【 僕と彼女と子猫と君と 】
◆2LnoVeLzqY




43 名前:僕と彼女と子猫と君と ◆2LnoVeLzqY :2006/09/04(月) 00:02:30.17 ID:C1XNfZFA0

僕にとってエリは初めての彼女だったし、またエリにとっても僕が初めての彼氏だった。
だから見た目以上に、あのころの僕らの仲は、ぎこちなかったのだ。
恋愛に通じた人間なら、じれったくて見てられない場面も、あったんじゃないかと思う。
でも決して仲が悪かったわけじゃない。良すぎて良すぎて、二人とも、戸惑ってたのだ。
これは、そんな僕とエリとの思い出話。
二人が付き合い始めてから一ヶ月が経った、高校二年の夏のことだ。


学校を出たときには小降りだった雨も、十分ほど経った今では立派な夕立に変わっていた。
僕らは少し水かさの増した川を見下ろしながら、土手の上を並んで歩いていた。
エリは傘を持ってきていなくて、僕の味気ないビニール傘の下に一緒に入っていたけど、そこでの会話はビニール傘よりも味気なかったはずだ。
そのころの僕らの会話なんてそんなもんだった。付き合ってるんだか友達同士なのか、傍目からじゃわからない。
でもお互いのことが大好きなのは、お互いが一番わかっていたつもりだ。

雨足はいよいよ強くなってきた。
僕らは一つの傘の下に入っていたもんだから、思っていた以上にずぶ濡れなった。
電車の駅まで、もう十分ほど歩く必要がある。
大きめの橋が見えてきたから、そこの下で少し雨宿りしよう、と僕はエリを誘った。
頷くエリもずぶ濡れで、その笑顔はこれまで見たどれよりも、色っぽかった。

上を通る車の音がごうごうと反響して、橋の下にはムードも何もあったもんじゃなかった。
エリはセーラー服も、スカートまでもが雨に濡れていて、体のラインがはっきりと見てとれた。
女の子だった。僕はそのとき初めて、はっきりとそう意識した。
抱きしめてキスなんて、それまで一度もしたことがなかった。
だけど、恥ずかしそうにしているエリが可愛らしくて、我慢できなくて、
気がついたらエリを抱きしめていて、エリの顔が僕の顔の前にあって、
エリの髪の甘い匂い僕の鼻をくすぐって、
エリは目を閉じて、僕も目を閉じて、
エリの唇が僕の――

44 名前:僕と彼女と子猫と君と 2/4 ◆2LnoVeLzqY :2006/09/04(月) 00:03:31.41 ID:C1XNfZFA0

「ミャオ」

足元に、猫がいた。真っ白な子猫だ。
誰かに見られたわけでもないのに、僕らは思わず、顔を見合わせて照れ笑いをした。
「お弁当の残りがあったかな」と言って、エリはごそごそとカバンの中を探しだした。
まるで、さっきのことは忘れて話題を変えたいかのように。
僕は複雑な気持ちだったけど、なんとなくエリに合わせることにした。
見たところ、近くに親猫はいないみたいだった。親離れしたのか、はぐれたのか。
エリの手から差し出されたウィンナーを、その子猫はおいしそうに食べた。
「可愛いね」
「うん」
子猫を前にした、たったこれだけの会話。
車の音にかき消されて、かすかにしか届かないその言葉には、それでも僕らの間を埋めるには十分すぎる愛情が込められていたと思う。

そう、愛情なのだ。
あのとき僕は、心の底からあの子猫が可愛いと思った。本当に、可愛いと思った。
それはまるで、エリに伝えるべき、だけど伝えられない気持ちを、全てあの子猫に伝えていたみたいに。
エリは僕の隣で屈んで同じように子猫を見ていたけど、僕は子猫を通じてエリを見ていたのだ。
子猫を通じて、エリに愛情を注いでいたのだ。
キスを邪魔されたからじゃない。一回のキスじゃ伝えきれない愛情を、僕はもっともっとエリに伝えたかったのだ。

それからは、事あるごとにその橋の下へと、子猫に会いに行った。
エリは煮干しなんかも持ってきていたし、子猫も喜んでそれを食べているみたいだった。
この子猫の前では、いや、子猫の前だからこそ、僕らの会話はとても弾んだ。
今日あったこと、今考えてること、これからのテストや行事のこと…。
エリはこの子猫に、ミー君という名前をつけた。
そんな中で、ある時エリが言った言葉が、今でもとても印象に残っている。


45 名前:僕と彼女と子猫と君と 3/4 ◆2LnoVeLzqY :2006/09/04(月) 00:04:43.89 ID:C1XNfZFA0

「ミー君って、私たちの子供みたい」
僕はそのとき、頭が真っ白になるくらい恥ずかしかったのを覚えている。
子供がどうやったら出来るのかなんて、高校二年になれば男子でも女子でも知ってることだから。
だけど冷えゆく頭でよくよく考えると、確かに言い得て妙なのだ。
僕らが子猫に注ぐ愛情は、僕ら同士が注ぎ合う愛情とは、何かが違う。
それはきっと、親が子に注ぐ愛情に似ているのだ。
義務があるわけでも、理由があるわけでもない。
でも喉をごろごろと鳴らすミー君を見てるだけで、僕らはとてもとても幸せだったのだ。

それから二週間ほど経ったある日のことだ。
朝から降りしきる雨が、学校帰りの僕らの体を濡らしていた。
ミー君と出会ったときも雨だったな、とそのときの僕はふと思い出した。
だけどこの雨は夕立ではなくて、台風だった。
風が僕らの体を容赦なく叩き、雨の勢いは夕立のそれとは比べようが無かった。
エリが傘を忘れることはなかったけれど、結局はその雨と風でずぶ濡れになっていた。

橋の下へ行くことは、もう日課になっていた。
だから今日も、僕らが行けばあの子猫、ミー君が、が草むらからひょこひょこと顔を出す。そう思っていた。
「…ミー君、出てこないね」
エリの言葉には、どこか焦りの色が浮かんでいた。
僕らがいつもの場所に着いても、ミー君は一向に姿を見せなかった。
ざあざあと降りしきる雨と、水かさの増した川は、闇雲に僕らの不安を募らせた。
それから靴も、スカートも、ズボンもぐしょぐしょにして、僕らは橋の下を探し回った。
けれど結局、それは徒労に終わった。三十分経っても、何も変わらなかった。
「ミー君は……どこにいるの? ねぇ、どこにいるの?」
エリの言葉は、もはや願いだった。お願いだから出てきてよと、祈っていた。
私たちの、子供なのよ、と。目に涙を溜めて、願って、祈っていた。
そんな届くはずのない願いも、ゆくあてのない祈りも、雨の音は無情にかき消した。

46 名前:僕と彼女と子猫と君と 4/4 ◆2LnoVeLzqY :2006/09/04(月) 00:05:31.29 ID:C1XNfZFA0

エリは泣いた。僕も泣きそうだった。
ひとつの愛情がその形を失った時に、人は涙を流すのだ。僕はこのとき初めて知った。
だけどここで僕が泣いたところで、何が変わるというのだろう。
めいっぱいの愛情を注いだ子猫は守れなかったけれど、僕が泣いたら一体誰がエリを守るんだ?

僕はエリを力いっぱい抱きしめた。
ワイシャツとセーラー服はぐしょぐしょだったけれど、エリの体温も、鼓動も、そのまま伝わってきた。
「…ありがとう」と言うエリの声はかすれていて、何か気の利いたことを言ってやらなくちゃと思った。
けれど結局そんなことはできなくて、僕はエリを強く抱きしめたまま、その肩の上で大泣きしてしまったのだった。


「…そんなことも、あったっけ」
「さあね。もしかしたら、僕の作り話かも」
くすり、とエリが笑う。僕もつられて、頬を緩ませる。
さっきまでの夕立はすっかり上がり、病室の窓には夕焼け空が広がっている。
「ミー君、元気で生きてるといいね」
ぽつり、とエリが言う。
それはやっぱり届くはずのない願いで、ゆくあてのない祈りだ。
だけどそれは、僕だって言いたいことなのだ。
「何だ、やっぱり覚えてるんじゃないか」
僕は悪戯っぽく笑う。
「だって、あなたが私の前で泣いたのって、あれが最初だったでしょ」
彼女も、悪戯っぽく笑う。
ああ、そんなことまで覚えているのか。改めて言われると、あの頃の自分が恥ずかしい。
僕は視線を彼女から窓の外へと向けて、それから話題を変えることにした。

「…それで、子供の名前はどうするんだい、未来のお母さん?」
未来のお父さんは子供を守れなくちゃな、と自分に言い聞かせながら。



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