【 二人きり 】
◆X3vAxc9Yu6




485 名前: ◆X3vAxc9Yu6 投稿日:2006/07/30(日) 02:10:36.04 ID:QZSwhk400
「敵艦を補足。これより約六○:○○のちに敵艦との接触が予測される。気付かれる前に先制する。エネルギー充填開始」
それまで静まり返っていた艦橋に、唐突に艦長の声が響く。
細く高く、まるで男らしくない声音だ。
気持ち悪い。
急に現実に引き戻されたのもあって、一瞬怖気が走る。
「了解。エネルギー充填を開始します」
私は読んでいた漫画を脇に置いて、流れるような動作でキーを叩く。
セーフティを外すための暗号を打ち込み、寄木細工のように細かなボタンを幾つも押し込む。
スクリーンの一部が赤く点灯したのを確認して私は報告する。
「エネルギーの充填を開始しました。約二六:○○で完了します」
「よろしい副官。それでは完了まで五:○○になったら報告したまえ。それまで休憩とする」
ぎし、と艦長の椅子がきしむ音がした。
どうせまた聖書でもお読みになってやがるんだろう。
何度も読んで良く飽きないもんだ。
人のことは言えないけどね。
「了解。完了まで五:○○の時点で報告します」
私は復唱してまた漫画を取り出す。
全く、良いところで邪魔しやがって。
報告と言っても私が神経を尖らせている必要はなく、アラームが鳴ったら今みたいに一言発する、くらいのものだ。
二十分少々の間は心置きなく読書に集中できるであろう。

果てなき夜に浮かぶ巨大な船のなか、ほんの六畳ほどの完全閉鎖空間が私の仕事場だ。
正確には私たち二人の。
ボタン一つで動く艦に、二人だけの精鋭乗務員、すなわち技術者と指揮官とを配置するのは、
効率を重視する我らが首脳たちの画期的な案だったのだ。
乗務員の精神的な健康とか能率なんて眼中にないわけだ。
もちろん個人の居住用のスペースは設けられているものの、一日の三分の二はこの箱の中で過ごさなければならない。
たまにぽちぽちとボタンを押せばあとは全くすることがないこの場所で。
いけ好かないクソ艦長野郎の息づかいさえ感じられるここで、だ。

486 名前: ◆X3vAxc9Yu6 投稿日:2006/07/30(日) 02:11:09.38 ID:QZSwhk400
ああ、どこまで読んだんだっけな。
私は何度も読み返して既に表紙がぼろぼろになっている漫画をぱらぱらとめくった。
そうそう、主人公が叫ぶところからだ。
『主砲! はっしゃああああああ!』
何度読んでも熱く胸がたぎるシーンである。
宇宙戦艦と言えばこうでなくちゃね。
そして、次はふねが大ピンチに陥る印象的な場面だ……。

ツーツーツー!
「副官。状況を報告せよ」
アラームに続いて、タイムロスなしに艦長が命じた。
糞。
私は漫画を放り投げながらスクリーンを一瞬に見渡す。
状況は。
――自艦を示す青い光点と、敵艦を示す赤い光点の間に、黒い丸があった。
黒い丸は徐々に大きくなりながら私たちに近付きつつある。
なんだ、とっくに気付かれてたのかよ。
私はほぼ思考を停止させながらもなめらかに口を動かした。
「報告します。
敵艦から放たれたと思われる原理不明の凄まじい熱量が前方に広がっています。
我が艦は現在もその熱量に接近中。
命中すればこの艦はもちません」
「命中までの時間は。充填は間に合うのか」
「敵攻撃の命中まで約三:○○。充填完了まで約一八:○○。発射は不可能です」
一瞬の静寂があって、艦長は私に命じた。
「……よろしい副官。エネルギー充填を中止し全速回頭。可能ならば敵攻撃を回避せよ。その後は休憩とする」
「了解」
私が復唱しなかったのは、艦長の命令が遺言だと分かったからだ。


487 名前: ◆X3vAxc9Yu6 投稿日:2006/07/30(日) 02:11:49.12 ID:QZSwhk400
私は可能なかぎり速やかに命令を実行したあと、もう一度漫画を取り上げた。
必死に黒い丸から遠ざかろうと青い点が移動しているが、その速度は明らかに回避するには足りないようだ。
『大丈夫だ! 俺を信じろ!』と主人公が叫んでいる。
艦長が低い声で祈りを捧げているのが耳に入ってくる。
アラーム音は鳴り止まない。
私は状況に耐えきれずに、艦長に向かって、こんな言葉を放った。
「なあ。黙ってくれ。最期くらい好きなことに集中させてくれないか」

私のほうを向いたその顔は奇妙に歪んでいた。
侮蔑と、怒りと、恐怖と、そして自制が織りなす不思議な表情に、私は言葉を失う。
彼は口を開いてパクパクと動かした、ような気がする。

……静寂のうちに、ふたりはまばゆき閃光につつまれた。





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