【 廻り道 】
◆D8MoDpzBRE




150 名前:1/5  ◆D8MoDpzBRE :2006/08/13(日) 23:39:32.27 ID:/VSDanaW0
私は一度、人の道を踏み外した人間である。
二十歳でいわゆる出来ちゃった婚をした私は、当時定職についておらず、サラ金で金を借りてはギャ

ンブルと酒におぼれ、妻に暴力を振るう毎日だった。
結婚生活は2年で終焉を迎え、幼い子を連れて妻は実家に帰り、膨大な借金を残した私はその全てを親

に肩代わりしてもらった上で勘当された。
今、私は縁もゆかりも無い片田舎のボロアパートに居を構え、コンビニのバイトで何とか食いつない
でいる。

151 名前:2/5  ◆D8MoDpzBRE :2006/08/13(日) 23:40:12.57 ID:/VSDanaW0
夕方の五時過ぎに私の勤務時間は終わる。
これ以降は地元の高校生が代わりにシフトに入ることになっている。
その日、私は高熱と頭痛の両者と戦いながら勤務をこなしていた。
朝から軽く倦怠感などの症状はあったのだが、その程度で休むわけにはいかないと思って働いた結果
がまさに地獄であった。
さらに悪いことに、午後5時が迫る頃になって突然、外は土砂降りになった。
うわマジ最悪だよ…、などとため息をつく私を余所に、「おつかれ様っス」と茶髪の高校生が威勢よ
く店内に駆け込んできた。
私は憂鬱な気分と頭痛を引きずりながら着替えを済ませて入り口を出ると、小学校3、4年生くらいの
男の子が雨宿りしているところに出食わした。
どうやら傘も、傘を買うお金も持っていないらしい。
まあ、いずれこの雨も止むだろう、などと思ってフラフラと通り過ぎようとした私だが、何故かこん
な時に限って生き別れた自分の子供のことが思い出された。
無事に育っていれば、同じくらいの年齢だろう。
そう思うといてもたってもいられなくなり、自家用車であるオンボロ軽自動車のトランクを開け、積
もりに積もったゴミのような荷物をかき分け、
ようやく常備してあった折り畳み傘にたどり着き、それを彼に手渡した。
「返すときはこの傘立てに入れといてな」と言うと、その子供はこくりとうなずいて傘をさし、雨霧
の中へと消えていった。

152 名前:3/5  ◆D8MoDpzBRE :2006/08/13(日) 23:41:44.32 ID:/VSDanaW0
勤務から開放されて緊張の糸が切れると、頭痛は容赦なく運転中の私を襲ってきた。
おまけに、濃い雨霧に視界を遮られていたため、帰り道は死の恐怖と隣り合わせだった。
いつもは何でもない片道15分の通勤時間すらも長大な時間に感じられた。
いよいよ、自宅まであと1キロほどを残すのみとなった三叉路の交差点で、信号につかまった。
このまままっすぐ進むと程なくして自宅のアパートが見える。
左側には道は無く、右側へ分かれる道からは車1台やって来る気配が無いため、朦朧とする意識の中でとんだ無駄足を踏んだものだと憤っていた。
信号がようやく青に変わるというところで、後ろからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
このときになって初めて、私の進行方向の路肩にミニバンが停車していることに気付いた。
その車の周りでは数人の若者が大騒ぎをしている。
次の瞬間、パトカーが2台、私の車の横をかすめて直進していった。
私も後を追って車を発進させようとしたが、2台目のパトカーが私の進路をふさぐように停車した。
何なんだこの展開は…と思っているうちに、パトカーの中からレインコートを着た警官が、私に右折しろと合図を送ってきた。
もはや争う気持ちも失せていた私は、素直に右折した。
しばらく、どうやったら自宅への道に復帰できるだろうかなどとうわ言のように考えていたが、全く思いつく気がしなかった。
だが別の意味で幸運なことに、町内で唯一時間外救急をやっている病院の看板が視界に飛び込んできた。
その後のことはよく覚えていない。
色々検査や点滴をされた挙句、これだけははっきり覚えているが、背中からきつーい注射を入れられた。
そうして最終的に、私は入院を余儀なくされたのだった。

153 名前:4/5  ◆D8MoDpzBRE :2006/08/13(日) 23:42:37.07 ID:/VSDanaW0
バイト先の店長に言われた、「今は治療に専念して、完治した暁にはまた一緒に頑張りましょう」との言葉は、後から思い出しても涙が出るほどにありがたかった。
そのために、店長自ら厳しいシフトにも甘んじてくれたらしい。
幸いにも手術をする必要はないと言われ、点滴を10日ほどしたらほとんど症状は治まっていた。
診断は”軽い”化膿性髄膜炎だと言われた。
オイオイ、重かったら今頃どうなってるんだよ…。
2週間で退院し、もう2週間ほど、家で静養するように指示された。
医者の言うとおり、最初の1週間はなるべく家から出ずに過ごしていたが、倒れてから3週間も過ぎる頃にはかなり調子がよくなっていた。
そろそろリハビリをしなくちゃいけないなと思い、手始めに私が勤めてるコンビニに復帰挨拶も兼ねて向かうことにした。

154 名前:5/5  ◆D8MoDpzBRE :2006/08/13(日) 23:43:10.97 ID:/VSDanaW0
家を出てまもなく、『工事中』の看板に行く手を遮られた。
またこの道か、と思い引き返そうとしたが、何やら様子がおかしいことに気付いた。
そう、この日は私自身の頭もさえわたっているし、何よりあの日のように雨霧でもない。
だから目の前にあるはずの道が消えたことに気付くのは、そう難しいことではなかった。
工事現場の人から聞いた話では、あの日の土砂降りで元々地盤が弱かったこの箇所が崩落して、クレーターのような穴になったのだという。
第1発見者はミニバンに乗った若者数人だったが、彼らにしても『咄嗟に急ブレーキを踏まなかったら数メートル下へ真っ逆さまだっただろう』と証言しているらしい。
あの日の私が最初の通行者だったら間違いなく死んでいただろうな、と思いゾッとする。
忌まわしい気分を振り払うため、私はいつものコンビニへ続く廻り道を急いだ。
到着する頃には多少気分も和らいでおり、少し懐かしい気分でコンビニの駐車場に車を着けた。
入り口に近づいて、ふと足元の傘立てを見ると、折り畳み傘が置いてあった。
同時に、まさに命の恩人でもあろうあの少年のことが脳裏に浮かんだ。
いや、彼だけではない。
これまでの人生も含めて幾度と無く、多くの人たちから正しい道へと続くヒントを受け取ってきたはずだ。
私はここまでかかって、ようやくそれに気付くことが出来たのだ。
目頭を押さえながら入店した私に、茶髪の店員が怪訝そうな視線を送ってきた。

<了>



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