私はまた俯く。
「うん。でもね、実は演劇辞めるなって言いに来たわけじゃないんだ」
「え?」
 驚いた私は先輩を見る。先輩は何故か照れている。
「その……受験も頑張ってほしい。俺、待ってるから」
「は……はいっ!」
「うん。やっと元気が出たね。満月みたいな笑顔だ。さぁ、自信を持って!」
「はい! ありがとうございました」
 傾きかけて赤みを増した光が、さっきよりも、ずっと眩しかった。

「小夜、まだ寝ないの?」
「うん、もうちょっと。先に寝てていいよ。眩しかったらスタンドに変えるし」
「眩しいのはいいんだけど……それにしても随分ご機嫌じゃん? なんかいいことあった?」
 上から見下ろす夕美を、見返して答える。
「月が本当に綺麗だって気付いただけよ」
「ふぅん、変なの」
 夕美はまた携帯をいじりだす。私は封筒に休部届けと書いて封をした。

 ――四ヶ月後。
 卒業公演はギリシア神話からアポロンとアルテミス。ダブル主役で行われた舞台は好評のうちに幕を閉じた。
その日、月の輝きは太陽を超えた――

<了>



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