【 ミュージック・ファブリケイション 】
◆ct0G69Z3/Y
913 名前: ◆ct0G69Z3/Y :2006/07/16(日) 20:42:07.85 ID:7xaejHan0
音楽がないと死ぬ。
というのはちょっと誇大表現かもしれないが、あながち間違ってはいないだろうと思う。
俺は音楽が大好きだ。いや、別に音楽の授業がいつも5だったとか、
小さい頃からピアノを習っていたとか、そういう意味の好きではないが。
いつも移動中は音楽を聴いている。むしろ自転車に乗っているときに音楽がないと
禁断症状を起こしてしまう気さえする。
俺の登下校中の相方は某有名MP3プレイヤーで、周りの音が聞こえなくなるくらいの音量で
流行の音楽だとか、そうじゃない音楽だとかを聴く。
10Gバイトほどあった容量も、今は半分ほど音楽ファイルで埋まった。
このMP3プレイヤーの曲全てが好きだとは言えないのだが、
それでも全ての曲を把握している自信がある。
まあ、そんな音楽大好きな俺に、つい先ほどちょっとした災難が降りかかってきた。
いつものように学校は終業のベルを奏で、俺はくだらない友人とくだらない話で盛り上がっていた。
このグラビアアイドルがいいだとか、新作ゲームのできはどうだとか、話題はそんなところだ。
しばらくの後、そんな些細な日常の一コマも
友人の「じゃあそろそろ」という枕詞で終了しその日はお開きとなった。
各々が帰宅の路に着くための合図を受け、俺も例外なく愛用の自転車にまたがり友人に
別れの挨拶をした。
914 名前: ◆ct0G69Z3/Y :2006/07/16(日) 20:42:34.82 ID:7xaejHan0
自転車に乗りながら、イヤホンを耳に装着する。
MP3プレイヤーの電源を押し、我が両耳にお気に入りの音楽が流れ始める。はずだった。
はずだったのだ。
流れない。
確認のためにもういちど電源を入れてみるが、
MP3プレイヤーの画面にLOWBATTERYと赤字で表示されて、しばらくすると消えてしまう。
気がつかぬうちに、俺の口から道行く人に聞こえるほどの大きな溜息が漏れていた。
ここから家まで二十分ほどの道のりを無音状態で過ごすことは、
十字架を背負って聖墳墓教会までの「悲しみ の道」を歩くことと同じくらい苦痛だ。
憩いのひとときを邪魔されたことが、とても腹立たしい。
しかし、ここでいくらヘソを熱くしても意味がないな。
第一、充電してなかった自分が悪いのだし、それは十分わかっていた。
仕方ないので諦めることとする。
素直にまた自転車を漕ぎ出し、いつもの並木道を下る。
線路を横断する。
人のいない公園を横切る。
川沿いの道を行く。そこでふと気がつく。
915 名前: ◆ct0G69Z3/Y :2006/07/16(日) 20:42:50.69 ID:7xaejHan0
その驚きが足を止めた。惰性で走っていた自転車は勢いを失い、川沿いの木陰で左足を出す。
この世界は音で溢れていた。今まで気付こうとしなかったのか、ただの注意不足だったのか。
俺は新しい発見に歓喜の表情を浮かべたまま川を見下ろしていた。
川では三匹の合鴨と一匹の川鵜が優雅にたゆたっている。
そよそよと流れる、両端を舗装されてしまった小川は現在の景色に溶け込もうと
必死に流れを主張していた。
それが音に表れる。
ざわわと木漏れ日が音を立てて、それを合図に跳ねた鯉の音。
大空から帰還した小さなすずめ達の合言葉。ささやかな恋路を嗜む鳩。
そのような光景とは釣り合わないはずの遠くにある線路さえ、力強さをここまで伝えている。
全ての音が複雑に絡み合い、奇妙なメロディをリズミカルに刻んでいるような気がした。
俺は音楽というものを演奏することはできない。
しかしどの音楽がいいとか、そういうものは分かる気がするんだ。
「俺の知らない音楽が、こんな身近にあったなんて」
感動のあまり、そう呟きたくなったが。今は心の奥にしまっておくことにしようか。
小さな不幸が、大きな発見を生む。そんな貴重な体験が、俺の中で新たな旋律を奏でていた。