【 理由 】
◆sTg068oL4U




714 名前:理由(1) ◆sTg068oL4U :2006/09/03(日) 13:55:50.59 ID:4M+3SXAu0
「お前、人生をやり直したいと思ったことはあるか?」
暫く会ってなかった父に突然呼び出されたのは、僕の結婚を間近に控えた夏のある日だった。
父が突然家を出ていったのが10年前、正式に離婚したのが5年前。
「そりゃあるよ。後悔したことのない人間なんて、正直信用出来ない」
“結婚したらあんな夫婦になりたい”と妹に言わしめた両親の、突然の破局。
「そうか……今日はお前が結婚する前に、話しておきたいことがあってな」
父がポケットから古い懐中時計を取り出した。

「父さんはな、何度も人生をやり直した結果、この結論に至ったんだ。母さんと最初に出会ったのは
中学の時だ。当時の母さんは本当に美人だったぞ、クラスの人気者だった。そして母さんの好きな
タイプもそうゆう男だった。少なくともその頃はな……」
父はテーブルに出した懐中時計をじっと見ている。
「でも“本当の”中学時代の父さんはそんな生徒じゃなかった。
引っ込み思案で運動神経も鈍かったし、勉強も出来なかった」
幾つもの会社を経営する父はスポーツマンで成績優秀、明るくみんなから慕われている。
――それが物心ついてから不変の父親像で、父にそんな過去があったとは意外だった。

「そんな自分は母さんの理想から程遠い。小学校、いや幼稚園からやり直せたなら、今度は活発で
勉強の出来る生徒になれたろうに……そんなとき、この懐中時計を実家の蔵でみつけたんだ」
父は懐中時計をストップウォッチを握る様に持ち、天辺のボタンを押す。
「もう壊れた――正確には壊したんだけどな、これを使うと、時間を巻き戻すことが出来たんだ。
数十秒から数十年まで、いつでも“あの頃の自分”に戻れる。最初は機能も使い方も知らないまま、
面白半分にいじってたら幼稚園児になってた。蔵の中全体が急に大きく見えたとき、なにが起こった
のか自分でも解らなかったよ」
「ちょっと待って、何の話かよく分かんないよ」
「そのままの意味だよ。今までの記憶が残ったまま過去に遡って、幼稚園の頃の自分に戻ったのさ。
信じられないだろうけど……それで父さんは家でお絵かきに没頭する生活を改め、
悪ガキ達の輪の中へ積極的に入っていった。体力はまだ無かったけど、頭脳は中学生だったから
中心へは結構簡単にいけたよ。次第に運動も出来るようになり、成績も――中学生だから当たり前
だけど、常にトップだった。そうして2度目の中学生になった。今度はちゃんと付き合えたよ」

715 名前:理由(2) ◆sTg068oL4U :2006/09/03(日) 13:57:10.97 ID:4M+3SXAu0
「冗談だろ、幼稚園から人生やり直して運動も勉強も出来るようになったなんて……」
「母さんに聞いてみろ、俺の中学時代がどんなっだったか。少なくともクラスの隅っこに居たなんて
言わないぞ。それからもこの懐中時計は役に立った。感情の行き違いも原因が判った次点で取り繕った
し、浮気がばれたときもこれに救われたんだ」

父はここで初めてアイスコーヒーに口を付けた。
「でもな、何か夫婦の間に何か問題が起きるたびに遡って修正する、そうやって危機を乗り越えても
根本的な解決にはならないんだ。本当なら母さんは自分を愛さなかったし、そもそもつきあい始めた
時から、後付けで母さんに気に入られる人格をでっち上げたに過ぎない」
「そんなことないだろ。父さんは幼稚園児に戻った時もちゃんと努力したじゃないか」
「努力とかそうゆう問題じゃない。ただ後悔することが怖かったんだ。
あのときこうすれば――そうゆう感情を避けたいばっかりに、些細な失敗さえ修正して回った。
父さんと母さんの間にある根本的なズレに蓋をしてな。それを認めるよりも、自分が相手の趣向に
合わせて波風を立てない方が楽なんだよ」
過去に戻って人生をやり直す――それ自体はまだ信じられなかったが、父が出ていった訳は分かった
ような気がした。
「だからある時点から、“目的が失敗しないこと”に変わってしまったんだよ。母さんとより良い関係
を築く事からね。だから結婚した時点で、もう母さんのことは愛していなかっんだ」

父が出ていって以来母は茫然自失となり、この十年ほとんど何もする事が出来なくなってしまった。
その母が愛した父は全ての失敗を“無かったこと”にした、母にとって何も欠点もない理想の夫
だったのだろう。

「だから、母さんの愛した人は実在しない偽物なんだよ」

終わり



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