【 彼女 】
◆Rqjd6LGmgI




138 名前:彼女 ◆Rqjd6LGmgI :2006/08/05(土) 18:48:02.31 ID:3Kt+bjQh0
 彼女は今でも美しいままだ。勿論それは私の主観であって、他の人にはそう見えないのかもしれないけれど、
本質は全く変わっていない。 綺麗だとも思うし、それ以上に愛しくもある。
「それは治らないのか? 」
「ええ、もって半年だそうよ」
信じられなかった。凛とした声で話しかける彼女がまさか。
彼女が言うには殆ど望みのない治療は受けず、余生を充実させたいのだという。
それはとても私には了承し難いことであったが、彼女の望みなのだ。私のエゴを貫くわけにはいかなかった。

「香織、本当にこれでよかったのか? 」
寝ている彼女の顔は美しい、ただ指でなぞって見ると僅かに窪みを感じた。
日々痩せていく彼女を感じるのは辛かったが、同時に笑顔でいてくれる彼女を見ると嬉しかった。
良かったのかもしれないな、これで。そう思えるほどに彼女は綺麗だった。

「わたしはもう数ヶ月で死ぬけれど、死んだらどうなるのでしょうね」
「ん……」
つい居眠りをしてしまった。 顔を上げると彼女はそのまま聞いていてと促す。
「よく言われるのは、無だとか意識のない世界だとか、ネガティブなイメージしかないけれど、それだと悲しすぎると思わない? 」
「わたしは無神論者だから死後の世界があるとは思わないけど、いま思考しているわたしは何処へいくのかしら」
声に微かに濁りが生じたような気がした。
「わたしの想いは、気持ちは。嬉しかった、嬉しかったのに何故。 ……結局わたしには何も残せなかった」
「香織……」
「暗闇なのかもしれないわね。 真っ暗で何も見えなくて、何も無い。 意識だけが存在している暗闇」
「あなたがその目で見ているものを、わたしは死んでやっと手に入れるのかもしれない。ねぇ、あなたの目には世界はどう映っているの? 」
最早光を感じることのない私の目を触りながら彼女は言った。
思えば、あれは彼女が見せた本心だったのかもしれない。私の瞳は光を見るどころか、愛しい人の心さえも見ることが出来なかったのだ。

彼女が召されたのはそれから1ヵ月後だった。予想していたよりもずっと早く、唐突に訪れた。
何も言わずこの世を去ってしまった。想像していた分かれ方とは全く違った形だった。
担当医から彼女の妊娠を告げられたのはその数日後だった。 私は彼女を救えなかった、命も、心も、何一つ……。
ただ自己満足に酔いしれ踊っているだけだったのだ。 私は彼女の夫でいられたのだろうか……。



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