重み
◆Awb6SrK3w6




648 名前:重み1/5 ◆Awb6SrK3w6 :2006/09/10(日) 23:52:31.44 ID:wYmg7Rk30
「刃の滑りはどうだ?」
「問題有りませんぜ」
「そうか」
部下が縄を引いて、ギロチンの刃を上下にするすると動かしてみせる。
「いつもと変わらない切れ味ですわ。これで、あの独裁者の首もスパッと」
下卑た笑いを浮かべながら、部下は手から縄を離した。
ドスリ。
鈍色に光る刃の落ちる音が刑場に響く。
その音が、私に今日の予定を思い出させた。
テルミドール10日の今日は22人の罪人が、処刑されることになっていた。
そしてその中には、ある特別な罪人の名もあったのである。
罪人の名はマクシミリアン・ド・ロベスピエール。
数え切れぬ死の上に立ち、数々の断行を行った「王」は今日、
この日この場所で、その最期を迎えることになっていた。

彼は、革命家であった。
革命家として彼が立派であったかどうかは、一塊の処刑人である私には分からない。
価格の統制令。封建地代の無償撤廃。新しい尺度。革命歴。
彼の行ったこれらの新しい施策は、我々に革命の「成果」を感じさせる物であった。
だが、その成果は実際にどのような利益をもたらすのかと問われて、
それを明確に答えられる者が果たしているのかどうかはわからない。
また、彼は数多くの人を手に掛けた。
ある者は彼の命により、愛する人を失った。またある者は彼の命により、信じる友を失った。
彼の言うフランスを守るための「恐怖政治」は、
フランスの人民を怯えさせるだけの物にしかすぎなかった。
処刑人として、彼らの死を見続けていた私には、
彼の与える恐怖が国家を救うものとは到底思うことはできなかった。
数え切れぬ人々の命を、この断頭台へ送ってきたあのジャコバンの「王」が、
断頭台でその血にまみれた生を終える。
何とも皮肉な彼の最期を思い、私は気づけば溜め息をついていた。


649 名前:重み2/5 ◆Awb6SrK3w6 :2006/09/10(日) 23:53:03.86 ID:wYmg7Rk30
どうやら私の嘆息は、結構遠くまで響いていたようであった。
点検作業をしていた部下が、こちらをわざわざ振り向いている。
「親方、どうしたんですかい? 考え事ですか?」
「いや、なんでもない」
「また、そんな事を。ロベスピエールの事でも考えてたんですよね?」
半ば浮かれた顔をして、部下はその舌を舞わせていた。
彼もまた、一人の独裁者の死を喜ぶ者の一人であることを私は認識する。
「……まあな」
「やっぱり、そうですか。どんな死に様でしょうなぁ、あの男」
口元を意地悪く歪ませて、部下はニヤニヤと笑う。
部下は少し調子に乗っていた。このまま雑談と決め込めるつもりなのだろうか。
そのような意図を感じ、私は少し部下をたしなめる。
「そいつは、ロベスピエール自身が決めることだ。
そんな事を気にする前に、お前は目の前のギロチンの点検を終わらせるんだな」
「へい」
笑いながら、部下はギロチンの方へ向きなおる。
部下の後ろには、夕暮れ時へと向かいつつある、青にオレンジの混じったような空があった。
執行の時間が、迫っていた。

空が血を想起させる朱に染まる頃。
罪人たちが馬車に揺られて刑場に入ってきていた。
この日のために刑場に集まった人々が、それを見て歓声を沸かせている。
「夫を返して!」「独裁者め!」「奴の首を見せろ!」
人々の悲痛なまでの叫びが、パリの街を包んでいた。
市民は、血を望んでいる。
自らの家族を、友を、同志を失った事による胸中の哀しみを、
彼らはロベスピエール一人の鮮血を眺めることで、慰めようとしていた。
血で滲んだ包帯で、口を覆っていた彼は、それらの罵声に抗弁する権利も力も
もはや持っていない。
馬車の上に一人立つのは、権力を失った「王」だった。


650 名前:重み2/5 ◆Awb6SrK3w6 :2006/09/10(日) 23:53:34.69 ID:wYmg7Rk30
権力を失った王。
その言葉が、私はある一人の王の死を思い出させる。
王の名はルイ・カペー。
私が最も手にかけたくなかった人物であり、人民が敬愛したフランスの主君であり、
ブルボン朝最後の王として、ベッドではなく断頭台でその死を遂げた王。
その死に様が一瞬にして鮮やかに蘇ってゆく。

「私の血がフランス人の幸福の固めになることを切望する」
人は誰であれ、死の直前には動じる物である。
だが、死を前にしての彼の言葉は、詰まることもなく、途切れることもなく、
滔々としており、はっきりとしていた。
死神はすぐそこにまで来ているというのに。
見ている私がかえって落ち着かないくらいであった。
震える手で王を断頭台へと招く。
王はそれを貴婦人に対するが如き、柔らかな仕草で応じていた。

王自身が改良したギロチンの刃で切り落とされた王の首は、実に重い物に感じられた。
フランスを統べていた威厳の重みと、主君を殺した私の罪の重さがそこにはあった。

穏やかさの内に、激情を包ませた彼の最初で最後の弁舌は、
今も私の心に焼き付いて、離れることが無い。その言葉は私に深く刻みつけられている。
だが。
その言葉は多くの人々に重石となって心の底に沈んでいるはずなのにである。
王の切なる願いは、聞き入れられることはなかった。
王の死は、陽光照らす幸福の日々の始まりではなかった。
それどころか、恐怖に打ち震える冬の連続のような日々の始まりであったのである。
政治に携わる代議士達は、死に際した王の言葉ではなく、
ジャコバンの「王」の言葉に服していた。
「王」の言葉は嵐を呼び、そして反動を生んだ。
そしてその顛末が、今の処刑台なのである。


651 名前:重み4/5 ◆Awb6SrK3w6 :2006/09/10(日) 23:54:05.91 ID:wYmg7Rk30
一段一段。階段の軋む音が響く。
今日20番目の罪人が彼だった。
夕焼けに染まり、憔悴しきったロベスピエールの姿がそこにはある。
彼は一言も発しなかった。
いや、発することができないというのが正しかっただろう。
顎に刻まれた生々しい傷が、彼の言葉を奪っていたからである。
おそらく、昨日の騒動の時についたものなのだろう。
彼は立ち止まり、空を見ていた。
断頭台か、それとも落日か。
彼の視線の先に映る物が何かはわからなかった。
罵声、怒声が何かを一心に見ている彼に浴びせられる。
人民は、早く彼の死を見せろと訴えていた。
このまま彼に虚空を見つめさせるわけにはいかない。
私の部下たちが彼を促す。
ゆっくりと一歩ずつ踏みしめるように断頭台の前へと歩んできていた。

断頭台に彼を抑えつける段となった時、私はある質問を思いついた。
意地の悪い質問である。処刑人らしい、下卑た汚い問い。
だが、私は問わずにはいられなかった。突き動かす衝動もあった。
「何か言うことが有りますか? 死に際して、市民に対し」
「……」
ロベスピエールがこちらを見る。
眼光はギロチンの放つ鈍い光。
人の意気を沮喪させ、死へと導いた視線が今、私を突き刺していた。
「できるならば、聞かせて頂きたい。先王の如き、心に深く刻まれるような言葉を」
少し、私もそれに怯む。だが、今主導権を握っているのは私であった。
強くにらみ返す。その時だったか。ロベスピエールの眼光は一瞬にして消え失せていた。
口が隠されているので表情は読みとりにくい。
だが、彼は確かに力無く笑っていた。数歩の距離しか離れていない私には、
無力となった自分を自覚する彼の苦笑がわかったのである。


652 名前:重み5/5 ◆Awb6SrK3w6 :2006/09/10(日) 23:54:37.31 ID:wYmg7Rk30
刃は部下の言ったとおり、実に滑らかにするりと落ちた。
ドスリという音と共に、「王」の人生が終わる。
落ちた首を手に取った。
罪人の首は拾い上げ、衆人にそれを示して見せるのが慣習である。
私が首の入ったかごの中から、ロベスピエールのそれを持ち上げたとき、
万雷の如き歓声が、四方八方あらゆる方角から響いていた。

腕に感じる彼の首はえらく重く感じられた。
独裁者であり、人道を踏みにじった彼の首は軽く感じられるべきである。
しかし、私の手に下がっているこの首は、非常な重量を持っていた。
それは、仮にもフランスの全権を一時の間とはいえ握っていた、
「王」の重みだったのかもしれない。
革命家としてはそれはおそらく間違ったことであろう。
だが、私は余り認めたくないのだが、確かに彼は「王」として、
人民に一つの方向性を示し、統率していたのである。
私が感じた重みは、そういう重みなのかもしれない。




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