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◆D7Aqr.apsM




817 名前:Home 1/5  ◆D7Aqr.apsM :2006/09/03(日) 20:47:58.58 ID:xDh7ZWzA0
「いいかげん、申請を手書きに限るってのはやめてくれない?」
エレノアがサインし終わったペンを用紙と共に返しながら窓口の担当者へ愚痴をいう。
「うえの方がね、許さないんスよ。『心がこもってない』ってね」
「あら、警察に心なんて残ってたの?」
「や、秘密なんですけどね、新装備なんすよ。――エレノアさん、でも、久しぶりですよね」
「3年ぶりね。この子にかかりっきりだったから」
受付完了のハンコを押された書類が戻ってくる。
書類に小さな顔写真が貼られている。一見するとミドルティーンの可愛らしい女の子だが、
書き添えられた言葉がそれを否定していた。
試作ドール、タイプセブンティーン。野生化。
「二、三日したら戻ると思うわ。騒がせるわね」
エレノアは書類をコートの内ポケットに押し込んだ。

ドール、という存在がこの世に生まれてから既に数十年が経過している。
当初、介護用の目的に作られたそれは、次第に高機能化し、多様性を持つまでに至った。
そして、その後のドールの運命を決定づけたのがAユニットと呼ばれるソフトウェアだった。
そのソフトウェアは、ドールに擬似的な人格を与えることに成功し、人々はそのチューニング
に熱中した。
しかし、チューニングによりバランスを崩すと、ドールはドールとしてのルールを崩壊させ、人に
危害を加えることが可能となってしまう。それを『野生化』と人はよんだ。
高度なチューニングを必要とする人々に求められ、プロのチューナーが誕生した。
チューナーは依頼者から請け負った要望に添うようにドールを調整し、引き渡す。
――ただし、プロとはいえ、失敗することもある。

人でごった返しているロビーを横切る。制服を着た警官がエレノアを見ると露骨に
顔をそらす。いくら政府機関にも顔がきくドールチューナーといっても、警察にとってみれば、
やっかいごとを持ち込む迷惑の種でしかない。
慣れた、と思っていたがやはり気分が良いものじゃないな……エレノアは苦笑しながら
小さくため息をついた。入り口の脇に待たせておいたボビーが駆け寄ってくる。

818 名前:Home 2/5  ◆D7Aqr.apsM :2006/09/03(日) 20:48:56.52 ID:xDh7ZWzA0
「エレノア、大丈夫ですか?」
紫色の瞳が心配そうにエレノアの顔をのぞき込む。肩口で切りそろえられた黒髪に、
濃い青のリボンが揺れる。
「ん?ああ、大丈夫。こういっちゃなんだけど、形式的な手続きだから」
「そうですか……。あんまり、雰囲気がよい所ではないですよね」
「まあね。さて、と。お迎えに行きますか」
ボビーはエレノアがチューニングを手がけたドールの一台だった。
壁に立てかけておいた大きなボストンバッグをかついで後に続く。濃紺のビロード生地を
たっぷり使ったワンピースのスカートが揺れた。

「政府の管理するネットワークへのダイレクトアクセスは検知されていません。
どこかで端末を手に入れていれば別ですが……。多分、機能増設はしていないと
思います。旧市街へ潜り込んで状況把握というのがセオリーですが……」
早足で歩くエレノアの横で、ボビーが小さな声で報告を続ける。
「どうかなあ。あの子、かなりできあがっていたからなあ。ちょっと内気なフリしたら、
 普通見分けつかないだろうし……。旧市街って一回もつれて行ってないし、結構臆病な
所もあったから、そっちには行かないでシティにいると思うんだよね。さて。この辺から
はじめようか。端末はの準備はいい?」
ボビーはスカートのポケットから化粧用のコンパクトにも見える端末を取り出し、うなずいた。

メインストリートは家路を急ぐ人々でごった返していた。街路樹の枯葉が街を埋め尽くそうとしている。
おぉおおぉぉぉおおおん。という音が体を包み込む。エレノアは海を見たことは無かったが、
おそらく海鳴りというのもこんなふうに感じられるのではないか、とふと思った。
ダスターコートの懐から小指程の小さな笛を取り出す。ヒヤリとした感触が形のいい唇に伝わる。
エレノアは、すうっ、と吸い込んだ息を、ほそく、ながく笛に吹き込む。
三度、ながく吹いて、休む、というパターンを繰り返した。
ボビーは端末の画面を見入っている。反応が出るのは一瞬。見逃すことはできない。
エレノアは祈るような気持ちで、高い空を見上げた。もうすぐ、夜がやってくる。
「あの子、無理しなけりゃいいのだけれど」

819 名前:Home 2/5  ◆D7Aqr.apsM :2006/09/03(日) 20:49:44.39 ID:xDh7ZWzA0
「反応でました。南西。ここから四キロほど先──セントラルパークです」
何回か、街をそぞろ歩きしながら笛を吹く。
秋ももう終わろうとしている。雪の季節がくれば、この街は白に覆われる。
紅の夕日から、青黒い夜空へとすっかり変わっていった。星が冴えた光を放ち始める。
伏し目がちに端末を見ていたボビーがつぶやくようにいった。
「一度もつれていったことはなかったと思ったけどなあ。あ、話を聞かせたことがあったっけ?」
エレノアが笛をポケットへしまいながらボビーを見ると、彼女はこくりとうなずいた。
「そうだったね。──じゃあ、いこうか」
エレノアは長い髪をバレッタで止めながら歩調を早めた。ボストンバッグを背負いなおし、ボビーが後を追う。

公園の入り口で管理人に警察署で発行された書類を見せ、閉園中のゲートを開けてもらう。
大きな鉄の柵でつくられた門はツタを模した細工で縁取られ、中に封じ込められた自然を押しとどめようとしてる。
木々に覆われた園内はしんと静まり返っていた。所々にある街灯が小さくあたりを照らし出していた。
「ボビー、このあたりで待機して。わたしがドジふんだら悪いけど──お願い。彼女を止めて」
中央門を入ってすぐにある、大きな噴水がある広場。
「わかりました。手助けが必要なときはインカムで」
右耳に装着したインカムをボビーは指さした。同じものをエレノアも身につけている。
スイッチを確認すると、エレノアは笛を取り出し、最後に長く吹いた。ボビーが端末を確認する。
「ここから三百メートル……たぶん植物園の中かと」
「うん。わかった。──じゃあ、行って来る」
お気をつけて。という言葉を背中に聞きながら、エレノアは歩き出した。
黒く堅いリングブーツ。ダスターコート。マスタード色の革手袋を取り出し、手にはめる。
町中で見れば一般的な会社勤めの女性の散歩にも見えたかもしれない。
しかし、今、それは戦装束だった。

植物園は四方をガラスで覆われ、夜をうつして黒く、冷たく光っていた。
管理人から借りたアクセスカードをつかって扉を開く。明かりはつけないまま、エレノアは中に踏み込んだ。

820 名前:Home 4/5 ◆D7Aqr.apsM :2006/09/03(日) 20:50:47.09 ID:xDh7ZWzA0
「ダイアナ入るよ」
外の街灯が、かろうじて植物園の中に光を投げかけていた。南国の、緑の強い木々が薄灰色に染まって見える。
ふつうのビルの三階ほどの高さがあるグラスハウスの中には熱気がこもっていた。
中につくられた池の水音が低く聞こえている。
石のブロックが敷き詰められた歩道をすすみ、中央の高台へ。エレノアは迷う風もなく足をすすめた。
アンティークな鋳鉄で造られた動物の彫像に混じって、ベンチは置かれている。
その中の一つに、彼女は座っていた。

高台にある小さな休憩所の入り口に、エレノアは立ちつくした。
遠く街灯から差し込む光は、グラスハウスの窓枠や、木々の葉を透かしてとどく。
その光が、ほとんど白にちかいプラチナブロンドを輝かせている。
ボビーよりも数段小さな体は、無骨な関節部分の継ぎ目さえ無ければ、そのまま少女のように見えた。
白い、シンプルなワンピースは所々泥に汚れていた。ノースリーブのそれは細い肩をむき出しにしていた。
「……ダイアナ。よかった」
「よくないよ」
ベンチの上で、膝を抱えるようにしてダイアナは座っていた。顔は腕の中に伏せられて
エレノアからは見えない。
「何が、いいの?失敗作を回収できるから?バグ持ちを一つ壊せるから?ジンルイノキョウイを
排除できるから?」
感情を押し殺した声は、エレノアを立ち止まらせた。
「違うわ」
「だいじょうぶ。ここにたどり着くのは全部夜を選んで移動したし、ヒトに危害は加えなかったわ。
笛で探されたのもわかってるけど、逃げなかったし、いい子にしてるでしょ?あとはおとなしく
デリートされればいいのよね?」
「違うわ」
「ボビーも来てるんでしょ?最悪、エレノアが私を取り逃がしても、最後はあの人のライフルで
トドメ、よね?わたし頑丈だから、多分、一発や二発じゃあ壊れないわ。手足に打ち込んで、
至近距離から頭を吹き飛ばさなきゃ。いっそのことライフルじゃなくて、対戦車砲とか
RPGだったらよかったのに。少しは早く『処理』できるでしょ?」
「違う!」

821 名前:Home 5/5 ◆D7Aqr.apsM :2006/09/03(日) 20:51:52.94 ID:xDh7ZWzA0
ぱしいん!という乾いた音が響いた。ダイアナが頬を抑える。
駆けよったエレノアの右手が、大きく左に振り抜かれていた。
「エレノア、痛かったでしょ。――わざわざ手袋外してぶってるし」
「こんなの痛くなんかないわよ!何を悟りきったようなことをいってるのよ!勝手にいなくなったら
心配するでしょう!何年一緒に暮らしてきたと思ってるの?それから、わたしの腕を甘く見てるわ。
野生化がどうしたっていうのよ。そんなもんなおすわよ!あなたは私の家族なの。家族が調子悪くなったら
看病して、なおすのがあたりまえでしょう!」
エレノアは、ベンチの前に跪き、ダイアナの背中に腕を回して抱きかかえるようにした。
「帰って――帰ってき……きてよ。ボビーも待ってるよ」
呆然と虚空を見上げていたダイアナは、エレノアの腕に手をそえる。
「帰る?」
「そう。みんなの家に。あたりまえでしょう?」
「だって、野生化が――治せるわけないわ!」
「大丈夫。あまり大きな声じゃあ言えないけれど、ボビーもそうだったのよ」
「ええ!?」
驚いたダイアナの赤い瞳がエレノアを見上げる。
エレノアは静かに、野生化の治療について話し始めた。フォーマットや再プログラミングは全く
意味がないということ、治療というよりは、自立的な制御する力を伸ばす訓練のようなもので
あること、エレノアにはその治療を行う例外的な特権が与えられていること。
「だから、ね?」
目を一杯に見開いたダイアナはエレノアの肩口に顔をうずめ、泣き始めた。
髪をなでながら、エレノアはダイアナをもう一度強く抱き寄せる。
暖かい。
ツピ、と耳の中のインカムが鳴る。
「エレノア、大丈夫ですか?」
「うん。家出ムスメは無事よ。――さあ。帰ろう。家へ」





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