【 匂い 】
◆dx10HbTEQg




133 名前:1/2 ◆dx10HbTEQg :2006/08/13(日) 22:54:38.18 ID:Dg2Mlce20
強烈な匂いが鼻腔を襲い、私はのそりと身を起こした。
連日その人間は、宵の過ぎる頃に右から左へと消え、暁に左から右へと去っていく。
勿論本来ならば寝ていたい時間だが、あまりの匂いの強さにそれも叶わない。
しかもその匂いといったら、非常に奇妙なのだ。
宵には花の芳香であったのに、暁には変貌している。私はその正体を本能的に理解していた。
あれは、女だ。女の香りだ。女という性の香りに違いあるまい。
痛々しい程の匂いは、私を惑わせる。
彼女は、今日も足を地に叩きつけるようにして、早足で去っていった。

時折、別の匂いが混じる事があった。
平素は私に見向きもせず立ち去る彼女が、その時ばかりは私に擦り寄り、嘆くのだ。
「どうしてあたしは人なのかしら。人間なんてやめてしまいたいわ」
匂いを辺りに撒き散らしながら、彼女は私の庭に足を踏み入れる。
鉄錆の匂いが、彼女のものとは違う移り香が、鼻をつく。私はいつも、むせ返ってしまいそうだった。
「道ならぬ恋だなんてこと、分かっているのよ。でもね……愛してしまったのだもの」
私には、彼女が何を言っているのか分からない。
ただ、只管強烈な女の香りを嗅ぎ取るのみだ。
「きっとあたしは片思いなのね。君なら、あの子が私をどう思っているのか分かるのかしら」
細い指先が私の髪に絡まる。何て官能的な動き。
彼女の右手が、彼女自身の薄い服に触れ、はだける。恥ずかしげもなく晒す彼女の上半身は、酷く傷だらけだ。
豊満な胸を露出させ、血の滲む傷を見せ付ける。
「ほら、今度は噛まれてしまったのよ……。嗚呼、何故、何故なの。何がいけないの?」
柔らかい感触を私の頬に押し付けてくる。これには閉口する。朝、私の主人が血を見咎めるのだ。
しかし私の都合など構いはしない彼女は執拗に胸を寄せる。私の顔の形の沿って変形し、徐々に赤みを帯びる。
私は、日頃主人に行っているように彼女を舐める。鉄錆の味が口腔に広がる。
「ああ……なんてこと。私、君みたいな子に……ああ…………」
切なげに喘ぐ彼女が痛ましく、私は更に慰める。
女の香りが強くなっていく。これは何だろうか。女とは、一体何だ。

134 名前:2/2 ◆dx10HbTEQg :2006/08/13(日) 22:55:13.84 ID:Dg2Mlce20
彼女は、空の白み始める前には帰る。私は私の家へ、彼女は道路へと戻っていく。
それが道理というものだと、私には判っていた。
私は所詮、女の心を慰めるために一時的に利用されているだけなのだ。


しかし、彼女との交流は轟音により、ある日唐突に途絶えてしまった。
誰かが道路を解体しているに違いなかった。私と彼女の逢瀬を邪魔する無粋な者よ。
この道がなければ私たちは出会えないのだ。私たちを繋ぐ唯一の場所なのだ。
それでは、このままこの道が消え果てしまったなら、どうなってしまうのだろう。私は恐れた。
そう、私は恐れてしまっていたのだ。
彼女の心は私にはないと知りながら。


月の満ちる頃、戦の如き音はぴたと止んだ。
そして、月が少し欠けた頃に、彼女は道に現れた。
「おかしいわね。本当、おかしいのよ」
いつもなら左へと消えていく彼女が、どうしたことかそのまま私の庭へと入ってきた。
「おかしいの。ねえ、あなたに会えなくて、寂しかったのよ」
私には――彼女が何を言っているのか分からない。
ただ、只管強烈な女の匂いを嗅ぎ取るのみなのだ。
「どうしたのかしら……。私は、あの子を愛していたはずなのよ?」
彼女の匂いには、別の匂いが混じっていた。
ねっとりとした、女の性の芳香。以前までは何処か遠くに向けられていたはずのそれが、私に?
「道ならぬ恋よね……分かっているわ。でもね、あなたを愛してしまったの」
私は嬉しかった。何時の間にか、私は自分の主人よりも彼女が好きになっていたのだ。
だから、私は精一杯同意を示すように、一声鳴いた。



ワンッ



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