【 月との距離 】
◆InwGZIAUcs




15 名前:No.5 月との距離 1/4 ◇InwGZIAUcs 投稿日:06/09/16 01:26:49 ID:LbjpQKTV
「いいこと教えてあげようか? ……私、かぐや姫なんだ」
 それは野鳥も寝静まった宵のこと。
 都会には無い澄んだ空気が星々を大きく煌めかせ、鮮明な黄金色をした満月は、淡いミルク色の光を放っている。
 月照らす道。つまりは街灯もまばらにしかない近所のあぜ道を、裕介は幼馴染の美花と共に歩いていた。
「いきなり何のことだよ?」
 彼女は答えずに月を眺めている。裕介はそんな彼女の横顔をチラッと見た。
(確かに、長い黒髪に一応は綺麗な顔してるからな。かぐや姫に見えないこともないが
――ってそんなこと死んでも言えねえけど……)
 月がもたらす筈の静寂は、田に潜む数多の蛙の鳴き声によって破られていた。
 故にその場は蛙の合唱としばしの沈黙。美花は溜息一つした後、再び口を開いた。
「裕介はさ、もし私がかぐや姫みたいに連れて行かれるとしたら……どうする?」
 いつの間にか少し前を歩いていた美花はくるりと振り返り立ち止まる。次いで、
同じく立ち止まる裕介の顔を見ながら首を傾げてみせた。
 美花に突然散歩に誘われた裕介は、未だに彼女の意図が掴めずにいる。
「だからいきなり何だよ? でも俺は弓でお前を月の使者から守ったりはしないぜ?」
 ケラケラ笑いながら答える裕介に美花は顔を曇らせる。
「それって私がどこか遠くに行ってもいいってこと?」
「はは、どこかに行くってんなら使者から守る変わりにお別れパーティーくらいは開いてやるさ」
(怒って『帰る!』とかいいだすかな?)
 その冗談半分の言葉が、今度こそ美花の顔に悲哀の色をもたらした。
「そう……」
 美花は俯きながらとぼとぼと歩きだす。
「おい! どうしたんだよ? らしくないっていうか……なんかあったのか?」
 裕介はいつもと違う美花の反応に少し焦りながら、彼女の後をついて歩いた。
「美花! どこに行くんだよ? そっちは行き止まりだぞ?」

16 名前:No.5 月との距離 2/4 ◇InwGZIAUcs 投稿日:06/09/16 01:27:02 ID:LbjpQKTV
 いつの間にか早足になっていた美花は急に立ち止まった。
 裕介はそのまま美花の背中にぶつかりそうになるが、なんとか一歩手前で踏みとどまる。

「私裕介が好き……大好きなの!」

 予想もしない言葉を紡いだ美花に裕介は絶句する。またそれと同時に、声の震えも感じとる。
(泣いてる……?)
 美花は後ろを向いたままなので、どんな表情をしているかなど分かりはしない。しかし、
声同様震える肩は、裕介の胸打つ鼓動を強く、そして速くさせた。
「美花……」
 蛙の鳴き声に混じる美花の嗚咽。裕介にはそれがやけに大きく聞こえた。
 鳴き声はしばらく続いた。


「やっと言えたよ?」
 どのくらいの時間であったか裕介には分からなかったが、
ようやく振り返った美花の笑顔が裕介に一握りの勇気を与えた。
「お、俺も……お前の事。その、嫌いじゃないっていうか……好きだ」
 そして裕介は、込み上げてくる、美花を力強く抱きしめたいという衝動に身を任せた。
初めて抱く気持や願望ではなく、以前からこうして抱きしめたいという気持に駆られたことは何度もあった。
 それが実現した今、裕介の心は歓喜で満たされていた。
 お互いの心臓の音が響き合い、さらに大きな音へと変化していく。
 さぁ、と吹く夜風が火照る二人の体を冷やしてくれるが、それ以上に二人の体温は上昇していく。
少し汗ばむ自分の体に美花が抵抗を感じないか心配ではあるが、裕介はしばらく彼女を離すつもりはなかった。
「嬉しいなあ。もっと早く言ってれば良かったよ……」
 美花の言葉に裕介はさらに胸を焦がす。しかし、かぐや姫の話に続き先程から見せるいつもとは違う仕草。
裕介は大きな不安と予感に駆られた。
(もっと早くか……)

17 名前:No.5 月との距離 3/4 ◇InwGZIAUcs 投稿日:06/09/16 01:27:15 ID:LbjpQKTV
 決して正解などして欲しくない、一つの結論に辿り着く。
「ひょっとして美花……お前どこかにいくのか?」
 裕介の胸に蹲(うずくま)る顔が縦に僅か動く。
「……どこにいくんだ?」
「東京。そっちの学校に転校する。高校も……多分東京で受験する」
「そうか……」
 美花は今、裕介の腕の中で確かに存在している。
 現実味を帯びない彼女の言葉に、事実に、裕介はただただ抱きしめることしかできなかった。


 多めの水気と青い絵の具を含んだ筆で、さっと一塗りしたような薄青の空。
 白い雲はどこにも見あたらなかった。
 そんな、地平まで晴れ渡る清々しい夏休みの最終日。
 かぐや姫を迎えに来た月の使者に、軍勢が手も足も出なかったのと同様に、
非力な一人の少年である裕介も、美花の引っ越しを止めることはできなかった。
「メール……してよね?」
「おう……お前もメールしろよ!」
 裕介は、車に乗った美花と窓越しに別れを交わす。
 そんな二人のやり取りに、区切りがついたと見た運転席に座る美花の父親は、
最後の挨拶を見送りに来た近所の人たちに投げかけ、車をゆっくりと発進させた。
「浮気するなよー!」
 美花は窓から身を乗り出して、裕介に叫び手を振る。
「そっちこそするなよー!」
 恥ずかしさを押さえ込んだ裕介も、負けじと声を張り上げ大きく手を振った。
 遠ざかっていく車は陽炎に揺られて小さくなっていく。やがて、それが見えなくなるまで裕介は美花を見送った。
 涙はない。

18 名前:No.5 月との距離 4/4完 ◇InwGZIAUcs 投稿日:06/09/16 01:27:35 ID:LbjpQKTV
 何故なら彼らには希望があるから。


 沈黙の車中に、軽快な音と共に美花の携帯が振動する。
 美花はその振動を止めて受信されたメッセージを開く。

『俺も東京の高校に受験するからさ、それまで待っててな! 絶対合格するからさ!
 俺たちの間にある距離は月よりもずっと近い……だろ?』

 かぐや姫を守り抜けずに諦めた翁達。
 しかし裕介は、遠く離れた、しかし手の届く距離にいるかぐや姫の後を追うことを決意していた。
それが二人の希望であり、別れ際に涙を必要としなかった大きな理由である。
 裕介からのメールに顔を綻ばせた美花は、早速返信するため親指を動かした。

『うん、ありがとう裕介。私ちゃんと待ってるからね?』

――来年の春、きっと会おうね。

終わり



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