お父様とお兄様の手
◆VXDElOORQI




658 名前:お父様とお兄様の手 ◆VXDElOORQI :2006/09/10(日) 23:59:23.97 ID:exDKoBBR0
 広い部屋。高級感がありつつも落ち着いた雰囲気の調度品。そのうちの一つ天蓋つきのベッドで今、一人の老人、
私のお父様が息を引き取ろうとしていた。
「お父様! お父様!」
 私はお父様の手を握り、お父様のことを呼び続ける。私の顔は涙のせいでグシャグシャになっているだろう。
今は大事に伸ばしていた長い髪も、頬に張り付き鬱陶しいだけだった。
 私の後ろにはお兄様が、ただ黙ってお父様と私の様子を見ていた。
 お父様と私は、祖父と孫ほど年が離れていた。それでもお父様は私を甘やかしたりせず、厳しくも暖かく育てて
くれた。そのお父様が今、天に召されようとしている。もう私を叱ってくれない。もう私の頭を撫でてくれない。
そう思うと私の瞳から、涙が止まることはなかった。
「もう……泣くな」
 お父様はそう言うと大きくて暖かい手をそっと、私の頬に当てた。
「お父様……」
 私はお父様の言葉に答えようと必死で溢れ出る涙を止めようとする。だが自分では止まったのか、止まっていな
いのかよくわからなかった。それでもお父様は笑ってくれた。
「そう、それでいい。強く気高く生きろよ。父との最後の約束だ……」
 私は『最後だなんて言わないでください!』そう叫びたかった。でもお父様の願い。お父様との最後の約束。
『強く気高く生きろ』その言葉に反するようなことはしたくなかった。だから私は溢れ出そうになるその言葉
ぐっと我慢して。
「はい、お父様」
 そう答えた。
 お父様は、私の心を見透かしたような表情でそっと笑った。
「あとのことはお前に任す。よいな」
 そうお父様は、私の後ろで、私達のやり取りを見ていたお兄様に言った。
「はっ父上」
 お兄様はそう一言返事を返しただけだった。だけど、お父様はその返事にも満足そうな笑みを浮かべていた。
「これで思い残すことはない」
「お父様……」
 その言葉につい私は不安げな声を漏らしてしまう。お父様はそんな私の頭をいつもみたいに撫でてくれた。
大きくて暖かいその手に、私は安らぎを覚えた。


661 名前:お父様とお兄様の手 ◆VXDElOORQI :2006/09/11(月) 00:00:23.91 ID:ENbOS0fQ0
 不意にお父様の手が私の頭から滑り落ちる。お父様の腕にもう力は入っていなかった。
「お父様! お父様!」
 私はお父様の体を揺する。だけどお父様は何も反応をしてくれない。それでも体を揺すろうとする私を、
お兄様が肩にそっと手を置いて制する。
「お父様が……お父様が……」
 私は兄の胸にすがりついて泣いた。ずっとずっと泣いた。
 
 その日、私のお父様、この国の王が亡くなったという報が国中に響き渡った。

 それから私は、お父様との約束を守ろうと必死に勉強をした。勉学だけじゃない、ダンスも、馬術も、剣術
さえ習った。それがお父様との約束を守ることになると信じて。
 お兄様はお父様が亡くなった後すぐ、新たな王として即位し、忙しい日々を送っていた。

 そんなある日のこと。
 突如兄は、隣国に軍事的に介入をする言い出した。それは戦争を始めることと同じことだった。政治のこと
はまだ、私にはよくわからない。けど私は知っていた。お父様が隣国と長い時間と多大な労力をかけて結んだ
不可侵条約のことを。それを兄は破ろうとしていた。それが私には許せなかった。


「お兄様!」
 私は剣術の稽古の帰り、城の私達王族だけが入れる中庭でお兄様を見つけた。
 なぜ、戦争を始めるのか。その理由をどうしてもお兄様の口から聞きたかった私は、お兄様に声をかけた。
「お前と会うのは久しぶりだな。同じ城で暮らしてるのに、忙しくて中々会えないからな」
 お兄様は私に気付くと、お父様に似た笑顔をこちらに向ける。
「お兄様に聞きたいことがあります」
 その言葉に兄の表情は一瞬曇った。きっと兄もこれから私が聞くことをなんとなく察したのだろう。
「どうして、戦争を始めるんですか? 折角お父様が築いた平和なのに、どうして?」
「それは……」
 お兄様は口ごもってしまった。やはりお兄様には後ろめたいことがあるんだろうか。


663 名前:お父様とお兄様の手 ◆VXDElOORQI :2006/09/11(月) 00:01:10.65 ID:ENbOS0fQ0
「お兄様、教えてください! お願いします!」
「……わかった。教えるよ」
 お兄様はやっと重い口を開いて話してくれた。
「父上が結んだ不可侵条約は、不完全なものだった。父上はいずれ戦争になればこちらが負ける。そう思って
自らの保身のために、自分が生き残るために、戦争ではない手段で隣国がゆっくりとこの国を手に入れるため
に協力したんだ。そして、こちらが不利で不平等な条約を結んでしまったんだ」
 お兄様は淡々と話を進める。
「僕はそれを改めるために何度も隣国と話し合った。けどダメだったんだ。向こうはこちらの話を聞いてくれ
ない。このまま放置しておけばこの国は、いずれ隣国に支配されてしまう。僕はそれを阻止するために、戦う
ことを決めたんだ」
「そ、それはお父様が国を裏切ったということなんですか……?」
「そ、それは……」
 お兄様はそれ以上何も言わなかった。
「嘘! そんなのお兄様の嘘です!」
 そんなの信じたくない。お父様が、あの優しいお父様が国を裏切るなんて! お父様が自分ために国を犠牲
にするなんて! そんなことあるはずない!
「わかってくれ……」
「イヤです! お父様そんなことするはずない! お兄様、昔のお兄様に戻ってください! 戦争なんて、争
いなんて決してしなかったあの頃のお兄様に!」
 お兄様はただ悲しそうな顔で、私のほうを見るだけだった。
「お願いです、お兄様。今すぐ戦争はやめてください……」
「それは出来ない」
 お兄様はキッパリとそう言った。
「こ、これでもですか!」
 私は剣術の稽古の帰りだったため、手に持っていた剣を抜き、切っ先をお兄様へと向けた。
「お前、自分が何してるのかわかっているのか」
「わかっています! お兄様、戦争をやめてください!」
 自分の手が震えてるのがわかる。それでも私はこの剣をおろすわけにはいかない。
「無理だ」
 お兄様のその言葉に、私の体は勝手に動き出した。お兄様に向かって真っ直ぐに。


664 名前:お父様とお兄様の手 ◆VXDElOORQI :2006/09/11(月) 00:01:56.92 ID:ENbOS0fQ0
「うっ」
 手に今まで感じたことのない妙な感触が伝わる。つぶっていた目をあけるとそこには、お腹を私の剣で貫か
れたお兄様の姿があった。
「ぐっ!」
 お兄様は私を突き飛ばす。その勢いでお兄様のお腹に刺さっていた剣も抜ける。
 剣が抜けるとお兄様のお腹からは大量の血が流れ出す。
「お、お兄様! 戦争をやめると言って下さい! お願いします!」
 私は剣を再び構えるとお兄様にそう告げた。このままではお兄様は死んでしまう。
 だから早く『戦争をやめる』その一言が聞きたかった。なのに――。
「だ、だめだ……」
 私の望んでいた言葉をお兄様は言ってくれなかった。今度は明確な意志を持って、私はお兄様に向けて剣を
振り下ろした。
「あっ……」
 また妙な感触が伝わる。けど今度のそれは私の手からではなく、私の胸からだった。お兄様の剣が、私の体
を貫いていた。
 体から血と一緒に力が抜けていくのを感じる。私はその場に崩れ落ちた。
 お兄様が近寄って来て、私の体を抱き締める。
「すまない、すまない……」
「お兄様……。そんなに強くすると痛いです……」
 お兄様は私の体を強く抱きしめ、謝り続ける。
(お兄様の傷は大丈夫かな……)
 私はさっきまで兄を殺そうとしていたことなど忘れて、本気でそう思った。
 本当はわかっていた。お兄様が正しいと言うことを。それでも私は、信じたくなかったのだ。
 私の頬にお父様が亡くなられた日のように大きく、暖かな手が触れる。お兄様の手だ。けど今はあの時とは
違う。今、泣いているのお兄様。
「お兄様が泣いてるの、初めて見た……」
 お父様が亡くなったときも泣いていなかったお兄様が、泣いているのを見るのは不思議な気分だった。


665 名前:お父様とお兄様の手 ◆VXDElOORQI :2006/09/11(月) 00:02:28.39 ID:ENbOS0fQ0
 お兄様は、黙って私の頭を撫でてくれた。大きくて暖かな手。お父様の手とそっくりなお兄様の手は、お父
様と同じように私を安らかな気持ちにさせてくれた。
 薄れゆく意識の中で、最後に見たのは、泣きながら笑っているお兄様の笑顔だった。
「お兄様の笑顔、お父様とそっくり……」
 私の頬に、暖かい雫が落ちてくるのを感じながら私は目を閉じた。






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