623 名前:硝子球1 :2006/09/10(日) 23:36:30.13 ID:soVPFXpf0
14勝0敗0引き分け、それが私のスコアだ。
対戦相手はというと、今、私の目の前で石を投げつけてくる少女だ。名をミーニャと言う。
別段取り決めを交わしたわけではないが彼女は私に会う度に10の石ころを投げつけてくる。
とは言うものの、所詮は子供、狙いは甘く、速さも無い。避ける事等簡単な事だった。
かろうじて原型をとどめている程度の衣服に包まれた貧相な腕を振り回し、本日8投目の石が飛んでくる。
私は軽く身を捻って避ける。
その拍子に私が首にかけているネックレスが揺れる。その昔、私がとある老婦人から頂いた品物だ。
精緻なカッティングが施された小粒のダイヤモンド。それは美の女神の涙もかくやと言わんばかりの美しさ、まさしく宝石の王と言えよう。
貧相かつ貧乏なる小娘が欲しがるのも無理は無い。いかなる富と交換出来るものか私には見当も付かない程の品物なのだ。
貧相な小娘であるところのミーニャによる10投目は――
――私に届く前に失速し舗装された道路へと転がっていった。
戦略において制空権を得た側が圧倒的に有利になるのは近代戦の常識、それはこのような局地戦においても変わる事は無い。
私はそのように言った。
ミーニャは聞いているのかいないのか、悔しげに地団駄を踏んでいる。
私は彼女の顔の前まで降り、一声笑ってやった。
「カー」
「このクソカラス!」一瞬にして顔を真っ赤にし私に飛び掛ってくる。
即座に上昇する私。
空を切るミーニャの手。
バランスを崩し、転んでいく。好き放題に伸びたぼさぼさの髪が風を受けてなびく。
そして、酷く痛そうな音を立ててミーニャは倒れ、ぴくりとも動かない。
私はあの髪も少し手入れすれば金糸の如く美しく栄えるのだろうな、等と考えながら彼女のすぐ傍に降り立った。
何が出来るわけでもないが、こんな事で死なれては寝覚めが悪い。
耳元で大きく鳴く。
「チャーンス!」
猫のように飛び起きながら私へと手を伸ばす。
不意をつかれながらも即座に上空へと退避する。
間一髪、私は彼女の手を逃れることが出来た。
「カー」一声鳴いて、私は悠々と戦場を後にした。
15勝0敗0引き分け、今日も私は絶好調だ。
624 名前:硝子球2 :2006/09/10(日) 23:37:20.63 ID:soVPFXpf0
それから数日、私はまたもミーニャに出会った、とある中華料理店の裏手、詰まれたゴミ袋の傍らで。
互いに空腹を満たしにこの場所を訪れた身ではあった。
しかし、一匹と一人出会ってしまったならば戦わなければなるまい。
何も言わずミーニャは石を拾い間髪入れず投げつける。
――それと同時に、ガチャリ、と音がした。
何の音だ、と思いながらも私は反射的に宙に舞い上がり回避する。
「いてっ」
その声は私の背後から聞こえた。
ミーニャの顔が青くなる。
私は背後を見た。
するとそこには赤鬼の如き顔をした中国人らしき男が立っていた。左手にゴミ袋、右手には箒を持っている。
「このガキが!」
男はゴミ袋を投げ捨て箒を両手に持つと大上段へと振り上げる。
小さく悲鳴を上げて逃げようとするミーニャ、しかし、男が箒を振り下ろす方が速い。
その時、何故そうしてしまったのか私にはさっぱり分からない。
愚かしい事に、私は羽ばたき男へと突っ込んでいった。
突然現れた私に驚いたのか男の手元は逸れ箒は詰まれたゴミ袋の一つを叩いた。
再び箒を振り上げられる前に、私は攻撃を開始した。嘴を使い、男の額を突く。人間の皮膚など脆い物だたやすく破れ血が滲む。
半狂乱状態になった男が顔を抑えながら手を振り回す。
男がひるんだのを見て、私は未だに棒立ちしているミーニャのほうを向き逃走を促すように一声鳴いた。
はっとした様な顔をして、ミーニャが踵を返す。
私も逃げようとし――何かにぶち当たった。
羽の付け根に走る熱い痛み。男がでたらめに振り回した腕が鋭く私を打ったのだ。
力が入らず、落ちていく。
「カ……ァ……」
地面に落ちた衝撃で自然と声が出た。酷く弱い声だった。
霞む視界の中で見たのは。
無数の飛礫を受ける赤鬼と、私を抱え上げた貧相な腕だった。
625 名前:硝子球3 :2006/09/10(日) 23:38:18.31 ID:soVPFXpf0
気が付くと、見知らぬ部屋に居た。
薄暗い為視界が効かないが、どうやら屋根裏部屋のようだった。蜘蛛の巣とネズミの声、割れた採光用の窓、廃屋の如き荒れ様だ。
段々と何があったかを思い出した。私は恐らくあの貧相な腕の持ち主によってここに連れてこられたのだろう。
そして恐らく同一人物によって手当てらしき行為を施されてもいた。
ぼろぼろの布でミイラの如く私の体を巻いている。
打撲に対し、この行為が何の意味があるのかさっぱり分からなかった、が少なくとも痛みは殆ど残っていない。私は嘴を使い布を解いていく。
胸元には見慣れたダイヤモンドの首飾りがあった。
少なからぬ驚きを覚える、ミーニャは首飾りを奪う絶好のチャンスをみすみす見逃したのだ。
私が人間並みの骨格を持っていたならば肩をすくめただろう。
それから私は暗闇の中を当てずっぽうにさまよい彼女を探した。
壁に激突すること3度、柱に激突する事8度、薄汚い毛布に包まって眠っているミーニャの元へたどり着いた。
このお人好しめ、と私は呟きダイヤモンドを外して彼女の眼前に置いた。
命の代価だと考えれば悪く無い取引だ。
起こさぬよう、そっと羽ばたき割れた窓から飛び去った。
15勝0敗、1引き分け。
私はしばらくの間、巣に閉じこもり溜め込んでいた餌を啄ばみながら過した。
痛みが無いとは言え傷を負ったのには違いは無いので回復を待つためとダイヤモンドを手放してしまい気が抜けたからだ。
たくわえが粗方なくなった頃、私は久方ぶりに餌を探しに向かった。
街に着いて早々、肉の切れ端が落ちているのを発見した。実に幸先が良い。
熟成が進み旨みを増した肉の味を満喫していると、不意に視線を感じた。
顔を上げると、少し離れた所にミーニャがいた。
売り払ったのだろう、ダイヤモンドを身に付けている様子は無かった。もっとも、アレは彼女の物だ、私に口を挟む権利は無い。
私は彼女から視線を逸らし、再び肉へと向かう。
ダイヤモンドの無い私はただのカラスだ、彼女ら人間に見分けが付くはずが無い。故に、私は見知らぬカラスだ。
やがて、彼女は歩き出した。
私は何故だか酷い寂寥感を覚えた。気を紛らわせるように肉を平らげる。
そして、そのまま飛び去っていく。
――つもりだったのだが。
626 名前:硝子球3 :2006/09/10(日) 23:39:21.59 ID:soVPFXpf0
突如激痛が走る後頭部、極彩色に明滅する視界、失速し落ちていく私。
「よっし、命中」
はしゃいだような声の先には嬉しげに笑いながらガッツポーズをしているミーニャの姿。
派手な足音を立てて地面でもがく私の元へと駆け寄ってきた。
ミーニャは私を見下ろしながら懐に手をいれ、ダイヤモンドの首飾りを取り出した。
一瞬驚きを覚えるがすぐさまそれは痛みによって散らされる。
彼女はダイヤモンドを自身の首にかけ、こう聞いた。
「似合う?」
「カァ!」私は答えた。痛くてそれどころでは無い、と。
「そうか、似合うか。えへへー、あんた結構素直だね」
悲しいほどに意思疎通が出来ていない。
私はミーニャに抱きかかえられた。
彼女は鼻歌を歌いながら歩き出す。酷く機嫌が良さそうだった。
何処に向かっているのかは知らないが、しばらくの間歩いていた。
ある程度後頭部の痛みが治まると私は彼女の腕の中で暴れ力が抜けた瞬間に飛ぶ。
ミーニャの頭上30センチを何とかキープしながら見下ろす。是が非でも確かめておかねばならない事があった。
上から下まで、舐めるようにミーニャを見詰め思う。
相変わらず薄汚れている。手足は貧相だ。胸は無い。背も低い。髪はぼさぼさだ、ところどころちぎれた様で長ささえ不揃いだ。
胸元には不釣合いなはずのダイヤモンド。だというのに――
可憐だ。
きっと、頭の回線がおかしくなってしまったのだろう。
私の眼差しをどう勘違いしたのかミーニャは眉根を寄せ、言う。
「……返せって言っても返さないぞ、気に入ったんだからこの硝子球」
硝子球。その台詞を聞いて、私は思わず笑ってしまった。ミーニャが私を気持ち悪そうに見ているが、それでも笑いは止まらなかった。
「何だよ、ちょっと変だぞお前」
「カァ」失礼、と言い、私は彼女の左肩にとまる。
怪訝そうな表情を浮かべているミーニャの顔を見詰めながら、こう言った。
「カァ」確かに、君に比べたら宝石の王も形無し、哀れな硝子球に等しいかもしれないな。
「……何言ってんのかさっぱり分からない」
15勝1敗1引き分け、実に気持ちの良い敗北だった。