【 アメだまと僕と小さな嘘と 】
◆2LnoVeLzqY




433 名前:アメだまと僕と小さな嘘と ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/07/23(日) 19:53:41.08 ID:rudL0X8W0

それは僕が小学校四年、友達に連れられて駄菓子屋に入ったときのことだ。
店内を軽く物色したあと、彼はアメ玉の入ったケースを指さして、「これにするか」と呟いた。
なんだこんなもの買うために僕を連れてきたのかよ。
そう思っていたら、彼はレジのおばあちゃんに一瞥くれたあと、素早い手つきでアメ玉ニ個をポケットの中に滑り込ませたのだ。
そのとき僕にはそれが妙にカッコよく思えた。僕って単純だ。
それから彼は、「お前も」とだけ言うと、僕からおばあちゃんの注意を逸らすためか、店内の別の場所に移動していった。
心臓の鼓動がはっきりと聴こえてきた。汗ばんだ手をグーパーグーパー。余計汗ばんだ。
おばあちゃんの方は見なかった。忘れてただけか、目が合うのが怖かっただけか。
アメ玉を一個だけ掴むと素早く手を引っこめた。心臓がどきどき。膝から下もぶるぶる。
それから友達に近づくと、彼は「それじゃ出るか」と言って、レジのおばあちゃんに軽く会釈した。
こいつの心臓は鋼鉄製か、と思った。それから僕らは店を出て近くの公園に足を運んだ。
そこで食べるアメは、鋼鉄の味だった。

大人たちはみんな言う。
万引きなんてちっぽけなスリルのためなんだろう、だからそんなのは下らない、って。
だけど、たとえばセックスの快感は一度体験したら忘れられないのと同じように、
万引きのスリルだって、一度味わったら病み付きになってしまうのだろう。
事前の緊張感と、事後の満足感。リスクを楽しんで、喜びをリターンとする。
ちっぽけな、で済ませることができるほど、このスリルは軽々しいもんじゃないのだ。
かつての僕は、そう思っていた。

時は流れて僕が大学ニ年の頃。
夜の九時過ぎに、閑静な住宅街の中を下宿先のアパートへと歩いていた。
街灯がまばらに道を照らしていた。まばらすぎて、まるで漫画みたいに暗い。
その街灯の明かりの下に入ってしまうと、周囲が本当の真っ暗闇にしか見えない。
明暗のコントラストのせいなんだろうけど、詳しいところは僕にはわからなかった。
そのせいで、街灯の明かりから抜けたときに路上駐車した車に激突しかけた。
こんちくしょうが。持ち主の顔が見てみたい。

434 名前:アメだまと僕と小さな嘘と ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/07/23(日) 19:54:36.44 ID:rudL0X8W0

その時だ。三十メートルぐらい先の街灯の下に、女の人影が突然現れた。
僕は驚きのあまり、その場で五十センチぐらい後ろに飛びのいてしまった。誰も見ていなかったことを祈る。
結局、その人影はすぐに消えた。
つまりは街灯の明かりの下から抜けたんだろう。明暗のコンなんちゃらって奴だ。
コン…の後を思い出そうとしていると、突然向こうから女の人の悲鳴が聞こえてきた。
もしかしてさっきの人影か、と前の方を凝視してみる。
すると三十メートル先の街灯の明かりの下に、こちらに走ってくる人影が見えた。
しかも男。腕に何か抱えてる。僕の直感がひったくり認定。
こいつがさっきの路上駐車の車の持ち主か。あれに乗って逃げるつもりらしい。
そいつはどんどんこちらに近づいてくる。だけど僕には気付いていないようだ。
自分の存在感の薄さにヘコむのは後だ。僕は妙案を思いついた。
僕はその場で立ち止まる。前には街灯があるが、僕自身は明かりの下に入っていない。
ひったくり犯は全力疾走。そしてついに僕の目の前の街灯の下に入った。
僕もその明かりに飛び込む。やぁこんにちはひったくり犯さん。
そいつは驚愕の表情。それはそうだろう、僕の姿なんて見えてなかったはずだから。
下顎めがけて渾身のストレートを打ち込む。一発KO。
さっきの女の人が警察を呼んでいたらしく、無事にカバンは戻り犯人捕まりで一件落着だった。

僕とその女の人は警察署まで呼ばれ、何だか小難しいことを聞かれた。
僕の方は楽なもんだったけど、女の人は大変そうだった。
結局僕らが開放されたのは夜明け前。なんでもその女の人も僕と同じ大学らしく、学年は一個上。ちなみに下宿先も近いらしい。
念のためにその人を家まで送っていくことにした。
家に着いたら、上がっていきませんかと言う。それならお言葉に甘えて。
何はともあれ、男女が一つ屋根の下でやることといえばひとつだろう。
やっぱりこの快感は、一度体験すると忘れられないのだ。

435 名前:アメだまと僕と小さな嘘と ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/07/23(日) 19:55:28.03 ID:rudL0X8W0
もうすぐ大学を卒業しようかという頃のことだ。テレビでは、連続通り魔殺人を連日報道していた。
若い女の人ばかりを狙ったもので、犯人はまだ捕まっていないという。僕は毎日何気なくそのニュースを見聞きしていた。
ある日のことだった。高校大学が同じ友人から「急いでニュース見ろ」というメールが来て、僕はテレビをつけた。
テレビでは、連続通り魔殺人の三件目が起きたと報道していた。
被害者名が表示され、僕は愕然とする。それは、高校のときの同じクラスの女の子だった。
ふと思い出し、僕は引き出しを漁る。そこには、「結婚しました」というその子から一年前に届いた手紙が入っていた。
学生結婚かぁ。僕の彼女とその子を重ねあわせ、大いに感心したものだった。
テレビの画面に生前の顔が映し出されている。
きっと大学時代のものだろう。この写真を撮ったときはもう結婚していたのかな。
旦那さんがインタビューを受けている。僕より少し年上ぐらいの人だ。
そして、腕には赤ちゃんを抱いていた。きっと彼女と、この旦那さんの子だ。
彼がインタビューに答える声はかすれている。その目には、涙を浮かべている。
もし僕が彼の立場だったら、その悲しみを受け入れることができるだろうか。
再び彼女の顔写真が画面に映る。
この写真を撮ったとき、彼女はどんな未来を思い描いていたんだろう。
僕に言えるのは、その未来はきっと、明るくて、平穏で、幸せだっただろうということだけだ。
犯人は、一体何のためにそんなことをしたのだろう。
スリルのため?たったそれだけのため?あまりにも、下らない。
僕は、今だから言える。
万引きから得たスリルだろうが、殺人から得たスリルだろうが、
何かを、誰かを傷つけて得たようなスリルに与える価値なんか存在しないんだ。
犯罪は、誰も幸せにすることなんかできないんだから。

彼女の子供はこれから、母親がいない事実をどう受け止めていくんだろう。
成長したある日、母親は昔殺されていたことを知るのだ。
その時の悲しみは、僕には、計り知れない。
でもその日が来るまでは、「どうして僕にお母さんがいないの?」って聞かれたら、
「お母さんはね、離れたところで幸せに暮らしてるよ」って、答えてあげてもいいと思うんだ。
犯罪は誰も幸せにしない。
だけどこのくらいの嘘ならきっと、許されるだろうから。



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