【 音の風景 】
◆XS2XXxmxDI




959 名前: ◆XS2XXxmxDI :2006/07/16(日) 23:49:47.77 ID:Soa3xsNYO
とある企業、K社に勤めるA。
この男、最近、サイレンならサイレンの"形"、雨なら雨の"形"にと、音が見える。

寂れた会社の屋上は、人は小指、車は親指ほどに、その大きさを変える高さであった。
塗装より錆の割合が勝つ柵にAはもたれ、その視線を、会社裏手の路地へと向けていた。
退屈と安堵の入り交じった視線である。
その場で、溜息をつくこともなく、Aは倦怠に時間を潰していた。

Aは音が見えるようになってから充分に眠れていない。
思えば当たり前であった。
何せ、音があるという事は至極当たり前なのだから、音が見えるAに休息がありはしないのである。
そんな中でAに出来る事といえば、音を軽減させる耳栓(完全に閉じてしまうと、今度は血の流れる音が煩い)をするか、
心地良い音楽を聞く、もしくは、こんな耳だか目にした会社を恨む事ぐらいしかなかった。
しかしそれも、熟睡には程遠い結果しか生まない。
詰まる所、我慢するしかないのであった。

と、細く開いた寝ぼけ眼の端で何かが蠢く。
Aは目を瞑り、今一度蠢く物が見えた方向へと意識を向けた。
二つの正方形、厳密には八方の角が丸みを帯びているそれらが交互に跳ね、一跳ね毎に先程までより二段ほど高い場所に移動していた。
堅いであろうその正方形が、一定のリズムで出す音は、屋上へと続く階段と、革靴の底がぶつかる音。
目を開き、背景の中に表れる正方形がドアの前で消えるのを見届け、軋むドアの先から表れるであろう上司に身構えた。

960 名前: ◆XS2XXxmxDI :2006/07/16(日) 23:50:34.82 ID:Soa3xsNYO
Aの予想通り、ドアを軋ませ「どうだい、調子の程は」と、Aの上司が、明かに体調の悪そうなAに聞く。
「みのもんたと同じ時間で過して、それで健康なら今の私も健康ですよ」
Aは上司に嫌悪感を絡めた視線を投げると、そう毒づいた。
「冗談が言えるならまだ大丈夫ですね」
「まだ? 人体実験をしているのに随分と適当な言い方ですね」
「人体実験ですか………」
「だってそうでしょ? 人に変な注射して、音が聞こえるだけじゃなく見えるようになるなんて、
 普通のサラリーマンがする仕事じゃない」
「………」
こうして会話してる間にも、Aには上司の言葉の形が見えていた。
無感情であろう灰色の柔らかく太い、紐の形をした上司のそれは、今は徐々に細くなり、噤んだ口の端でぷつりと切れるのだった。

不意にAの視界から、上司の身体、景色に霞みがかかる。
「風が強くなってきましたね、中に入りましょうか」
背後から、苦笑と共に届く「まるで君が上司みたいな口振りですね」という言葉にAは応えず、軋む屋上のドアの前まで行くと、
「違います、先に来てお開けしようと思っただけですよ」
態とらしくAは丁寧にお辞儀をし、ドアを開けるのだった。

961 名前: ◆XS2XXxmxDI :2006/07/16(日) 23:51:24.51 ID:Soa3xsNYO
「それで、今回の実験の成果は」
「全体的に芳しくありません、しかし、今後発展の見込みのある結果を得られたのも事実です」
「そうか…… でわ、早速A君を起こしてくれ、今回一番の功労者なんだからね」
「はい」
窓のない、白い壁に囲まれた部屋で、Aの上司と白衣に身を包む研究員が話をしていた。
上司は手に幾枚かの資料を持ち、笑うのだった。
「音を聞くだけで、物の形が分かる、か」
Aを起こしに行く研究員の背中を眺めながら、上司はAへの労いの言葉を考えていた。

暫くして研究員がAを連れ、戻って来たが、Aはどこか足下が覚束無い様子で、ソロソロと歩いている。
「良くやってくれたね、これでこの会社も安泰だ」
疲れて椅子に座るAを上司は称えた。
「人体実験で会社が安泰になるなんて、大したもんですね」
「どうしたんだ? A君、いつもの君らしくないじゃないか」
「いつも? いつの事を言ってるんですか」
明らかな侮蔑の眼差しを自分の上司に向けるAを見て、上司は何かを理解し、研究員を呼ぶのだった。
「これが"芳しくない"の意味ですか」
「はい、半睡眠状態とはいえ脳には作用しますからね、私達が作成した一日の生活音だけ聞かせているだけでも性格は変るようです」
「実際には数日寝ていただけでも、本人はちゃんと生活していると思い込める程ですからね………」
睨んでいるのか、眠いだけなのか、Aは目を細めながら空調を見上げていた。
その様子を、上司と研究員は眺めながら、音だけの世界と、
本物の世界の区別がつかない男の処理を思案していた。



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