【 空から見える道 】
◆qygXFPFdvk




140 名前:空から見える道(1/3) ◆qygXFPFdvk :2006/08/13(日) 23:20:45.16 ID:caCEhawd0
僕と彼女は雲の上で出会い、別れた。あの満月の夜に。

僕が待機命令を無視して空へ飛び出したのは、あの夜が始めてではない。以前にも何度かその
手を使っていたし、上手いことやればバレずに済む事も知っていた。だから、ストレスが溜まった時
や飛ぶ事が我慢できなくなった時には、こっそりと愛機を飛ばしていたんだ。
あの時の理由はなんだったんだろう? 何かに惹かれた気がするけど、よくは分からない。

とにかく、あの夜は満月が綺麗だったんだ。空には少しの薄い雲と大きな満月だけ。細かい星達は、
満月に遠慮するみたいにその姿を潜ませていた。離陸するとすぐに海が見えて、そこに月光が作り
出した光の道が見えた。
穏やかな海面に浮かぶ光の道は僕を優しく迎えてくれるみたいで、吸い込まれる様にそっちに飛ん
だ。
プロペラが風を切る音だけが聞こえる。この音さえなければ波音が聞こえるんじゃないか、ってぐら
い静かな夜だった。
海と僕と愛機を優しく照らす満月は、漆黒の夜にぼんやり浮かんでた。

そこに黒い影が見えたのは、飛びはじめて三十分もした頃だったかな。もしかしたら、はじめからそ
こに居たのかもしれない。クレーターだと思ってた影が段々と迫ってきて、やっとそれが機影だと分
かった。月鏡に映る、双発のプロペラ機。僕の機体と同じ形だ。

空に浮かぶ満月みたいにぼんやりしてた僕は、それが自機の影だと思ってた。良く考えれば、光源
は月だけだったんだから、影がそっちに出るはずはない。でも、そんな事が分からなくなるぐらい、僕
はぼんやりしてた。その機影が、機銃を放つまでは。届くはずが無かった。僕ならこんな真似はしな
いね。無駄だからだ。でも、その音は僕の目を覚ますのには充分だった。

操縦棹を引き、高度を上げる。一方、相手は機体を横に向けロールさせた。やはり自機の影ではな
い。この時間、この空域に、しかも単独でここまで来るという事は相当の腕の持ち主だ。きっと、小隊
を率いるぐらいのポジションにいるはず。

141 名前:空から見える道(1/3) ◆qygXFPFdvk :2006/08/13(日) 23:22:10.54 ID:caCEhawd0
それは飛び方にも表れていた。速度はこちらと変わらないが、上空に逃げた僕をぐんぐん追い
込んでくる。初めは機銃の射程外まで稼いでいた距離は、あっという間に詰められていた。後ろ
から短い閃光。続いて、赤く焼けた銃弾が僕の機体を追い抜いていく。
ちょっと肝が冷えた。僕は機体を地面に傾けて、自由落下による加速度を使って逃げた。再び
距離を稼いだ僕は、一息ついて気持ちを落ち着かせる。次の瞬間には、僕を追いかけて急降下
してくる敵機に頭を向けていた。
准音速ですれ違う。月光を浴びた敵機のコクピットには、髪の長い女性が見えた。
擦れ違いざま、彼女は撃った。僕は撃たなかった。

撃たなかった理由は簡単だ。彼女に見とれてたから。一目で恋したね。
僕のタイプだった。理性的で、優しそうで……
断然テンションの上がった僕はグングン逃げた。彼女もすぐに追ってくる。追いかけられる事で僕
が彼女に好かれてる、なんてイメージをもった。そんなはず無い事は僕が一番分かってるよ。後ろ
から機銃で撃たれれば、それが妄想だってすぐに分かる。
彼女の飛び方は、本当に優雅だった。ターンもループも踊っているみたい。 まるで、空にレールが
あって、そこを滑ってるかの様で、教科書通りの飛び方だった。僕は見とれていた。今日の満月が彼
女のためのスポットライトみたいに思えた。
このままずっと一緒に飛べたら。そう思った。
でもそれは無理だ。僕たちは敵同士だし、この綺麗な満月も時間が経てば沈んでしまう。その代わ
りに、馬鹿みたいに元気な太陽が出しゃばって来て、僕らのダンスを邪魔するのだろう。そんなのは
ゴメンだ。だからこっちから終わらせてやる。僕は本気で飛ぶことにする。

彼女の飛び方は、まさに教科書通りだった。僕が教官なら満点をくれてやるところだ。でも、僕が指
揮官なら彼女を戦場には送らない。教科書通りの飛び方は、戦場で生き抜く飛び方とは違う。それを
分からせてやろう。
彼女に合わせて曲線を描きながら飛んでいた僕は、操縦幹を急激に倒す。すぐに逆に。また逆に。
今度は上だ。今までの曲線が、鋭角を持つ直線の組み合わせに変わる。
後ろに付いていた彼女との距離が伸びる。あっという間に形成は逆転、僕が後ろを取った。今度は
僕が追いかける番だ。


142 名前:空から見える道(3/3完) ◆qygXFPFdvk :2006/08/13(日) 23:23:16.49 ID:caCEhawd0
彼女の機影を照準に捕らえる。ダッダッダッ。
口でそう言うと、彼女の機体は落ちていく――そんなイメージが浮かんだ。もう実力差は分か
っただろう。このまま逃してあげたかった。彼女の操縦は実に上手い。戦闘機の操縦はセンス
が物を言う。センスが無い奴はすぐに落ちる。そのセンスが彼女にはある。もっと経験を積めば
立派なパイロットになる。ここで落ちるには惜しい腕だ。

僕は彼女を追う事を止め、基地の方角へ機体を向ける。翼を上下に振って挨拶した。彼女も諦
めて基地に戻るだろうと背後の彼女を振り返る。
――だが、彼女はこちらを向き機銃を撃ってきた。
溜め息が漏れる。そうか、それを望むのか。背面ループで向き直し、彼女に迫る。先ほどと同じ
ように、准音速で擦れ違った。
彼女は撃った。僕は二秒だけ撃った。
彼女は泣いていた。僕は悲しかったけど泣かなかった。

僕の機体から放たれた赤い銃弾は彼女の機体に吸い込まれる。彼女の銃弾は僕の機体にか
すりもしなかった。ちょっと遅れて彼女の機体から光が漏れた。もう終わりだ。
彼女の機体は白い煙を出し、地面へと一直線に向かった。煙は徐々に濃さを増し、遂には黒くな
って、彼女の機影を隠した。
残ったのは一本の煙の道。きっと天国へ続いている。僕の前で落ちた奴は、皆あれを残して消え
るんだ。そしてもう戻ってこない。だからあの道は天国へ続いているに違いない。と僕は思う。

ちょっと、その道を進んでみたくなった。まだ死ぬ気はないけど、彼女と一緒に天国に行けるなら
それも悪くない。
でも、やめた。僕はまだ死ぬべきじゃない。あの道は僕が進むべき道じゃないんだ。
僕が進むべき道は、仲間が待つ滑走路だ。



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