【 早すぎた誕生 】
◆gVz74zEnpA




548 名前:早すぎた誕生 ◆gVz74zEnpA :2006/09/02(土) 23:54:29.57 ID:rXJntLTF0
 僕が彼女を初めて見たのは、僕のご主人様の犬を散歩させている時だった。
 彼女は僕と同じで、『お手伝い』の仕事をしていた。
 大きな屋敷の窓ガラスを拭いている。お掃除をしてるんだ。
 次の日、彼女はお庭の掃除をしていた。
 次の日はまた窓を拭いていた。
 次の日はお庭の掃除。次の日は窓拭き。
 彼女は毎日掃除をしていた。僕は、そんな彼女の姿を毎日見ていた。
 ある日、彼女は、屋敷のテラスにいた男――彼女のご主人様らしい人間にお茶を出していた。
 掃除はしないのだろうか。そんなことを思いながら僕はそれを見ていた。
 男は、そのお茶を飲むと突然怒り出して彼女を杖で叩き出した。多分、出したお茶がまずかっ
たんだろう。けど叩くことはないだろうと僕は思った。
 次に見たときも、彼女は男にお茶を出していた。
 今度は男は怒らなかった。お茶の淹れ方を変えさせたみたいだ。
 僕は彼女が叩かれなくてほっとした。
 けど彼女は、男が飲み終えたお茶のカップをひこうとして、間違えてそれを地面に落としてしま
った。
 ガシャンと大きな音が遠く離れたここまで届いた。もちろん男は怒って、また彼女を杖で叩いた。
叩いて、彼女が倒れ掛かったところに蹴りを入れた。
 彼女は地面に倒れた。けど、それでも男は蹴るのをやめなかった。
 何か叫んでる。
 お前はなんて役立たずなんだ。このグズが。前のヤツが戻ってきたら貴様など捨ててやる。
 一分くらい蹴って、男はどこかへ行ってしまった。
 残された彼女は、ただ黙々と砕け散ったカップの破片を片付けていた。
 僕は、それを見ててとてもかわいそうだと思った。彼女を救ってやりたいと思った。
 次の日、彼女はやっぱり叩かれてた。けど、彼女は何の抵抗もしない。だって相手は自分の
ご主人様だから。自分のご主人様には逆らえない。
 男の顔が真っ赤だ。一体彼女が何をしたのかは分からないけど、相当怒ってるみたいだ。
 男が何か叫びながら屋敷の中に入っていく。そして、次に出てきたとき、その手に何か長い棒
のようなものを持っていた。
 僕はあの棒が何なのかを知っている。あれは銃というやつだ。しかも凄く強力なやつだ。

549 名前:早すぎた誕生(2/2) ◆gVz74zEnpA :2006/09/02(土) 23:55:07.56 ID:rXJntLTF0
 危ない。彼女が危ない。
 僕は走った。走って、走って、走って……。
 気づいたときには、目の前が真っ赤になっていた。
 隣には、今までずっと遠くから見ていた彼女が。
 目の前には、男が潰れた頭から血を噴き出しながら死んでいた。
 僕はまた走った。彼女の手を取って。
 彼女は何も言わない。


 次の日、僕達のことがニュースになっていた。
 警察が僕達を見つけるために必死になっていた。
 捕まるわけにはいかない。捕まったら、きっと酷いことをされる。
 そう思ったから逃げた。逃げて逃げて逃げ続けた。
 たどり着いたところは森の中だった。
 僕が立ち止まると彼女も立ち止まった。
 彼女は何も言わない。男が死んだときと同じで、ただボーっとしていた。
 彼女に触れた。けど何も感じない。僕にはそれができない。
「いたぞ!」
 突然あたりが明るくなった。それと同時にたくさんの銃声が響き渡る。
 視界が揺れる。ガクンと体が傾き、次にグルンと視界が回った。
 彼女も同じ。まるで風に舞う紙切れのようにめちゃくちゃに体が飛んだ。
 あ……
 視界に映るのは、湿った大地と彼女の残骸。
 せめてもう一度彼女に触れたかった。けど、僕の腕はもう壊れて動かなかった。
 あふれ出るオイルが視界を埋め、僕の機能は停止した。


 数年後、自分の意思を持つ(意思を持つと考えていい)AI――人工知能が開発された。
 数年前、自分の意思を持ち、愛という感情を持った一体の機械がいたことを知る者は、誰もい
ない。



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