【 祈りと答え 】
◆aDTWOZfD3M




144 名前:『祈りと答え』1 ◆aDTWOZfD3M :2006/08/13(日) 23:30:42.93 ID:TKu/jIRg0
 しばらく人が通わなかった遊歩道は、木の枝が張りだしていたり、手摺りが
腐っていたりと、歩きやすいとは言い難い状態だった。私は手に持った鉈で邪
魔な枝や、雑草を切り払い道を開きつつ歩いている。
 歩きつつも麓の風景を眺めると、塹壕線の跡や、砲撃の跡に水がたまってで
きた小さな池が点在しているのがよくわかる。
 半年前まで、この土地は戦場だった。我が国と隣国との間ではじまった戦争
は、当初の予想を遙かに超えて長期化し、さらに多くの新兵器が投入された事
もあって国土の多くが荒廃した。特にこのあたりは終戦間際の最前線であった
ため、大量の毒ガスが使用され、この山を除いて森林は枯れ果てている。かつ
ては緑したたる大森林地帯だったのが、今や白くなった木々の残骸が寂しく立
ちつくすばかりだ。ゆえにこの山の森林は、この地方に住む者達にとってとて
も貴重な物なのだ。
 私はこの近くの小学校で教師をしている。今日は、近々予定されている遠足
のために、この遊歩道の下見をしている。本来なら、遠足なんてしているよう
な状況ではないのだが、校長先生は
 『こういう殺伐とした時期だからこそ、子どもたちには楽しい思い出を作っ
てあげるべきだ』
と主張し、私達教職員も出来る事なら、生徒達にそういう機会を作ってあげた
いと願っていた。
 問題は遠足のコースだった。行って楽しめるような施設は、軒並み破壊され
るか、いまだ営業を再開していおらず、ピクニックに良い場所も荒れ果ててし
まっている。そこで、多少遠いものの、奇跡的に被害が軽微だったこの山でピ
クニックすることになった。私はそのための事前調査をしているわけだ。
 だが、コースの下見という一見暢気な仕事にもかかわらず、今の私は余り心
楽しい気分ではない。なぜなら、私に課せられた最も重要な仕事は、『遊歩道
周辺に屍体が転がっていないか調べ、発見したら適当に始末する』ことだから
だ。

145 名前:『祈りと答え』2 ◆aDTWOZfD3M :2006/08/13(日) 23:32:53.92 ID:TKu/jIRg0
 少し前まで戦場だったこの辺りには、いまだ発見されないままの屍体が数多
く放置されている。白骨化したものならまだ良いが、腐乱死体やいまだ形を残
している屍体を見るのは、控えめに言っても教育上よろしくない。ゆえにそう
いった屍体がないか調査する必要があった、ゆえに私がこうして山に入ってい
るわけだ。
 いまのところ、屍体は発見していない。木々が残っているだけあって、山中
に入った兵士は少ないのかも知れない。私は少しばかり気が楽になった。ここ
らで小休止しようと思っていると、ちょうど沢らしい水音がしてきた。運が良
ければ、冷たい水が飲めるかもしれない。私はちょっとばかり期待しつつ、道
を外れて水音のした方に足を踏み出した。
 斜面を少し下ると、予想通り小さな沢があった。手を浸すと、歩き続けて火
照った体に、冷たい水が心地良い。水の澄み具合から見て、飲めそうだと思っ
た私は手に水を汲んで飲もうとした。
 その時、私の耳元で虫の羽音がした。辺りを見回すと、蠅が数匹飛び交って
いる。私は嫌な予感に襲われて、周囲に目を光らせる。
 
 ……そして、私はそれを見つけた。
 腐乱した兵士の屍体だった。沢を挟んで反対側、10メートルほどの所に倒
れている。私が沢を渡り越して屍体に近づくと、ちょうど風向きが変わったせ
いか、強烈な腐乱臭が私の鼻を突いた。草むらの中に仰向けに倒れた屍は、既
に黒く変色し、雨に打たれ続けた手の甲からは茶色い骨すら覗いている。身に
着けた軍装から見て、我が国の軍ではなく敵国側の兵士だろう。
 一瞬、非現実感にとらわれた後、私は自分のするべき事を思い出した。急い
で背中に背負った背嚢の中から地図をとりだし、現在地であろう場所に適当に
×印をつけ、しかるのちシャベルを取り出した。屍体の脇にシャベルを突き立
てて墓穴を掘り始めたが、屍体の顔が視界にちらちらと入り、いまいち気が散
る。停戦するまで私も徴兵されて戦地にいたわけで、かなり屍体を目にしてき
たのだが、この半年で免疫が落ちたらしい。それに、戦場ではばらばらになっ
た死体こそあれ、腐乱死体はそうそう転がっていたわけではない。鼻をつく腐 
乱臭が、まるで私の手にまとわりつくようで、作業はなかなか進まない。

146 名前:『祈りと答え』3 ◆aDTWOZfD3M :2006/08/13(日) 23:33:56.87 ID:TKu/jIRg0
 それでも小一時間掘り続けていると、なんとか屍体が収まりそうな穴ができ
た。私は屍体の下にシャベルを差し込んで、てこのように一気に押すと、屍体
は穴にすべり落ちた。そしてその上から土をかけはじめる。屍体が隠れた時点
で、だいぶ臭いは収まってきた。
 だが、腐臭が収まると、心に別の疑問が浮かんできた。
 (はたして、ここに埋められるこの屍体が、私の生徒達の未来の姿ではないと
言い切れるだろうか。この遠足を行えば、子供達は戦争をしない優しい人格に
育ってくれるのだろうか)
 そんな事はわかるはずもなかった。私にできることは、ただこの遊歩道を整
備し、彼らに勉強を教え、彼らに私が出来る限りの道徳を身につけさせ、学校
を卒業して行く子供の歩む道に幸多からんことを祈るのみ、それ以上の事は神
の御心しだいだ。
 その時、はっと我にかえった。柄にも無いことを考えたのが妙に恥ずかしく
て、思わず屍体の突き出していた腕を蹴っ飛ばした。死者の腕は、その胴から
離れて、少し離れた所に落ちた。私は思わず祈りの言葉を呟くと、急いで仕事
に戻る。
 埋葬は終わった。私はシャベルの土を払うと、少々乱暴に背嚢に突っ込み、
腐臭を振り払うかのようにいそいでその場を立ち去ろうとした。まだこの山全
部を見たわけではない。早く元の遊歩道に戻らなくては。最後にもう一度だけ
背後を振り返ると、さっき蹴り飛ばした腕が、何かを指し示すように落ちてい
た。
                           〈了〉



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