ひとならざりしもの
◆D7Aqr.apsM




594 名前:ひとならざりしもの 1/5  ◆D7Aqr.apsM :2006/09/10(日) 23:05:36.48 ID:FTFMtir+0
階段の踊り場に立つ彼女の背中から夕日が差し込み、あたりは赤ににじんで見えていた。
「え?」
階下にいる僕に向かってヘレンはゆっくりと振り返った。
「あの、だから、明日。よかったら――本当によかったら、だけど――シティセンターあたり、
いってみないかな、と思って。い、一緒に」
最後の言葉がなければ街のオススメスポット紹介になってしまう。そう思ってあわてて言いたした。
逆光になってここからは表情が見えない。彼女は少しうつむき加減にして、考えてしまっている
ようだった。困らせてしまうのは本意ではない。なにか取りつくろうような言葉を探さなければ――。
信じられない言葉が思考をさえぎった。
「――はい。わたしでよければ」
あわてて階段を彼女の立つ踊り場まで駆け上がる。
「ほ、本当に?」
「ジェイク。指切りでもしますか?」
彼女はにっこりとわらって、右手の小指を差し出す。あまりに白くて華奢なその指にどぎまぎしてしていると、
冗談ですと言って手をおろした。
時間と待ち合わせ場所をあたふたと決めていく。
「じゃあ、10時に。メインエントランスのライオンの像の下で。……本当に来てくれる?」
「ええ。わたしは約束は守りますから。楽しみにしています」

ヘレン・ランドールがこの学校へ転入してきたのは半年前のことだった。
端正に整った顔立ちと、長いまつげに縁取られた大きな青い瞳。
制服のブレザーをきちんと着込み、この国ではめずらしい、漆黒の髪をリボンで結い上げた彼女は、
全校男子の注目の的だった。
これまで幾人もの男が彼女に告白し、散っていったという。
噂では全員集めるとサッカーの試合ができるという噂だ。審判つきで。
ならば、と彼女の友達から親しくなって……という作戦を思いつく者は多かったけれど、不思議なことに
ヘレンは同性異性を問わず、友人らしいものをつくらなかった。昼食や登下校を通して一人でいる姿を
見かけた。
こうして、彼女は伝説の領域にまで達し、遠巻きに見守られるだけの存在になっていた。


595 名前:ひとならざりしもの 2/5  ◆D7Aqr.apsM :2006/09/10(日) 23:06:27.15 ID:FTFMtir+0
なぜ、あのとき声をかけたのだろう。あれから何度思い返してみても答えが見つからない。
シティセンター。たぶん国で一番大きなショッピングモールだろう。その前にあるライオンの銅像を背にして
僕は雑踏を眺めていた。広場のはるか向こうには政治を担う国府の建物が見える。
あのとき、ヘレンは踊り場の窓から外を眺めていた。
高台にある僕らの学校窓から外を見れば、そこにはこの街が広がっている。
景色を眺めるという行動は、それ程珍しいものではないけれど、その時の彼女の表情は、なんというか、
あまりに寂しそうに、つらそうに見えたのだ。
ふつうなら、そこで「どうしたの?」とか、「なにかあった?」とか声をかけるのべきなのだ。
それを何故か遊びに誘ってしまったのは……どういうことなのだろうか。自分で自分に問いつめたくなる。
――というようなことを夜通し考えて眠れないまま、僕はここに立っていた。
薄曇りの空を見上げると、雲がかけ足で流れていく。
「おはよう。雲の流れがはやいね」
気がつくとヘレンが横に立っていた。
髪型はいつも通りに、紺色のワンピースに白いボレロを組み合わせている。どこからどうみても
良家のお嬢さん、という感じだ。
「お、おはよう。びっくりした。わからなかったよ」
「空を見上げてたからじゃない?」
彼女はくすりとわらうと、少し離れた道に止まった黒塗りの車に向かって軽く頭をさげた。送ってきた
家の人だろう。ゆっくりと車は走り去っていった。
とりあえずシティセンターの中に入ることにして、歩きはじめた。大きな回廊を中心に、左右に店が
並んでいる。どの店もウィンドウディスプレイに趣向を凝らしていて、高級感が感じられた。
ヘレンは物珍しそうにセンターの中を見回している。
「あまりこういう所へは来ない?」
「ええ。そうね。今日が初めて。あなたはよく来る?」
「正直、あまりこないかな。どのお店も僕には敷居が高すぎるよ」
ウィンドウに飾られているビニール製のカバンの値段が、夏のアルバイト代を全部だしてもまだ足りない、
というのを見て毎度のことながらあきれかえる。
大きなショッピングモールといっても、ぐるりと見て回るだけであれば時間はさほどかからない。
僕とヘレンはあっさりと入り口まで戻ってきてしまった。


596 名前:ひとならざりしもの 3/5  ◆D7Aqr.apsM :2006/09/10(日) 23:07:18.04 ID:FTFMtir+0
苦し紛れに選んだ次の場所は博物館だった。
たまたま目についた展示内容のポスターを指し示すと、彼女は一瞬考えた風だったけれども、同意してくれた。
落ち着いたライトが照らし出す、古代の遺物達を眺めて回る。展示は過去にこの場所を支配していた部族の
遺跡についてのものらしく、色々な土器や布などにはエスニックな感じの模様が描かれていた。
「……ひとつ、ききたいのだけれど」
ヘレンは隣からじっと僕の目を見つめながら口を開いた。
「どうして、わたしに声をかけたの?」
「えーっと。あー……ごめん。博物館は退屈?」
「あ、そうじゃないわ。この展示は前から見なければと思っていて、機会がなかったものだったし」
彼女は少し慌てたようにつけたした。
「本当に、急だったじゃない?だからどうしてかな、って」
「驚いた、よね?」
「うん。大抵の人たちは、なぜか知らないけれど前から予告されるの。女の子達とか、その人の友達とかから。
で、その上で、手紙を渡されたり電話だったり」
僕の前を、彼女は歩いていた。リボンと黒くて長い髪がゆったりと揺れている。
僕は正直に話すことにした。いつか声をかけたいとは思っていたけれど、あそこで声をかけたのは全くの
思いつきだったこと。見かけた表情が悲しそうであったこと。そして、気晴らしの手助けができればと
思っている、ということ。
「――だから、ある意味、とてもいきあたりばったりだったんだ」
怒られて、ここで帰られても仕方ないな、と僕は思っていた。
僕らは黙って歩き続け、細長い廊下のような展示室から、大きなホールへ出た。
壁一面に、大きな布が貼られていた。
文字なのだろう、何かの文章が赤黒い色で染め抜かれている。黒い天井や床の中で、その赤だけが
目に焼き付くようだった。
僕ら以外に誰もいない展示室の真ん中で、彼女は立ちつくしていた。壁に並べられた文章を見つめている。
彼女の見開かれた瞳は、ゆっくりと壁面の文字らしき模様を追っていた。
四方の壁面を全て見終わると、彼女はゆっくりと僕に向き直った。
「ありがとう。そんな風に言ってくれたのは――ジェイク、あなたが初めてだった。けれど、もう、大丈夫です」
後ろに立っていた僕から少し離れて彼女は振り返った。首を少しかしげながら笑うその仕草はとてもかわいい。
けれど、瞳だけが悲しそうに見えるのはそのままだった。


597 名前:ひとならざりしもの 3/5  ◆D7Aqr.apsM :2006/09/10(日) 23:08:04.28 ID:FTFMtir+0
「海が見たいのだけれど、いい?」
博物館を出ると、ヘレンは普段の表情に戻っていた。
観光客のようにダブルデッカーの二階席に座り、彼女は街を眺めている。開け放たれた窓から入る風が、
彼女の髪をなびかせていた。
「ジェイク。一つききたいのだけれど。この国――街でもいい。好き?」
不意に彼女が口を開いた。
流れ去っていく街の景色を彼女は眺めていた。
「他の街に住んだことはないけれど、まあ、そうだね。好きかな」
「じゃあ、――この街が、誰かから攻撃されたら、ジェイクは戦う?その相手が、知り合いで
あったとしても?」
彼女は僕の顔をのぞき込むようにしていた。瞳が少し潤んでいる。
バスが減速した。海浜公園の停留所に到着したことがアナウンスされる。その音にヘレンはゆっくりと目を
伏せ、席を立った。

バスが騒々しい音をたてて走り去る。
「僕は……そうだなあ。もしかしたら、だけれど、戦うんじゃないかと思うよ」
公園の中を海へと歩きながら僕は口を開いた。
「逃げるかも知れない。や、絶対逃げると思う。でも、実際に何かが起こるのを目の当たりにしたら
……敵にやられただけやり返そうとするかも知れない。酷い話だけれど。
人間同士なんだから、話し合えばそんなことにはならないと思うんだけどね」
海からの風がびゅうびゅうと音をたててあたりを吹き抜けていく。
「その敵が、わたしであっても?」
彼女が立ち止まる。声がふるえているように聞こえた。
「なんでそんなこと――」
いうのさ、と言いかけて、僕は口ごもってしまう。彼女はの頬を伝っているのは、涙だ。


599 名前:ひとならざりしもの 5/5  ◆D7Aqr.apsM :2006/09/10(日) 23:09:03.23 ID:FTFMtir+0
「あなた達は知らされていない。この国がどうやって出来てきたのかを。その時に何が起こったのかを。
ここは、あなた達の祖先の場所ではなかった。あなた達の祖先は、国を追われ、海を渡り、やっとの事で
ここへたどり着いた。少しばかりの武器と共に。でも、鉄をほとんど知らなかったここでは、それは
絶対的すぎるな力だったの」
彼女は少しずつ後ずさりしていった。背後には海が広がっている。
「滅ぼされる寸前に、私たちの祖先は口伝としてこれを伝えて、数人を逃がしたわ。ちりぢりになっても、
口伝だけは残り、逃げ出した人々は託された願いを守った。その願いは――この国を取り戻すこと」
「そ、そんな。なんだか、おかしいよ。そんな昔のことなのに。それに、もし本当だとしたら、
人間同士話し合って……」
「ジェイク。ごめんなさい。わたしは……人であることをやめたの。その部族を率いる王なの。話し合いなんて
できないの。矛盾しているかもしれない。けれど、逃げて。この国は滅ぶわ」

遠くでドーンという爆発音が響いた。シティホールの方角を見上げると、黒い煙がもうもうとあがった。
見たこともないマークを付けたヘリコプターが数機、低空を飛び去っていく。
散発的に何かが爆発する音と、サイレンと、人の悲鳴が聞こえる。

公園の中を僕らの方へ向けて黒い四輪駆動車が走ってくるのが見えた。植え込みやベンチがなぎ倒される。
僕とヘレンを物珍しそうに見ていた人々が慌てて逃げていった。
ドアが開き、中から耳慣れない言葉が発せられるとヘレンがうなずいた。
「七日間で終わるわ。だからお願い。逃げて。ごめんなさい」
彼女は僕に走り寄ると、頬に口づけをした。
くるり、と後ろを向くと、彼女は車へ向かって走り出した。
僕に涙を残して。






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