【 感染拡大 】
◆Awb6SrK3w6




367 名前:感染拡大1/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/08/27(日) 23:58:01.26 ID:K4NTfteT0
彼は一つの病にかかっていた。
現状ではその病は、彼を殺すには至らない。
だが、この病を彼がずっと患っていたならば、
やがて、彼の体は愚か、共に暮らす私にも多大な影響を及ぼすことは容易に想像できていた。
私は彼の妻として、彼と共に生涯を送る者として、
彼の病を癒すために努力する義務があったのである。
そこで、私は積年放ってきていた彼の病の根本的な治療を行うことを決意した。
この時、私をその決断に至らせるのには、様々な背景があったのであるが、ここでは敢えて割愛したい。

まず、この病の治療法について述べよう。
はっきり言ってしまえば、この病を完治する為の具体的な治療法は、今のところ見つかっていない。
過去、様々な人物がこの病に対する手段を講じてきたようであるが、
この病の暴威の前には、それら数多くの手段も無力であった。

というわけで、入院という手段を用いるのは、効果的な手段ではない。
確かに彼を、普段とは違う環境の中に放り込んで、放埒な生活を送ることを不可にするという点で、
入院という手段は魅力的である。
だが、先ほども述べたとおり治療法が確立されていないこの病、
病院で根治することは不可能なのである。
根気強い自宅での療養。そして、時間の経過がこの病の治療への有効な手段であった。

370 名前:感染拡大2/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/08/27(日) 23:58:37.08 ID:K4NTfteT0
第一に私は彼に、病がもたらす症状の行きつく先を説くことにした。
彼の協力無しに、この病を治すことは、不可能である。
私は精一杯の熱弁を振るうことにした。
拙い語彙。ネット上に漂う情報。まだ30には満たない私の少ない人生の経験。
これらの私の持ちうる限りの全てに「女の涙」というエッセンスを加えることで、
私は歴史上の如何なる演説家にも勝りうる弁舌を得ることに成功したのである。
「あなたがこの様な生活をずっと送っていると、いつかは……」
「あなたもそんな苦しみを味わいたくないでしょう?」
「お願い、まずはこの生活を改めることから始めて」
悲壮感溢れる私の声に彼は圧倒されるのみだった。
その事は、いつもならば必死に反論してくる彼の言葉を封じ込めた事からも明らかである。
だが、である。
彼の返事は、何とも言えないお茶を濁すような物ばかりであった。
「……だけどなぁ」
「でも……」
「わかったよ、でも」
涙の混じる私の弁舌に、彼はこのような態度を取ることで対抗していたのである。
口ばかりの弁解であることは、涙で頭がボーッとしている私にも良く分かることであった。
私の浴びせる言葉に、時々割って入る彼の「But」の連続に、
私はこの手段が余り効果がないことを悟らざるを得なかった。

次に私は彼の病の原因と思われる物を除去することにした。
よくよく考えてみれば、不治の病と言われる癌に対する対応も、
まずは原因の除去から始まるのである。
彼は怒り狂っていたが、彼の為を思っての事である。
私は正しいことをしたのである。
今はわかってくれなくとも良い。
だが、いつか感謝される日が来るのである。
そう思い、彼の言葉に私はただ耐えるのみだった

371 名前:感染拡大3/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/08/27(日) 23:59:07.75 ID:K4NTfteT0
ところが、いつまで経っても私の目を盗んでは不摂生を続ける彼に、私は半ば愛想を尽かしていた。
私の思いを、彼はいつまでたっても分かってはくれないのだろうか。
このような気を紛らわせるために、私は彼の普段見るDVDを見ることにした。
ビデオをレンタルするのは、少々面倒くさいことであったし、
詰まらないワイドショーを見る事よりはマシな事のように思えたからである。
彼の病を研究するという正当な理由もそこにはあった。
彼の性癖に直結している病を癒すためには、彼の性癖を知ることも重要なのである。

彼の書斎は、病の原因で溢れていた。
私がこの間除去したばかりだというのに、これだけまた揃える彼の行動力に、
私は感心せざるを得ない。
あちらこちらに散らかっている漫画を踏まぬよう、私は気を付けてその深奥へと向かってゆく。
彼のDVDは書斎の奥でずらりと並べられていた。
派手な色、瞳の大きな二次元の少女達。
それらが整然に列を為す光景は、まさしく圧巻の一言であった。
そして、恐らく私はその時、彼の病に犯されてしまったのである。
この山を。この列を。私は不覚にも美しいと思ってしまったのだ。

その時はただ、首を振って私はその感情を否定するだけであった。
急いで私は、その棚から適当な目星を付けて、取り出すのであったが、
これもまた私のその後に大きな影響を与えてしまったと言って良い。
私の取り出した作品は、彼が私と結婚してからこの方、
「オタクとかそんなの関係無しに泣けるから、見た方が良いって!」
としつこく述べてきた、例の作品だったのである。
「もう、そんな暇なんて私には無いの!」
と断ってきた私だったが、とうとうこの日、私はこの作品を見ることになったのである。
初めは侮っていた。
だが、おおよそ日も暮れる頃、私は滂沱の涙を流すこととなっていた。

372 名前:感染拡大4/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/08/27(日) 23:59:39.73 ID:K4NTfteT0
数ヶ月後、感染は拡大していた。
つい今朝方、彼と交わした会話からもそれは伺える。
「ねえ、あのアニメのDVDの発売日っていつだったっけ?」
朝、煎れたばかりのコーヒーを飲みながら、彼は問う。
「9月3日……だったかしら。店に入るのは」
私はトースターからパンを取りだし、彼に差し出しつつ答えた。
清々しい朝の光景である。
もう私は病の治療を諦めていた。
いつまで経っても貯金が貯まらなくてももうどうでも良いのである。
家計の出費の半分以上を、彼と私の趣味が占めても、もうどうでも良いことなのだ。
私がこの趣味をもう病と認識しなくなっていたのだから。



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