【 機械仕掛けのメランコリー 】
◆tGCLvTU/yA




362 名前:機械仕掛けのメランコリー ◆tGCLvTU/yA :2006/08/27(日) 23:55:57.95 ID:EgGw+9ww0
 雨の日。今日は照りつけるような暑さも、外を楽しそうに走る子供たちの姿もない。
 腕時計を修理する作業もそこそこに、ふと部屋の時計をみる。時間はちょうど正午。そろそろ昼食の時間だった。
「そろそろ呼びに来る頃かな……」
 なんて呟いていると、本当に扉を叩く音がひとつ。時間に正確なのは良いことだと思うが、ここまで完璧だとなんだか可笑しい。
「どうぞ、開いてるよ」
 返事をすると、少し間を置いてガチャリと扉が開く。
「失礼します博士。昼食の用意が出来ましたので、呼びに参りました」
 無表情で昼食の完成を告げに来た彼女は、マリアという。姉でも妹でも娘でもなくて、僕が作った機械だ。
 アンドロイドということになるのだろうか。
「ありがとう。すぐ行くよマリア」
 修理中の腕時計をポケットにしまうと、僕はマリアとともに居間へと向かった。
「今日のお昼はなんだい?」
 居間へ向かう途中、いつにまして弾まない会話に他愛もない話題を投げかけてみる。
「……」
 無言。聞こえなかったのだろうかと思い、首を傾げた。
「マリア?」
 もう一度呼びかけてみる。先程よりもわずかに声を強めて。
「あ、はい……なんでしょうか?」
 心ここにあらず、といった感じで返事をする。常に仕事熱心な彼女がこんな風に集中力を乱すなんて珍しい。
「いや、今日のお昼はなんなのかな、って」
「今日はクリームシチューにしてみました」
「そう……」
 普段からあまり表情に多様性のない彼女だが、今日は普段よりそれが顕著に見える。
 さっきの態度といい、何か理由があるのだろうか。
 どちらにせよ彼女の問題だろう。身内の問題に自分は関わらない。それが我が家唯一のルールだ。
 彼女自身が独自に解決するならそれでよし。解決できないなら問題を打ち明けてくれてもよし。
 自身のやりたいようにさせるのが一番なのだ。とは言っても、間違いのないようにそれとなく導くのも親である僕の仕事なのだが。


365 名前:機械仕掛けのメランコリー ◆tGCLvTU/yA :2006/08/27(日) 23:57:05.60 ID:EgGw+9ww0
 さて、どうしたものだろうか。今日の昼食は話によるとクリームシチューらしいのだが、
「これは……」
 なんだろう。目の前に置かれた混沌とした物体は。少なくともクリームシチューには見えない。さらに言うなら食べ物にも見えない。
「……すいません」
 申し訳なさそうに俯くマリア。火を止めずに僕を呼びに来て焦がしてしまったそうが、それだけでここまでの代物になるだろうか。
 まあ、毎日家事をやっていれば失敗もあるだろう。別にそれほど咎める気はないが、これは思いのほか重症のようだ。
 身内の問題に首を突っ込ない、それが我が家唯一のルール。しかし、仕事にここまで影響が出ては話は別だろう。
「何かあったのかい? 僕でよければ話を聞こうか」
 彼女も頑固だ。普段なら何もないと言い張るところだが、その曇り切った表情と今日の仕事を鑑みるに普段という言葉はあてにならない。
 僕の言葉に、彼女はどうすべきだろうかと迷いを感じていたようだが答えを決めたようで、俯いていた顔をゆっくりと上げた。
「悲しい本を、読みました」
「本?」
 そういえば、僕は常々彼女に趣味を作れと言って、本を贈っていたのを思い出した。それを読んだのだろうか。
「はい。恋愛小説です。主人公の男性と女性は仲睦まじいカップルだったのですが、ある日女性が難病にかかってしまうのです」
 悲恋の物語をプレゼントに贈るなんて僕は一体どういうセンスをしているのだろうか、と頭を抱えたくなったが話には続きがあった。
「女性は、死んでしまいました。男も悲しみに暮れてそこから立ち直ることはありませんでした」
 頭痛までしてきた。僕はなんでそんな救いのカケラもない物語を選んだのだろうか。
「物語はそれで終わりなのですが、とても悲しかった。しかし、同時にほんの少しだけ羨ましいという感情も生じました」
 頭痛がはたと止まった。
「それは、なぜ」
「やはりおかしいのでしょうか。それでも私は羨ましいと感じました。機械には――病気がありませんから」
 少しだけ、普段は一瞬たりとも見せない悲しそうな表情をして、彼女は言った。 


366 名前:機械仕掛けのメランコリー ◆tGCLvTU/yA :2006/08/27(日) 23:57:42.09 ID:EgGw+9ww0
「今日おかしかったのは、それが原因?」
 こんな確認しかできない自分が悲しくなる。こんなとき、話術の巧みな人間ならなんて彼女に言うのだろう。上手く励ますのだろうか。
「はい……やはり、おかしいでしょうか」
「そうだね……君のその迷いがおかしいか僕にはわからない。でも君はひとつだけ間違えている」
 僕はポケットから修理中の腕時計を取り出す。そして、それを彼女の前に置いた。
「その時計、壊れてるんだ。針が動かないだろう?」
 そうみたいですね、とマリアは時計を弄くるが、時計は動きだすことはなかった。
「病気ってのはさ、体に異常が起こることを言う。ならば、針が動かない。正常に動くことがができないそれは病気なんじゃないのかな」
 彼女は、はっとしたように時計を見る。今度は針をコツコツと叩き始めたが、やはり動かない。
「僕はこれでも機械の医者だからね。病気のないものに医者はいらないだろう?」
 まあ、修理屋も良い言い方をすればそういうことになる、なんて言うと医者に怒られるだろうか。
 マリアは少し考え込んでいるようだったが、口下手な僕にはこれが彼女に出来る精一杯だった。納得してくれたらいいのだが。
「博士言うのなら……きっと、そうなんでしょうね」
 どうやら、納得してくれたようだった。彼女があのクールな無表情に戻るのも時間の問題だろう。
 僕は自分の仕事は終わったと言わんばかりに座っていた椅子から立ち上がった。
「さ、わかったら昼食を作り直そう。僕は部屋に戻っているよ」
「あ、はい。出来たらまたお呼びします」
 僕は少し気恥ずかしくなって部屋を出た。らしくもないことを言ってしまったと思う。
 雨の上がった空を見ながら、次は悩む必要のない、明るくて、楽しい本を贈ろう。そう思った。

おわり



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